00 はじめに『但馬国司文書 但馬故事記』
「国司文書・但馬故事記・別記」の訳註書「古事大観録」「但馬神社系譜伝」「但馬郷名記抄」「世継記・秘鍵抄ほか」コピーを同じく但馬史や神社に興味を持たれている知人からいただいた。 郷土但馬の成り立ち、神社の由来・縁起を知る手 … 続きを読む
「国司文書・但馬故事記・別記」の訳註書「古事大観録」「但馬神社系譜伝」「但馬郷名記抄」「世継記・秘鍵抄ほか」コピーを同じく但馬史や神社に興味を持たれている知人からいただいた。 郷土但馬の成り立ち、神社の由来・縁起を知る手 … 続きを読む
但馬には式内社が『延喜式』神名帳では、大社18座10社(いずれも名神大社)・小社113座106社の計131座116社を記載と5番目と大変多い。都の置かれた大和286座や神道のメッカ伊勢253座、出雲187座、都が置かれ交 … 続きを読む
出石神社のご祭神の不思議 「なぜ8種ものご神宝が、天日槍より先に祀られているのか?」 神社(神道)はもともと自然信仰からはじまっている。山や岩、水、雷、火など自然の神を擬人化したものから始まり、やがて皇統に由来する天津神 … 続きを読む
終章、まとめとしてこのタイトルの結論に。 縄文時代からヒボこの頃まで、今の韓国に当たる半島の南部湾岸部は倭ワ・やまと国の一部である 『古事記』応神天皇記(712年)では、その昔に新羅の国王の子の天之日矛が渡来したとし、『 … 続きを読む
なぜ、アメノヒボコは突如、但馬に登場するのか? 国史である『記紀』や公式に中央に献上させた『播磨国風土記』など、ヒボコと但馬について記されているのは、日本建国にとって、外せない重要な事実が秘められているからに他ならない。 … 続きを読む
神功皇后とアメノヒボコは、多くの接点を持っている。 たとえば、三品彰英氏は、アメノヒボコと神功皇后(オキナガタラシヒメ)の伝説地を地図上につないで、地理的分布が驚くほどよく似ていると指摘している。似ているのではなく、両者 … 続きを読む
天日槍(以下、ヒボコ)という名前から、ヒボコは鉄の技術者、もしくは製鉄に関わる人びとの総称であったり、武神を連想させる。 しかしこれは、鉾・矛が鉄製の武器である、日本にはそれまで鉄器がなかったのだとの思い込みである。記紀 … 続きを読む
天日槍はいつ頃の人なのか? 日槍の渡来時期? 天日槍(以下、ヒボコ)が実在の人物なのかは分からない。しかし記紀があえて新羅の王子ヒボコを記述しているのは、全くの架空な出来事とは言い難い。 ではヒボコはいつ頃の出来事なのだ … 続きを読む