【地名地誌】 十戸(じゅうご)と石井

十戸(じゅうご)

神鍋高原へ向かう国道482号は、かつては西気道といって、但馬国府から稲葉川上流まで西へ進み、蘇武峠を越えて村岡の山陰道に合流する近道として因幡へ抜ける重要な道であったようだ。

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【地名地誌】 日高村(気多郡日置郷・高田郷・高生郷)

より大きな地図で 但馬の式内社 を表示

『国司文書 但馬郷名記抄』
孝徳天皇大化2年、いわゆる大化改新による諸制度一新の詔勅に基づき、翌3年、本郡高田邑に兵庫を建て軍団を置く。

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伯耆国庁・国分寺

  

鳥取市から倉吉市へは国道9号線が、鳥取バイパス、青谷羽合道路が開通し、国庁所在地で別の旧国であるが時間的に早くなった。高校時代にまだ国鉄だった頃、同級生3人と香住から夜行の山陰号でどこまで行けるかと乗った。今は時効だろうが最初で最後のキセル乗車である。誰も乗っていない客車で限界を感じて倉吉駅で降りて引き返した。深夜の倉吉駅は遠くて寂しい思いがしたことを覚えている。

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第5回 姫路城の作事 

姫路城の作事

■作事(さくじ)とは

天守や櫓、門、御殿など建築工事及びその工事に付帯的な作業

・天守・櫓を上げる
・城門をつくる
・土塀を掛ける
・御殿を建てる
・土蔵、番所、馬屋を立てる

1.姫路城天守

・連立式天守
・白漆喰総塗籠
・後期望楼型天守
(大天守各層の理想的な逓減率)
・破風(はふ)と懸魚(げぎょ)の巧みな配合
・大通柱工法(大天守)

1)窓

■格子窓
・八角形の格子 漆喰塗
・土戸 外側漆喰塗・引き戸
・明障子・排水管(鉄製)
・柱を挟んで半間ごと

■華頭窓
・黒漆塗り、金属金具(乾・西小天守)

■鉄格子窓

■出格子窓

八角形の格子

2.大天守内部

■東大柱:樅の一本材 一部根継(檜)

■西大柱:3階床部分で2本継

・檜材(上部)・・・笠形神社(樹齢650年)
・檜材(下部)・・・木曽国有林(樹齢765年)


江戸時代の西大柱

3.小天守

■東小天守

3重 地上2階、地下1階
簡素な造り

■乾小天守

3重 地上4階、地下1階

■西小天守

3重 地上3階、地下2階

4.渡櫓と台所

■イ・ロ・ハの渡櫓 地上2階・地下1階
■ニの渡櫓 2重櫓門・水の御門
■渡櫓地下に籠城のための物資(塩・米)貯蔵
■台所と大天守地階、ロの渡櫓1階に出入口

5.櫓

■櫓とは

矢倉・矢蔵 弓矢を収納する倉庫、武器庫
矢の坐(くら) 弓矢を射る場所、陣地

■櫓の名称

・多聞櫓、渡櫓、付櫓
・平櫓、二重櫓、三重櫓
・鉄砲櫓、弓櫓、太鼓櫓、月見櫓など

■姫路城の櫓

27棟(重要文化財)
全国109棟現存の内、27棟

・櫓座敷(化粧櫓・帯の櫓)や武者櫓(帯郭櫓)を備える櫓
・櫓形式の井戸(ロの櫓、井郭櫓)
・長大な多聞櫓(西の丸櫓群)、二重の多聞櫓(りの一渡櫓)
・極端な変形平面を持つ櫓群(北腰曲輪櫓群)
・穴倉式(りのニ渡櫓・折廻り櫓)、半地下式(帯郭櫓)の櫓
・菱形の櫓(トの櫓)
・防御と華やかな雰囲気を合わせ持つ櫓(西の丸櫓群)

