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【たじまる】 全国的に有名な山城 竹田城

兵庫県朝来市竹田 国史蹟(昭和18年) JR播但線竹田駅の西方、古城山(標高353.7m)の山頂部 中世山城で全国的にも有名な竹田城は、山陰道と播但道が分岐する交通の要所にそびえ立ち三方が見渡せる。 竹田城門 【竹田城趾の概要】 大手門 縄張りが虎が臥せているように見えることから別名「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」と呼ばれる。 また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川 […]

山名持豊と九日市守護所

「武家列伝」さんの山名氏によると、 山陰地方に大勢力を築いた時氏らは、南朝方と呼応して文和二年(1353)には京に攻め入り、京を支配下においた。そして、直義の養子である直冬に通じて義詮方と対抗した。以後、直冬党として幕府と対立を続けたが、貞治二年(1363)、安芸・備後で直冬が敗れて勢力を失うと大内氏につづいて幕府に帰順した。帰順の条件は、因幡・伯耆・丹波・丹後・美作五ケ国の守護職を安堵するという […]

楽々前(ささのくま)城と宵田城の落城

楽々前(ささのくま)城と宵田城の落城 天正八年(1580)、羽柴秀吉の但馬侵攻に際して、ときの城主垣屋峰信は織田勢に抗戦、敗れて討死したという。その後、秀吉政権下の有子山城主の支配化におかれ、 現在みられる縄張りはそのおりに改修されたものと考えられている。 宵田村には市が開かれ、気多郡の集積地として栄えました。「宵田表の戦い」で羽柴軍により降参し、豊臣方へつきます。 「郷土の城ものがたり-但馬編」 […]

【但馬の歴史】(39) 秀吉の但馬平定(2) 竹田城落城

  • 2009.08.21

高生田城(たこうだじょう)落城 朝来市和田山町糸井の寺内と高生田の境の山に、中世戦国時代の山城の跡があります。この城を高生田城または福富城と呼んでいます。 この城は山名宗全が全盛のころの山城のひとつで、規模は小さいですが、豊臣勢に滅ぼされるまでは、堅固な城として栄えていました。この城に登る道が、南山のすそから大手門道、寺内の前谷というところから登る道、東の方からの道、北の城ヶ谷から登る道の四つがあ […]

山名四天王 田結庄氏と鶴城

[catlist categorypage=”yes”] 鶴城があった愛宕山。山頂へは険しそうなので行かず。 山名四天王のひとり、田結庄氏(是義)は、我が町日高町(旧気多郡)を収めた垣屋氏と仲が悪かったそうだ。 是義は愛宕山に鶴城を築いて居城とし、太田垣輝延、八木豊信、垣屋光成らと但馬を四分して勢力を広げた。やがて、但馬に出雲の尼子氏が勢力を伸ばしてくると尼子氏に味方した。 その後、織田信長の天下 […]