1.天地開闢(てんちかいびゃく)1/5 世界の始まり

現在、日本神話と呼ばれる伝承は、そのほとんどが『古事記』、『日本書紀』および地方各国の『風土記』にみられる記述をもとにしています。高天原の神々を中心とする神話がその大半を占めていますが、その一方で出典となる文献は決して多くはありません。

本来、日本各地にはそれぞれの形で何らかの信仰や伝承があったと思われ、その代表として出雲(神話)が登場しますが、ヤマト王権の支配が広がるにつれて、そのいずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」(祟る神)という形に変えられて、「高天原神話」の中に統合されるに至ったと考えられています。

また、後世までヤマト王権などの日本の中央権力の支配を受けなかったアイヌや琉球にはそれぞれ独自色の強い神話が存在します。自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは古代人にとっても大きな問題でした。『古事記』、『日本書紀』の最初の部分は世界誕生のころの物語となっていますが、『古事記』と『日本書紀』との間で、物語の内容は相当に異なります。

さらに、『日本書紀』の中でも、「本書」といわれる部分の他に「一書」と呼ばれる異説の部分があります。これはヤマト王権が各国の伝承・特産などを調べ『風土記』として提出させたのですが、このようにして、神々の誕生の神話は1つに定まっていないので、公平に一書として併記しているのは、すでに当時、日本は民主国家的であったということをすさしているとも思えます。

『古事記』(和銅5年(712年)は一般に一つのストーリーとなっている歴史書で、『日本書紀』(養老4年(720年)に完成)は、対外向け正史といわれていていますが、特に有名な出雲神話・日向神話(天孫降臨)は古事記以外の伝承も記載しました。

0.世界の始まり(天地開闢(てんちかいびゃく))

『古事記』によれば、世界のはじまった直後は次のようであった。『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたときであり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には、日本神話における天地開闢のシーンといえば、近代以降は『古事記』のこのシーンが想起される。

『日本書紀』

『日本書紀』における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。

卷第一 神代上(かみのよのかみのまき)
第一段、天地のはじめ及び神々の化成した話(天地開闢)
本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。

第二段、世界起源神話の続き
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となる。

■考 証

田辺広氏『日本国の夜明け: 邪馬台国・神武東征・出雲』には、

世に出雲神話としてよく知られているものに、須佐之男命の八俣の大蛇退治、大国主命の因幡の白兎の話であるが、いずれも記紀に著された神話で風土記にはまったく見えない。そこで是等は記紀の中でつくられたもので、たとえば、前者は「高天原による出雲平定を神話化し、正当化したものである。あとに続く国譲りの先駆的役割を果たすために作られたと見るべきであろう」とある。

しかし一方で、萩原千鶴氏は「記によれば、天から追われた須佐之男命は出雲の国の肥の河上、名は鳥髪の地に降ったとあるが、それは出雲国風土記が斐伊川の水源としてあげる鳥上山に一致する。記の出雲神話の地理は、出雲国風土記の記載によく適合しており、単なる中央の机上の製作とは思われない」という。

大国主命が主人公として出る神話は、稲羽素兎神話、根の国神話、八千矛神話、国作神話、国譲神話があり、記紀の出雲神話は、その神代の巻の約三分の一を占める。

(中略)

私の意見は、萩原説に賛成である。神話に書いてある細々とした説話は荒唐無稽で、事実としては信ずるに足りなくても問題ではない。史実として取り上げるべきことは、出雲の古代にスサノオという偉大な統率者と、その子孫にオオクニヌシという立派な後継者がいたことである。スサノオのオロチ退治も斐伊川の上流にいた、たぶん金属加工(たたら製鉄)を行って勢力を伸ばした豪族がいて、それを占拠した事実を神話・伝説化したものであろう。そして亡ぼしたのは大和の朝廷軍であったのか、東部の意宇の主であったのかは確たる証拠がないかぎりわからない。

それより問題は、記紀の編者、あるいはそのバックにある大和朝廷は、なぜ抵抗勢力であり、同族でもない出雲の神話をこのようにたくさんのページを割いて載せたのかということである。勝利者であれば、むしろ出雲神話は抹殺すればよいのではないか。(中略)