第4回 2.姫路城の普請 石垣

[catlist categorypage=”yes”] 2.姫路城の石垣

三つの異なる石積み形式

1)羽柴時代(野面積み)
2)池田時代(打込接ぎ)
3)本多時代(打込接ぎ・一部切込接ぎ)

秀吉時代の野面積み 上山里


秀吉時代(右)と池田時代の石組み(左) 二の丸
武蔵野御殿池護岸石垣


算木積み 扇の勾配(二の丸隅部)


打込接ぎ 武蔵野御殿池護岸石垣


人面石 ぬノ門前

第4回 姫路城の縄張り・普請

Ⅰ.選地

築城は四要素 選地・縄張・普請・作事

1。選地

城をどこに置くか
-城の防御と領国経営の要諦

山 城    →  平山城・平城
(防御主体)  (領国経営主体)

姫路城は、理想的な選地

・三方を山に囲まれ
・市川・夢前川が流れる平野の中央
・交通の要衝に恵まれた地

姫山と鷺山の高低差を生かした平山城

【四神相応】
中国儒書『礼記』(らいき)…都城の理想的な選地

(姫路城)  (平安京)
■東 青龍 <流水>  市川     鴨川

■南 朱雀 <窪地>  瀬戸内海   巨椋池

■西 白虎 <大道>  山陽道    山陽道

■北 玄武 <丘陵>  広嶺山系   船岡山

2.縄張

築城における曲輪や建物の配置、計画、城下町の地割すなわち築城の総合的な計画・設計

■縄張のタイプ

・輪郭式・・・大坂城、駿府城など
・梯郭式・・・岡山城、熊本城、萩城など
・連郭式・・・彦根城、水戸城など

■姫路城の縄張(全体)

・らせん状(左巻き)に三重の堀
・三つの曲輪
内曲輪(内堀内)・・・城郭と居館
中曲輪(中掘内)・・・侍屋敷
外曲輪(外堀内)・・・町家、寺町、侍、組屋敷

・総構えの縄張
城と城下町全体を土塁と堀で囲んだ縄張

■姫路城の縄張(内曲輪)

・二つのタイプの縄張が共存
姫山・・・小さな曲輪・ひな壇状に集合 迷路のように複雑に分かれた古いタイプの縄張(秀吉時代の曲輪利用)
鷺山・・・一つの大きな曲輪(西の丸)

Ⅱ.普請(ふしん)

■普請とは・・・築城における土木工事または土木工事を伴う建築工事

・石垣  石垣を築く
・堀   堀をうがつ
・土塁  土塁を盛る

第3回 姫路城の歴史と人物

[catlist categorypage=”yes”] 姫路城の歴史を人物でたどる。

1.最初の築城説

赤松貞範築城説と黒田重隆築城説がある。

■赤松貞範築城説
『赤松播磨録』(延享4年(1747))
『播磨鑑』(宝暦12年(1762))典拠
貞和2年(1346)築城の根拠…正明寺板碑

■黒田重隆・職隆(もとたか)築城説
天文24年(1555)から永禄4年(1561)の間
根拠…姫道御構(ひめじおんかまえ)の存在確認
(姫道村助太夫の畠地売券(正明寺文書))
※永禄4年(1561)12月に、姫道村助太夫が、母屋藤兵衛尉に畠地を直銭弐貫七百文で売った。土地の場所は「姫道御構東門之口、妙楽寺の西」にあったという。

2.中世の姫路城  ※「姫路城史」橋本政次著説

■1代 初代城主 赤松貞範(貞和2年(1346))
-その後、貞範が庄山城へ(1349)

■2~5代 第一次小寺氏
頼季(よりすえ)-景治ー景重-職治(もとはる)
-貞和5年(1349)~嘉吉元年(1419)

■6代 山名持豊(宗全) 嘉吉の変後赤松氏滅亡後、播磨守護職として姫路城主 嘉吉元年(1441)

■7代 赤松政則 赤松宗家を再興し、姫路城主に 応仁元年(1467)
-その後置塩城へ(文明元年(1469))

