第2章 3.天日槍ゆかりの神社にみる足取り

天日槍(以下、ヒボコ)は但馬出石に安住の地を決めるまで、どういう足取りを辿ったのか。 『日本書紀』、『播磨国風土記』にその足取りが記されている。 『日本書紀』ではまとめると次のルートである。 新羅-伊都国-播磨国宍粟邑- … 続きを読む

第6章 3.ヒボコは日本人だった。天皇の皇胤

終章、まとめとしてこのタイトルの結論に。 縄文時代からヒボこの頃まで、今の韓国に当たる半島の南部湾岸部は倭ワ・やまと国の一部である 『古事記』応神天皇記(712年)では、その昔に新羅の国王の子の天之日矛が渡来したとし、『 … 続きを読む

第3章 1.天日槍と伊和大神の国争い

奈良時代に編集された播磨国の地誌『播磨国風土記』(国宝)の成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。ちな … 続きを読む

第2章 4.アメノヒボコそっくりな神功皇后の足跡

神功皇后とアメノヒボコは、多くの接点を持っている。 たとえば、三品彰英氏は、アメノヒボコと神功皇后(オキナガタラシヒメ)の伝説地を地図上につないで、地理的分布が驚くほどよく似ていると指摘している。似ているのではなく、両者 … 続きを読む

第4章 4.ヒボコ登場の頃に、まだ新羅国は存在しなかった

日本最初の国史である記紀も奈良時代に偏されたもので、天日槍に関わる記述も神話や伝承をもとにしている。 『日本書紀』養老4年(720年) 垂仁天皇3年3月(BC27年) 新羅王子の天日槍が渡来した。 天日槍登場の孝安天皇の … 続きを読む

第3章 4.アメノヒボコとツヌガアラシトは同一人物なのか?

アメノヒボコは第十代崇神天皇を慕って来日したと『日本書紀』はいう。ところが『古事記』は全く異なる伝承が残される。応神天皇の段に、「昔、新羅の国王の子有りき。名は天之日矛と云う。この人が帰化してきた。 『古事記』にはヒボコ … 続きを読む

第5章 2.豊岡盆地は朝鮮半島へのヤマトの軍事拠点

不自然なアメノヒボコの出現と但馬分国 『日本書紀』では、アメノヒボコは、垂仁天皇3年3月条において新羅の皇子の天日槍が渡来したとして7つの神宝を携えてきてたと記す。 ところが、唯一詳細に記しているのが『国司文書 但馬故事 … 続きを読む