記紀の方から見れば、出雲の伝承に多くのページを割かねばならないにしても、それをどのように日向神話の中に入れ込むか、旧辞の編者というか太朝臣安万侶の考えというか、難しいところだが、次のように大雑把に言えると思う。

いろいろからみ合って天孫族の神と出雲の神が出現するが、ある一線を引いたと思う。それは陰陽(影と光)の別である。地域的には山陽と山陰、太陽と月、天と地、地上と地下、現世と冥土(黄泉国)、天津神と国津神、勝者と敗者、征服者と被征服者の別である。具体的には政権と宗教界という形で現在まで続いている。もちろん、のちの仏教その他の宗教を除いた神道の世界のことである。

神武東征の謎: 「出雲神話」の裏に隠された真相 著者: 関裕二

神武天皇をめぐっては、いくつもの誤解がある。
神武天皇が圧倒的な武力をもってヤマトを制圧した古代最大の英雄、という思いこみはその最たるものであろう。

(中略)
『日本書紀』を丹念に読んでいくと、神武東征はけっして神武軍の「一方的な勝利」ではなかったことがわかる。

ようやくの思いで大和に到着し、しかも、力ずくで王権を獲得したのではなく、相手が勝手に政権を放り投げてきたのである。これは「推理」ではなく、『日本書記』にそう書いていることだ。それにもかかわらず、神武天皇が偉大な勇者、武力に秀でた強い天皇と思われるに至ったのは、尋常小学校の教科書の記述が神武天皇の武功のみをクローズアップしたからに他ならない。もちろん、このような教科書の記述は、明治政府の意向でもあったろう。

(中略)
一方、神武天皇にまつわるもう一つの誤解は、神武東征は「神話」にすぎなかった、というのものである。

(中略)
(それは)戦前の偏った教育に対する反動に他ならなかった。史学者たちは「神の子・神武」という図式を比定するばかりか、神武天皇という存在そのものを疑ってかかるようになっていたのである。

たしかに、『日本書紀』や『古事記』は、神武天皇が今から二千数百年前の人物であったとしているのだから、これをそのまま素直に信じるわけにはいかない。考古学的に見ても、大和に「国」らしきものが誕生するのは、それから千年後のことになる。したがって、『日本書紀』や『古事記』の神武天皇にまつわる記述は疑わしい。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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【日本神話】 第2巻「高天原編」 第1章 アマテラスとスサノオ

■禊祓と三貴子の誕生

黄泉の国(よみのくに)から戻ったイザナギは、この後もさまざまな神々を生みました。イザナギは黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら:現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊(みそぎ)を行いました。衣を脱ぐと十二神が生まれました。

最後に左の目からアマテラス(天照大神:日の神、高天原を支配)を、
右の目からツクヨミ(月読命:月の神、夜を支配)を、
そして鼻からスサノオ(建速須佐之男命・素戔嗚尊:海を支配)を産みました。

アマテラス・ツクヨミ・スサノオは三貴子(三貴神)と呼ばれ、イザナギによって世界の支配を命じられました。
神様だから男でも、どこからでも、子どもを産めるんですね。

■アマテラスとスサノオの誓約

スサノオは海を守る神様なのに、泣いてばかりいたので、怒ったイザナギはスサノオを海から追い出しました。そこで人恋しくなったスサノオは、高天原(たかまがはら)に住む姉のアマテラスを訪ねたのですが、ここでもせっかく耕した田を荒らしたり、機織り小屋に馬を投げ込んだりして、高天原では彼の乱暴ぶりにことごとく手を焼いていました。

山川が響動し国土が皆震動したので、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い、弓矢を携えて彼を迎えました。

スサノオはアマテラスの疑いを解くために、宇気比・誓約をすると言いました。二神は天の安河を挟んで誓約を行いました。

まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれました。この女神は宗像(むなかた)大社に祀られていおります。

多紀理毘売命(たきりひめ・たぎりひめ)  別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖つ宮に祀られる。
市寸島比売命(いちきしまひめ・いつきしまひめ) 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。中つ宮に祀られる。
多岐都比売命(たぎつひめ・たきつひめ)  辺つ宮に祀られる。

