天日槍(以下、ヒボコ)は但馬出石に安住の地を決めるまで、どういう足取りを辿ったのか。
『日本書紀』、『播磨国風土記』にその足取りが記されている。
『日本書紀』ではまとめると次のルートである。
新羅-伊都国-播磨国宍粟邑-宇治川-近江国吾名邑-若狭国-但馬国
近江国と天日槍
足取りを残すようにゆかりの神社がある。
1.播磨国 宍粟 式内御形神社
中殿 葦原志許男神(アシハラノオ)
左殿 高皇産靈神(タカミムスビ) 素戔嗚神(スサノオ)
右殿 月夜見神(ツクヨミ) 天日槍神(アメノヒボコ)」 兵庫県宍粟市一宮町森添280
1.近江国 蒲生 鏡神社 「天日槍命」 滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
2.近江国 栗太 安羅神社 「天日槍命」 滋賀県草津市穴村町
3.近江国 伊香 式内鉛練日古神社 「
4.越前国 敦賀 式内気比神宮摂社角鹿神社「
5.若狭国 若狭大飯 式内静志神社「天日槍命 今は少彦名命」 福井県大飯郡大飯町父 子46静志1
6.但馬国 但馬出石 但馬国一宮 名神大 出石神社(伊豆志坐神社)「出石八前大神、天日槍命」 兵庫県豊岡市出石町宮内字芝池
神社由緒には、 「新羅より天日槍来朝し、捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し、その山裾に於て従者に陶器を造らしめる」とある。この辺りを「吾名邑」とし、「鏡邑の谷の陶人」の地とする条件はかなり揃っている。
息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。また、息長古墳群を擁し相当の力をもった豪族であった事が伺える。但し文献的に記述が少なく謎の氏族とも言われる。
1.竜王町説
滋賀県竜王町には「
鏡山神社
滋賀県竜王町鏡
御祭神 「天日槍」 神社由緒には、 「新羅より天日槍来朝し、捧持せる日鏡を山上に納め鏡山と称し、その山裾に於て従者に陶器を造らしめる」とある。この辺りを「吾名邑」とし、「鏡邑の谷の陶人」の地とする条件はかなり揃っている。
2.草津市穴村説
滋賀県草津市には穴村町という地名が残り、「安羅神社」がある。
安羅(ヤスラ)神社
滋賀県草津市穴村町
御祭神 「天日槍」
神社由緒記には、「日本医術の祖神、地方開発の大神を奉祀する」とあり、祭神は「天日槍命」とする。「近江国の吾名邑」は、ここ「穴村」に比定する。天日槍が巡歴した各地にはそれぞれ彼の族人や党類を留め、後それらの人々が彼を祖神としてその恩徳を慕うて神として社を創建した。この安羅神社である。「安羅」という社名は、韓国慶尚南道の地名に同種の安羅・阿羅があり、天日槍を尊崇するとともに、故郷の地名に執着して社名にしたものと思われる。
(*兵庫県豊岡市出石いずし町
3.米原市(旧近江町)説
米原市の旧近江町は旧坂田郡にあり、この辺りは「坂田郡
伊弉諾神社 米原市菅江(旧山東町) この神社にはつぎのような口伝がある。
古老の伝に、村の南西大谷山の中腹に、百人窟という洞穴があり、息長族系の人々が住んでいた。阿那郷と呼ばれる渡来人の遺跡と思われる。これらの人々は須恵器を作って、集団生活が始まったという。この地は古代の窯業跡とも云われる。
息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。また、息長古墳群を擁し相当の力をもった豪族であった事が伺える。但し文献的に記述が少なく謎の氏族とも言われる。
王は少毘古名命・応神天皇と並び滋賀県米原市・日撫神社に祀られている。
天日槍は近江国の
西野凡夫氏『新説日本古代史』の中で、通説では息長氏の本貫地が北近江であると考えられているが、それは間違っている。本貫地は大阪である。継体天皇を息長氏と切り離したのは、天皇家を大和豪族とは超越した存在として位置づけるための造作である、としている。
2009/08/28
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