但馬国ねっとで風土記

第6章 3.ヒボコは日本人だった。天皇の皇胤

終章、まとめとしてこのタイトルの結論に。 縄文時代からヒボこの頃まで、今の韓国に当たる半島の南部湾岸部は倭ワ・やまと国の一部である 『古事記』応神天皇記(712年)では、その昔に新羅の国王の子の天之日矛が渡来したとし、『 … 続きを読む

第5章 1.丹後・但馬はヤマト建国の隠されたキーマン

なぜ、アメノヒボコは突如、但馬に登場するのか? 国史である『記紀』や公式に中央に献上させた『播磨国風土記』など、ヒボコと但馬について記されているのは、日本建国にとって、外せない重要な事実が秘められているからに他ならない。 … 続きを読む

第3章 2.日本はヒボコより以前から鉄の産地だった

天日槍(以下、ヒボコ)という名前から、ヒボコは鉄の技術者、もしくは製鉄に関わる人びとの総称であったり、武神を連想させる。 しかしこれは、鉾・矛が鉄製の武器である、日本にはそれまで鉄器がなかったのだとの思い込みである。記紀 … 続きを読む

第4章 1.ヒボコはいつ頃の人なのか?

天日槍はいつ頃の人なのか? 日槍の渡来時期? 天日槍(以下、ヒボコ)が実在の人物なのかは分からない。しかし記紀があえて新羅の王子ヒボコを記述しているのは、全くの架空な出来事とは言い難い。 ではヒボコはいつ頃の出来事なのだ … 続きを読む

第4章 4.ヒボコ登場の頃に、まだ新羅国は存在しなかった

日本最初の国史である記紀も奈良時代に偏されたもので、天日槍に関わる記述も神話や伝承をもとにしている。 『日本書紀』養老4年(720年) 垂仁天皇3年3月(BC27年) 新羅王子の天日槍が渡来した。 天日槍登場の孝安天皇の … 続きを読む

第3章 3.ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい

ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい 『播磨国風土記』にある伊和大神とヒボコの土地(国)争いを、鉄原料の奪い合いであると見て、タタラ製鉄に優れていた出雲からやって来た伊和大神の方が鉄の集団にふさわしいという説もある。 そ … 続きを読む

第5章 2.豊岡盆地は朝鮮半島へのヤマトの軍事拠点

不自然なアメノヒボコの出現と但馬分国 『日本書紀』では、アメノヒボコは、垂仁天皇3年3月条において新羅の皇子の天日槍が渡来したとして7つの神宝を携えてきてたと記す。 ところが、唯一詳細に記しているのが『国司文書 但馬故事 … 続きを読む

第4章 3.ヒボコの時代の半島南部は倭人のクニ

『日本人ルーツの謎を解く』長浜弘明氏によると、 例えば司馬遼太郎は、『街道を行く1』(週刊朝日 1971)で次なる文言を連ねていたが、そこには腐臭が漂っていた。 「日本民族はどこからきたのでしょうね」 「我々には可視的な … 続きを読む

丹後の巨大前方後円墳

丹後の巨大前方後円墳と池田古墳 かつては丹波(道)が丹波・但馬・丹後に分立するまで、丹波の中心が日本海に面した丹後地域だった。なぜ水稲稲作が人口拡大を進めるまでは、人びとは海上ルートを利用して交易をしながら、安全な丘陵や … 続きを読む