次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれました。

左のみづらに巻いている玉から、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ・あめのおしほみみ)
『日本書紀』では天忍穂耳命
右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命(あめのほひ)
『日本書紀』では天津彦根命
天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神などと書かれる。
かづらに巻いている玉から天津日子根命(あまつひこね)
左手に巻いている玉から活津日子根命(いくつひこね)
活津日子命(『古事記』)あるいは活津彦根命(『日本書紀』)と記される。
右手に巻いている玉から熊野久須毘命(くまのくすび)

これによりスサノオは、「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」と勝利を宣言しました。

引用:ウィキペディア

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【日本神話】 第5巻「人代編」 第2章 タギシミミの反逆

天皇(神武天皇)にはヒメタタライスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)との間の子、カムヤイミミ(神八井耳命)、ヒコヤイ(日子八井命)、カムヌナカワミミ(神沼河耳命)の他に、日向にいたころにアヒラヒメ(阿比良比売)との間にタギシミミ(多芸志美美命)、キスミミ(岐須美美命)の二柱の子をもうけていました。

天皇が崩御した後、タギシミミはヒメタタライスケヨリヒメを妻にし、その3人の御子を殺そうと計画していました。それを知ったイスケヨリヒメは3人の御子にそれを知らせようと、「狭井河から雲が立ち登って、畝傍(うねび)山では大風が吹く前触れとして、木の葉がざわめいている」という内容の歌を詠みました。その歌の意味を解した御子たちはすぐにタギシミミを殺すことにしました。

カムヌナカワミミは、兄のカムヤイミミに武器を渡してタギシミミを殺すように言いました。しかし、カムヤイミミは手足がわなないて殺すことができなかったので、カムヌナカワミミが兄の持っている武器を取ってとどめを刺しました。そこで、それを賛えてカムヌナカワミミはタケヌナカワミミ(建沼河耳命)とも言います。カムヤイミミはこの失態を恥じ、弟のカムヌナカワミミに皇位を譲り、自らは神官となって仕えました。

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【日本神話】 第5巻「人代編」 第1章 神武東征

[古事記]

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=神武天皇)は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、葦原中国を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにしました。

舟軍を率いて日向を出発して筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着くと、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が仮宮を作って食事を差し上げました。そこから移動して、岡田宮で1年過ごしました。さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごしました。

浪速国の白肩津(現 東大阪市附近・白肩は枚方(ひらかた)のもとという)に停泊すると、ナガスネヒコの軍勢が待ち構えていました。その軍勢との戦いの中で、イツセはナガスネヒコが放った矢に当たってしまった。イツセは、「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言いました。それで南の方へ回り込んだが、イツセは紀国の男之水門に着いた所で亡くなった。
カムヤマトイワレビコが熊野まで来た時、大熊が現われてすぐに消えました。するとカムヤマトイワレビコを始め兵士たちは皆気を失ってしまった。この時、熊野の高倉下(タカクラジ)が、一振りの太刀を持って来ると、カムヤマトイワレビコはすぐに目が覚めた。カムヤマトイワレビコがその太刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒されてしまい、兵士たちも意識を回復しました。

カムヤマトイワレビコはタカクラジに太刀を手に入れた経緯を尋ねた。タカクラジによれば、タカクラジの夢にアマテラスと高木神が現れました。二神はタケミカツチを呼んで、「葦原中国は騒然としており、私の御子たちは悩んでいる。お前は葦原中国を平定させたのだから、再び天降りなさい」と命じましたが、タケミカツチは「平定に使った太刀を降ろしましょう」と答えました。そしてタカクラジに、「倉の屋根に穴を空けてそこから太刀を落とすから、天津神の御子の元に運びなさい」と言いました。目が覚めて自分の倉を見ると本当に太刀があったので、こうして運んだという。その太刀はミカフツ神、またはフツノミタマと言い、現在は石上神宮に鎮座している。

また、高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から大和の宇陀に至りました。
宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいた。まず八咫烏を遣わして、カムヤマトイワレビコに仕えるか尋ねさせたが、兄のエウカシは鳴鏑を射て追い返してしまいました。