■8~10代 第2次小寺氏
小寺豊職(とよもと) 文明元年(1469) 応仁の乱に遭遇
小寺政隆     延徳三年(1491) 御着城を築く
小寺則職(のりもと) 永正16年(1519) 御着城主に転ず

■11代 八代道慶(小寺家家老)姫路城を預かる
享禄4年(1531)~天文14年(1545)

——————————————-

■12~14代 黒田氏三代(約35年間)
小寺氏家臣であった黒田重隆 小寺氏の命により、御着城から姫路城へ移る。
重隆によって居館程度の規模であった姫路城の修築がある程度行われ、姫山の地形を生かした中世城郭となったと考えられている。

12 黒田重隆 天文14年(1545)
-職隆 永禄7年(1564)
-孫の孝高(官兵衛、如水) 永禄10年

・天正8年(1580)
黒田孝高 秀吉に「本拠地として姫路城に居城すること」を進言し、国府山城へ移る。

■15~17代 秀吉三代(約20年)

・天正5年(1577) 羽柴秀吉 播磨へ侵攻
天正8年(1580)秀吉 播磨平定
天正9年(1581)三重の天守完成

・天正11年(1583)羽柴秀長
・天正13年(1585)木下家定

3.近世の姫路城

■18~20代 池田氏三代(約17年)

・慶長5年(1600)
池田輝政 三河吉田15万2千石から関ヶ原の戦いの戦功により52万石に加増入封
三木、明石、平福、龍野、赤穂、高砂に支城

・慶長6年(1601)~慶長14年(1609)
白亜の姫路城築造 総構えの城下町
8年掛けた大改修で広大な城郭を築いた。
普請奉行 池田家家老伊木長門守忠繁、大工棟梁は桜井源兵衛
作業には在地の領民が駆り出され、築城に携わった人員は延べ4千万人 – 5千万人であろうと推定されている。

・慶長5年(1600) 池田輝政
・慶長18年(1614) 池田利隆
・元和2年(1616年)池田光政 →元和3年(1617)因幡鳥取へ転封

4.譜代・親藩大名の入・転封

■21~23代 本多家三代(第一次本多氏22年間)

・元和3年(1617) 本多忠政 伊勢桑名10万石から15万石に加増され入城
・元和4年(1618) 千姫が本多忠刻に嫁いだのを機に西の丸造営、御殿群築造

本多忠政-政朝-正勝 寛永16年(1639)大和郡山へ

■24・25代 奥平松平家 忠明 寛永16年(1639)大和郡山より
忠弘 正保元年(1644)出羽山形へ

■26・27代 越前松平家(結城) 直基 慶安元年(1648)出羽山形より
直矩 慶安元年(1648)越後村上へ

■28・29代 榊原家 忠次 慶安2年(1649)陸奥白河より
政房 寛文5年(1648)

■30代 再度越前松平家 直矩 豊後日田へ

■31・32代 再度本多家 忠国 天和2年(1682)陸奥福島より
忠孝 宝永元年(1704)越後村上へ

■33~36代 再度榊原家 政邦 宝永元年(1704)越後村上より
政祐 享保11年(1726)
政岺(まさみね) 享保17年(1732)
政永 寛保元年(1735)越後高田へ

■37・38代 再々度越前松平家 明矩(あきのり) 陸奥白河より
朝矩(とものり) 上野前橋へ

■39~48代 酒井家十代

39 酒井忠恭(ただずみ) 寛延2年(1749)松平朝矩と入れ替わり前橋城より入城する。
40 酒井忠以(ただざね) 安永元年(1772)
41 酒井忠道(ただひろ) 寛政2年(1790)
42 酒井忠実(ただみつ) 文化11年(1814)
43 酒井忠学(ただのり) 天保6年(1835)
44 酒井忠宝(ただとみ) 弘化元年(1844)
45 酒井忠顕(ただてる) 嘉永6年(1853)
46 酒井忠績(ただしげ) 万延元年(1860)
47 酒井忠惇(ただとう) 慶応3年(1867)
48 酒井忠邦(ただくに) 明治元年(1868)

