【たじま昔ばなし】 粟鹿山 「大山」の地名伝説(朝来市山東町粟鹿)
遠い昔のことです。 但馬(たじま)の山東(さんとう)や和田山(わだやま)のあたりは、向こう岸が見えないほど広い湖でした。粟鹿山(あわがやま)や、まわりの高い山々も、その湖の上に頭を出した島でした。人々は、粟鹿山のことを、 … 続きを読む
遠い昔のことです。 但馬(たじま)の山東(さんとう)や和田山(わだやま)のあたりは、向こう岸が見えないほど広い湖でした。粟鹿山(あわがやま)や、まわりの高い山々も、その湖の上に頭を出した島でした。人々は、粟鹿山のことを、 … 続きを読む
はるか太古のむかしより、温泉の郷として親しまれている「城崎温泉」。舒明天皇(在位629年?641年)の時代に、コウノトリが傷を癒した伝説がある。コウノトリが足の傷を癒したといわれる城崎温泉最古の湯です。庭園風呂(露天風呂 … 続きを読む
「佐渡の金山、生野(イクノ)の銀山」として知られる銀の町として有名な兵庫県生野。生野鉱山は約1200年前に開坑されたとも伝わる古い鉱山で、操業時の坑道は地下880m・坑道の長さ延べ350kmにも及び、採掘した鉱石は、金・ … 続きを読む
麻呂子親王(まろこしんのう)の鬼退治 用明天皇の時、河守荘三上ヶ嶽(現在の大江山)に英胡(えいこ)・軽足(かるあし)・土熊(つちぐま)という三鬼を首領とする悪鬼が集まり庶民を苦しめたので、天皇は麻呂子親王(まろこしんの … 続きを読む
「陸耳御笠(くがみみのみかさ)-日子坐王(ひこいますのみこ)」 大江山に遺る鬼伝説のうち、最も古いものが、「丹後風土記残欠(たんごふどきざんけつ)」[*1]に記された陸耳御笠[*2]の伝説です。 青葉山中にすむ陸耳御笠( … 続きを読む
羽衣伝説(はごろもでんせつ)は日本各地に存在する伝説です。その多くは説話として語り継がれています。最古とされるものは風土記逸文として残っており、滋賀県伊香郡余呉町の余呉湖は近江国風土記・京都府京丹後市峰山町のものは丹後国 … 続きを読む
■海部(アマベ) 丹後にはかつて、航海術に秀でた「海人族」と呼ばれる一族が住んでいたと言われています。彼らは凡海郷海没後、丹後半島へ移住を余儀なくされた。古代この地方は、漁や、塩つくりなど、海にかかわって生活する人びとに … 続きを読む
[catlist id=8 orderby=title order=asc]中国統一 中国北部の黄河地域に早くから漢民族が住み着き、農耕や牧畜を行っていました。約3500年前には殷(イン)という王朝がおこり、青銅器を祭器 … 続きを読む
丹後と徐福伝説 京都府北部の丹後半島は、若狭湾の西端に張り出した日本三景の一つ「天橋立」の近く、「舟屋」で有名な京都府与謝郡伊根町に浦嶋太郎と徐福にかかわる次の伝説が残っています。 日本海を対馬海流にのって北上した徐福( … 続きを読む