エウカシはカムヤマトイワレビコを迎え撃とうとしたが、軍勢を集められなかった。そこで、カムヤマトイワレビコに仕えると偽って、御殿を作ってその中に押機(踏むと挟まれて圧死する罠)を仕掛けた。弟のオトウカシはカムヤマトイワレビコにこのことを報告しました。そこでカムヤマトイワレビコは、大伴連らの祖の道臣命(ミチノオミ)と久米直らの祖の大久米命(オオクメ)をエウカシに遣わしました。二神は矢をつがえて「仕えるというなら、まずお前が御殿に入って仕える様子を見せろ」とエウカシに迫り、エウカシは自分が仕掛けた罠にかかって死にました。

忍坂の地では、土雲の八十建が待ち構えていました。そこでカムヤマトイワレビコは八十建に御馳走を与え、それぞれに刀を隠し持った調理人をつけた。そして合図とともに一斉に打ち殺しました。

その後、登美毘古(ナガスネヒコ)と戦い、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)と戦った。そこに邇芸速日命(ニギハヤヒ)が参上し、天津神の御子としての印の品物を差し上げて仕えました。

こうして荒ぶる神たちを服従させ、畝火の白檮原宮(橿原の宮)で即位しました。
その後、大物主の子である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)を皇后とし、日子八井命(ヒコヤイ)、神八井耳命(カムヤイミミ)、神沼河耳命(カムヌナカワミミ、後の綏靖天皇)の三柱の子を生ました。

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【日本神話】 第4巻「日向編」 第2章 海幸・山幸

■海幸・山幸

火の中から産まれてきた三人の子供のうち、お兄さん(ホノスソリノミコト*1)は海で釣りをするのが上手だったのでウミサチヒコ(海幸彦)と呼ばれ、弟(ヒコホホデミノミコト*2)は山で狩りをするのが上手だったのでヤマサチヒコ(山幸彦)とよばれました。

[註] *1 『日本書紀』では火闌降命、『古事記』ではホデリノミコト・火照命
*2 『日本書紀』では主に彦火火出見尊、『古事記』ではホオリノミコト・火遠理命

ある日二人は「取りかえっこしてみよう。」と話して、ウミサチヒコは山に狩りに行き、ヤマサチヒコは海に釣りに行きました。しかし、二人とも何にも捕まえられませんでした。それに、ヤマサチヒコはお兄さんから借りた釣針を海でなくしてしまって困っていました。

ヤマサチヒコは自分の刀をこわして沢山の釣針を造って「これで許してください。」と一生懸命謝りましたが、お兄さんは「なくなったあの釣針じゃないとだめだ。」と許してくれません。

■海宮遊行

どんなに探しても釣針を見つけられないヤマサチヒコが困っていると、おじいさん(シオツチノオジ)がやってきて「どうしてそんなに困っているのですか。」と聞きました。ヤマサチヒコがわけを話すと、あっという間に船を造り、「この船で海の世界に行きなさい。」といいました。

ヤマサチヒコはおじいさんの言う通り、その船に乗って海の底深くに潜っていきました。

さて、海の世界に行ったヤマサチヒコは、海神の宮という家の前にある大きな木の上に登っていました。そこは海の世界を守っている神様(ワタツミ・トヨタマヒコ)の家でした。

すると、そこに井戸の水を汲もうとしたトヨタマヒメがやってきました。木の上に人がいるのを見てびっくりしたトヨタマヒメは急いで家に帰って

「井戸に水を汲みに行ったら、そばの木の上に男の人がいました。その人はとても立派なお顔をしていて、きっととても偉い人だと思います。」と両親に話しました。

海の神様が「あなたはどなたですか。」と聞いたので、ヤマサチヒコは「私は天から降りてきた神の子供です。」と答えました。

海の神様は、ヤマサチヒコをとても大切なお客様として、たくさんのご馳走や踊りを披露したりしてもてなしました。それからしばらくしてヤマサチヒコはトヨタマヒメと結婚して、海の神様の家で一緒に暮らしていました。

ヤマサチヒコが海の国に来て三年がたちました。ときどき「はあ」と溜め息を吐くヤマサチヒコをみてトヨタマヒメが「ひょっとしてあなたは自分の家に帰りたいのですか。」と聞くと、ヤマサチヒコは「その通りだ。」と答えました。そこでトヨタマヒメは父親に、ヤマサチヒコは帰りたいといっていると相談をしました。