第2回 城郭の歴史と姫路城

姫路城築造には、赤松貞範築城説と黒田重隆築城説がある(後に記述する)。

1.戦国時代の姫路城■天文14年(1545)
黒田重隆、小寺氏の命により御着城から姫路城に移る(御着城の出城(支城)としての姫路城)■永禄4年(1561)
黒田重隆・職隆、城を改修する永禄4年12月・「姫路御構」の存在確認■天正8年(1580)
黒田孝高(官兵衛)、羽柴秀吉に姫路城を勧める
(黒田職隆・孝高父子は、妻鹿国府山城へ)2.羽柴秀吉

姫路城築城

三重の天守築造 天正9年(1581)
中国攻めの拠点としての姫路城…『豊鑑』『播磨鑑』

拙者付記 但馬征伐もおこなう

3.築城最盛期の築城(池田輝政の大改修)

■慶長6年(1601)~14年(1609)
池田輝政が白亜の姫路城を完成(播磨の国主を誇示する姫路城)
・連立式天守構造
5重7階(地上6階・地下1階)の大天守
東・乾・西小天守をイロハニの渡櫓
・総構えの城下町造営

4.姫路城・総構えの城下町

  
■らせん状に三重の堀
■三つの曲輪
・内曲輪(内堀内)…城郭と居館
・中曲輪(中掘内)…侍屋敷
・外曲輪(外堀内)…町家、寺町、侍屋敷・組屋敷

■総構え…城と城下町全体を堀と土塁で囲む
■山陽道を城下町に引き込む

5.武家諸法度下の築城

■本多忠政の御殿築造
元和4年(1618)
西国の藩鎮、西国探題職、幕府を守る姫路城
・西の丸櫓群、中書丸御殿
・御殿群構造
居城(本城)、武蔵野御殿、向屋敷、樹木屋敷(西屋敷)、東屋敷築造

「姫路侍屋敷図」姫路市立城郭研究室蔵

第1回 城郭の歴史(古代山城、中世城館、近世城郭)

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※放送大学兵庫学習センター(姫路)第2学期面接授業
「城郭の歴史と姫路城を学ぶ」

1.城郭とは?

■「城」とは、
「土に成る」
地面を掘り、土を盛って囲った区画

■「郭」とは、
「囲いのある所」
「物の外まわり」

『古事記』…「稲城(いなぎ)」、『日本書紀』…「城(き)」

2.城郭の主な系譜

■古代山城
7世紀後期(飛鳥時代末期)約30
■中世城館
13世紀~16世紀
(鎌倉・南北朝・室町時代)
約40,000
■近世城郭
16世紀後期~19世紀(桃山・江戸時代)
約200~300

3.その他の城郭

■都城…外郭ラインに城壁は築かれず、築地塀や区画溝で囲む
7世紀~8世紀はじまり
藤原京、平城京など

■城柵…古代朝廷の東北地方計略の拠点 8世紀
多賀城、秋田城、志波城など

■チャシ…物見や祭祀の場としても利用されたアイヌの砦

■グスク…琉球(沖縄)で地方領主が地域支配のために築く 14世紀
中城城、勝連城、今帰仁城など

4.古代山城 7世紀後期

■朝鮮式山城
大野城、基肄(きい)城、屋島城、高安城、金田城など6城

■神籠石系山城
城山城、鬼ノ城、大廻小廻山城、石城山城、高良山城、女山城、雷山城など

西日本中心に30ヶ所があるといわれ、現在23ヶ所確認

5.中世城館 13世紀~16世紀(鎌倉・南北朝・室町時代)

■在地領主(土豪や国人など)による私的な城
■山上には詰めの城、普段は麓の居館に居住
■居館
方形、周囲に土塁・堀
■詰城
山上の尾根伝いに段々畑状の小さな曲輪を連ね、要所に空堀や土塁を配置
堀切(尾根を切断)、堅堀(山の斜面を竪に区画)、切岸など