娘から話を聞いた海の神様は、ヤマサチヒコが探しているお兄さんの釣針をみつけてあげようと、海の世界の全部の魚を集めました。すると魚たちが「鯛が口が痛いと言って来ていません。」というのでその鯛を呼び出して口の中をみるとヤマサチヒコの針が刺さったままになっていました。

そして、この針を海の神様が取ってあげました。

さあ釣針が見つかったので、これでお兄さんに返すことができます。地上の世界に帰ろうとしているヤマサチヒコに向かってトヨタマヒメが言いました。「もうすぐあなたの赤ちゃんが産まれます。赤ちゃんを産むときにはあなたの所に行きますので、家を造って待っていてください。」そして、ヤマサチヒコは、釣針と海の神様からもらった二つの魔法の瓊(たま)をもって、地上の世界に帰っていきました。

青島神社
御祭神 彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神
宮崎県宮崎市青島2丁目13番1号

引用:宮崎県 「民話と伝承」

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日本神話と神々

神代神話の概略構成

現在、日本神話と呼ばれる伝承は、そのほとんどが『古事記』、『日本書紀』および地方各国の『風土記』にみられる記述をもとにしています。高天原の神々を中心とする神話がその大半を占めていますが、その一方で出典となる文献は決して多くはありません。

本来、日本各地にはそれぞれの形で何らかの信仰や伝承があったと思われ、その代表として出雲(神話)が登場しますが、倭(ヤマト)王権の支配が広がるにつれて、そのいずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」(祟る神)という形に変えられて、「高天原神話」の中に統合されるに至ったと考えられています。

また、後世までヤマト王権などの日本の中央権力の支配を受けなかった北海道や琉球にはそれぞれ独自色の強い神話が存在します。自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは古代人にとっても大きな問題でした。『古事記』、『日本書紀』の最初の部分は世界誕生のころの物語となっていますが、『古事記』と『日本書紀』との間で、物語の内容は相当に異なります。

さらに、『日本書紀』の中でも、「本書」といわれる部分の他に「一書」と呼ばれる異説の部分があります。これはヤマト王権が各国の伝承・特産などを調べ『風土記』として提出させたのですが、このようにして、神々の誕生の神話は1つに定まっていないので、公平に一書として併記しているのは、すでに当時、日本は民主国家的であったということをすさしているとも思えます。

『古事記』(和銅5年(712年)は一般に一つのストーリーとなっている歴史書で、『日本書紀』(養老4年(720年)に完成)は、対外向け正史といわれていていますが、特に有名な出雲神話・日向神話(天孫降臨)は古事記以外の伝承も記載しました。

記紀などにおいて神代(かみよ 神の時代、神話時代)として記された神話は、以下の通りです。神代は、神武天皇の在位する以前までの時代のことである。

『古事記』

『古事記』によれば、世界のはじまった直後は次のようであった。
『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたときであり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には、日本神話における天地開闢のシーンといえば、近代以降は『古事記』のこのシーンが想起される。

『日本書紀』

『日本書紀』における天地開闢は、渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。
続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。
また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。

ここでは神社に祀られる御祭神の由来と関係のある神話に絞って、できるだけ簡潔に解説することを心がけております。

第1巻 創世編
第2巻 高天原編
第3巻 出雲編
第4巻 日向編
第5巻 人代編

あらすじ

第1巻

創世編

天地の始まり 天地開闢(てんちかいびゃく)

世界の最初に高天原で、別天津神・神世七代という神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのが伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)・伊弉冉尊(伊邪那美・いざなみ)である。

国産み・島産み

イザナギ・イザナミの両神は葦原中国に降り、結婚して大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していった。

神産み

さらに、さまざまな神々を生み出していった。一部内容ではイザナギは黄泉の国へ向かい、その後、黄泉のケガレを祓う為禊をし、この時もさまざまな神々が生まれた。

黄泉の国(よみのくに)

第2巻

高天原編

 (高天原神話)

アマテラスとスサノオの誓約

素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)は根の国へ行途中高天原へと向かう。天照大神(天照大御神・あまてらす)はスサノヲが高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノヲを迎えた。スサノヲはアマテラスの疑いを解くために誓約で身の潔白を証明した。

天岩戸

しかし、スサノヲが高天原で乱暴を働いたためアマテラスは天岩戸に隠れた。そこで、神々は計略でアマテラスを天岩戸から出した。スサノヲは下界に追放された。

第3巻

出雲編

ヤマタノオロチ

スサノヲは出雲の国に降り、八岐大蛇(八俣遠呂智)を退治し、奇稲田姫(櫛名田比売・くしなだひめ)と結婚する。スサノヲの子孫である大国主(大己貴命・おほあなむち)はスサノヲの娘と結婚し、少彦名命(すくなひこな)と葦原中国の国づくりを始めました。

因幡の白兎

兄神たちの迫害

オオクニヌシ(大国主)の国づくり

オオクニヌシ(大国主)の国譲り(葦原中津国平定)

高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのはアマテラスの子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に使わした。最終的に大国主が自らの宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束します。

第4巻

日向編

天孫降臨

アマテラスの孫である瓊々杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が葦原中国平定を受けて日向に降臨した。ニニギは木花開耶姫(木花之佐久夜毘売・このはなさくやひめ)と結婚し、木花開耶姫は(主に)火中で御子を出産しました。

山幸彦と海幸彦

ニニギの子である海幸彦・山幸彦は山幸彦が海幸彦の釣り針をなくした為、海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、兄に釣り針を返し従えた。山幸彦は海神の娘と結婚し彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(鵜草葺不合命)という子をなした。ウガヤフキアエズの子が神日本磐余彦尊(神倭伊波礼毘古命・かんやまといわれひこ)、後の神武天皇である。
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となる。

第5巻

人代編

神武東征

カムヤマトイワレヒコは兄たちと謀って大和を支配しようともくろみます。ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦しますが、結局は成敗されます。彼は畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)の山麓で即位します。これが初代天皇である神武天皇であられます。

神武天皇の死後、神武天皇が日向にいたときの子である手研耳命(たぎしみみ)が反乱を起こします。神渟名川耳尊(神沼河耳命・かむぬなかわみみ)がそれを破り、皇位を継ぎます。

タギシミミの反逆

神武天皇が崩御した後、皇位に就こうと画策したタギシミミをカムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)らが討ちます。

欠史八代

『古事記』・『日本書紀』において、系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のことです。あるいはその時代を指します。神社の神々(御祭神)としてはとくに見当たらないので省きます。

引用参考:ウィキペディア、神社人

【日本神話】 第4巻「日向編」 第1章 天孫降臨

■日向神話の構成

日本神話の中心は古事記・日本書紀にみえる神話です。この2つの書の神話は必ずしも同じではないが、全体としては1つの筋をもっていて、日本国と皇室の創生の物語が中心となっています。その物語の舞台は3つあります。出雲(今の島根県)、そして日向(今の宮崎県)と大和(今の奈良県)です。(高天原を加えれば4つ)

出雲の場合は大方が独立した物語で展開します。それに対して、日向と大和の場合は、天・地・海の神の世界から日向へ、日向から大和へと連続した物語として展開します。

このように2つの書は、内容上は、大きくは「神の世界の物語」から「日向での神と人との物語」そして「日向から大和の人」の物語へと展開します。

なかでも注目されるのは、日向を舞台とした「神」の世界から「神と人」の世界として展開し、それは「日向三代神話」とよばれています。

それはアマツカミ(天神)「ニニギノミコト(一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命)」の御代の、「天孫降臨」「コノハナノサクヤビメの結婚」、「火の中の出産」

(コノハナノサクヤビメ 『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫)
アマツカミ(天つ神)「ホホデミノミコト」の御代の「海幸・山幸」「海宮遊行」

アマツカミ(天つ神)「ウガヤフキアエズノミコト」の御代の
「ウガヤフキアエズの誕生」
(『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命、『日本書紀』では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)