詰城例…浅井氏小谷城、北条氏小田原城、尼子氏月山冨田城、六角氏観音寺城、毛利氏吉田郡山城、上杉氏春日山城など
居館例…足利氏館、一乗谷朝倉氏館など

6.近世城郭 16世紀後期~19世紀(桃山・江戸時代)

■安土城築城(織田信長)天正4年(1576)
・天主を持つ城(5重7階)…熱田の宮大工、岡部友右衛門
・総石垣の城…穴太衆の存在
・瓦の使用(金箔瓦)…奈良の瓦工集団
・御殿の築造
・城下町の出現(楽市・楽座)

7.豊臣秀吉の天下統一(天正18年(1590))

■近世城郭は全国に普及
秀吉配下の大名たちが大城郭を築造
・羽柴秀長 大和郡山城 天正13年(1585)
・毛利輝元 広島城 天正17年(1589)
・宇喜多秀家 岡山城 天正18年(1590)

■秀吉による天下普請
・大坂城  天正11年(1583)
・聚楽第  天正14年(1586)
・肥前名護屋城 天正19年(1591)
・伏見城 文禄元年(1592)

8.築城ラッシュ(慶長の築城最盛期)

■関ヶ原の戦い(慶長5年(1600))の後
・大名たちの全国的な配置換え

■加増された広大な領地を与えられた外様大名たち
(中国・四国・九州中心)

・加増に見合う大城郭を新築・大改修

■一方、徳川幕府は、外様大名たちを動員して天下普請の城を築造
(豊臣包囲網・外様大名の財力消耗)

9.築城最盛期の城

■外様大名による築城
熊本城(加藤清正)、福岡城(黒田孝高・長政)
小倉城(細川忠興)、伊予松山城(加藤嘉明)
高知城(山内一豊)、萩城(毛利輝元)
松江城(堀尾吉晴)、津山城(森忠政)
姫路城(池田輝政)、伊賀上野城(藤堂高虎)
仙台城(伊達政宗)など

■徳川家康による天下普請
彦根城、江戸城、駿府城、篠山城、名古屋城
丹波亀山城(再築)、高田城、伏見城(再築)など

10.幕府による城の規制

■大坂の陣(慶長20年(1615))後の幕藩体制の強化

・一国一城令(元和元年(1615)6月)
一つの国に一つだけの城を認め他は廃止

・武家御法度(元和元年(1615)7月)
「諸国の居城、修復を為すと言えども必ず言上すべし、況んや新儀の構営、堅く停止せしむる事」
・居城修復に事前に幕府に届け、許可を受ける
・新城の築城や修復以外の新たな工事は一切禁止

11.天守代用櫓と天主がない城

■天守代用櫓(御三階櫓)…新発田城、丸亀城

■天守台はあるが天主がない城…赤穂城、篠山城

12.城の規制下での築城

■幕府の政略上
・明石城 小笠原忠真 元和3年(1617)
・福山城 水野勝成 元和6年(1620)

■幕府の天下普請
・徳川大坂城再築 元和6年、寛永元年、5年(1628)
・二条城     寛永元年(1624)

■外様大名の転封による
・赤穂城 浅野長直 慶安元年(1648)
・丸亀城再築 山崎家治 寛永19年(1642)

13.幕末の築城

■海防の強化
・新城の築城(砲台を設置)
福山(松前)城 松前崇広 嘉永2年(1849)
石田城  五島盛正 嘉永2年( 〃)

■様式築城
・五稜郭 安政4年(1857)

■砲台
・品川台場、和田岬砲台

14.明治維新後の城郭

■存城・廃城令 太政官布達 明治6年(1873)1月14日

全国の城郭に対し、「存続」と「廃城」の線引き
旧城郭の管轄の二分化

存城・・・56城(姫路城、名古屋城など)陸軍省の管轄
廃城・・・190の城・陣屋など 大蔵省の管轄