それに神武天皇の「神武東征(東行)」

以上7つの物語が主たる内容になっています。

そしてその物語の展開は、アマツカミ(天神)とその子孫がクニツカミ(国津神・地神)のヒメ神と、さらにはワタツミノカミ(海神)のヒメ神と結婚し、人皇であるカムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)が誕生するという構成になっています。これは、アマツカミ(天神)によるクニツカミ(地神)とワタツミノカミ(海神)の統合の上に人皇初代が生み出されたという古代の人々の考えが表わされていて、これが日向を舞台としている神話の特色です。

なぜ古代国家のなかでも、都から遠くはなれた僻遠の地にある日向が、これらの物語の舞台になったのであろうか。それは一口でいえば、この物語が創りだされる時代に、日向が朝廷と深いかかわりを持っていて、日向を無視できない事情があり、また物語の展開の上で最もふさわしい土地とみられる要素があったことが考えられる。歴代天皇にかかわる日向の女性が物語のなかにしばしば登場するのもそれらを示唆しているものと思われます。

■天孫降臨

雲の上のまだずっと高くの神様の国で、この日本を造った神様たちがお話をしていました。アマテラスオオミカミという一番えらい神様が、(自分の孫の)ニニギノミコトという神様にいいました。「この稲の穂と、神の三つの宝の鏡・曲玉・剣をもって地上に降りていきなさい。そして、日本の国(葦原中国)がもっといい国になるように頑張ってきなさい。」

それでニニギノミコトは神様の国を離れて、筑紫の日向の高千穂という場所に降り立ったのです。

■コノハナノサクヤビメの結婚

高千穂に降り立ったニニギノミコトはその近くに家を建てて住んでいましたが、そこでとても美しい女の人に出会いました。ニニギノミコトは、その美しい姫(コノハナサクヤヒメ)と結婚したいと思い、姫の父親にお願いしました。父親は「姫を嫁に欲しいのなら、姉(イワナガヒメ)の方も一緒にもらってくれ。」といって二人の姫をくれました。ところが、ニニギノミコトは美人ではないお姉さんを「いらない。」と家に返してしまいました。返された姫は大変腹をたてて「神様の子も人の子も、生きているものは必ず死んでしまうようにしてやる。」と呪いをかけました。

■火の中の出産

さて、ニニギノミコトと結婚したコノハナサクヤヒメのお腹には赤ちゃんができました。しかしニニギノミコトがそのことを喜ばなかったので、コノハナサクヤヒメはとても悲しんで、「この赤ちゃんが本当にあなたの子ならきっと生き残るでしょう。」といって自分の部屋に火をつけてしまいました。  メラメラと燃える火の中で生まれてきたのが、ホノスソリノミコト(ウミサチヒコ)・ヒコホホデミノミコト(ヤマサチヒコ)・ホノアカリノミコトの三人です。

引用:宮崎県 「民話と伝承」

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【日本神話】 第1巻「創世編」 第3章 神産み 自然にまつわる神々

イザナギとイザナミはさらに、海や川、山、雨、風、田などの神々を産みました。 ところが、最後に火の神を産んだイザナミノミコトは、わが子の火でからだを焼かれ死んでしまいました。黄泉の国(よみのくに)へ行ってしまったのです。これが生者と死者のはじまりです。

イザナギはイザナミを黄泉の国(よみのくに)へ迎えに行ったのですが、死者となったイザナミは既に変わり果てた姿になって連れ戻すことはできませんでした。 別れ際に1日に1,000人を殺すと言い、イザナギノミコトはそれならば1日に1,500人産もうと言いました。その時から日本の人口は増えていったのです。

島ができあがると、妻のイザナミは、それぞれの島を治める神様を生みました。それに続いて、石や土の神様、家の神様、風の神様、川や海の神様、山の神様と、たくさんの神様が生まれてきましたが、火の神様を生んだとき、イザナミは大やけどをしてしまいました。

大やけどに苦しみながら、イザナミはなおも、粘土(ねんど)の神様や、水の神様、鉱山の神様などを生みました。無理を重ねたイザナミの体は、みるみるうちに弱ってゆきます。イザナギはけんめいに看病(かんびょう)をしましたが、そのかいもなく、イザナミはとうとう亡くなってしまいました。

「愛するおまえの命を、一人の子の命とひきかえにしてしまった」

イザナギは、イザナミのなきがらにとりすがって、ぽろぽろとなみだを流して泣きました。そしてイザナミを、出雲(いずも)の国と伯耆(ほうき)の国の境にある比婆山(ひばやま)にほうむりました。イザナギは、妻に大やけどをおわせた火の神のことを、どうしても許すことができず、とうとう、剣で切り殺してしまいました。

・大事忍男神(おほことおしをのかみ)
古事記で、イザナギとイザナミが国産みを終えて神産みの最初に産んだ神である。
神名は、「大事を終えた男神」として、国産みという大仕事を終えたことを表した神名であると解釈されることが多い。ただし、『古事記伝』においては、大事忍男神は熊野本宮大社に祭られる事解之男神のことであり、本来は黄泉から帰還したイザナギの禊祓に現れるべき神を誤って神産みの最初に入れてしまったのであろうと解釈している。

家宅六神(かたくろくしん)
家宅六神は、建物の材料や構造を示したもの。

・石土毘古神(いはつちびこのかみ)
・石巣比売神(いはすひめのかみ)
・大戸日別神(おほとひわけのかみ)
・天之吹男神(あめのふきおのかみ)
・大屋毘古神(おほやびこのかみ)
・風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ)

・大綿津見神(おほわたつみのかみ) 海の神
・速秋津日子神(はやあきつひこのかみ) 別名水戸神(みなとのかみ)=港の神 男女一対の神
・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ) 〃  〃
・速秋津日子神と速秋津比売神は以下の神々を産んだ
・沫那藝神(あはなぎのかみ)
・沫那美神(あはなみのかみ)
・頬那藝神(つらなぎのかみ)
・頬那美神(つらなみのかみ)
・天之水分神(あめのみくまりのかみ)
・国之水分神(くにのみくまりのかみ)
水分神(みくまりのかみ)水の分配を司る神。日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場する。

・天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)
・国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)
・志那都比古神(しなつひこのかみ) 風の神
・久久能智神(くくのちのかみ) 木の神
・大山津見神(おほやまつみのかみ) 山の神。大山積神、大山津見神、大山祇神 別名は 和多志大神、酒解神
・鹿屋野比売神(かやのひめのかみ) 草の神。別名は野椎神(のづちのかみ)。神名の「カヤ」は萱のことである。
(萱は屋根を葺くのに使われるなど、人間にとって身近な草であり、家の屋根の葺く草の霊として草の神の名前となった。)

大山津見神と野椎神は以下の神々を産んだ
・天之狭土神(あめのさづちのかみ)
・国之狭土神(くにのさづちのかみ)
・天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)
・国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)
・天之闇戸神(あめのくらどのかみ)
・国闇戸神(くにのくらどのかみ)
・大戸惑子神(おほとまとひこのかみ)
・大戸惑女神(おほとまとひめのかみ)
・鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ) 別名は天鳥船(あめのとりふね)
・大宜都比売神(おほげつひめのかみ) 穀物や食物の神
・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ) 火の神。別名は火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)

火の神・迦具土神を出産したとき女陰が焼け、イザナミは病気になった。病に苦しむイザナミの吐瀉物などから次々と神が生まれた。
・金山毘古神(かなやまびこのかみ、イザナミの吐瀉物から生まれる)
・金山毘売神(かなやまびめのかみ、イザナミの吐瀉物から生まれる)
(「金山」は鉱山のこと。金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)とともに鉱山の神として信仰されている。)
・波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ、イザナミの大便から生まれる)
・波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ、イザナミの大便から生まれる) 土の神
(「ハニ」(埴)とは粘土のことであり、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意とされる。)
・彌都波能売神(みつはのめのかみ、イザナミの尿から生まれる) 水の神
・和久産巣日神(わくむすひのかみ、イザナミの尿から生まれる) 食物(ウケ)の神。神名の「ワク」は若々しい、「ムスビ」は生成の意味であり、穀物の生育を司る神である。
和久産巣日神には以下の一柱の子がいる。
・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ) 食物(ウケ)の神。豊受比売神

引用:兵庫県立歴史博物館「ひょうご歴史ステーション」 ・ウィキペディア

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