但馬の中世武家社会の台頭と但馬守護

奈良時代の律令制からにおける地方行政組織である国司・郡司などは、平安時代末期の平治政権から、武家政権(幕府)である鎌倉時代には無実化し、地頭が設置された。平氏政権期以前から存在したが、源頼朝が朝廷から認められ正式に全国に … 続きを読む

第2章 2.『但馬故事記』に詳しい天日槍の足取り

2. 『国司文書 但馬故事記』に詳しい天日槍の足取り 『国司文書 但馬故事記』は、天日槍来朝の叙述や、その子孫の記録は、他書を抜いて最も詳しく、まことに貴重な資料である。 ことに、神功皇后すなわち息長帯姫命おきながたらし … 続きを読む

東構区の元となった小字北構は宵田城か祢布城どっちの構か?!

豊岡市役所日高総合支所にて明治時代の字限図をいただいた。 当時の気多郡日高村祢布にょうと岩中の字限図を合成したが、市役所の担当の方もおっしゃっていたように、かなり境の記載が手書きによりいい加減なところがあるが、時代的に測 … 続きを読む

『但馬故事記』から読み解く但馬国府の所在地

但馬国府の所在地は、但馬史の長年の謎とされている。 『日本後紀にほんこうき』延暦23(804)年正月の条に、「但馬国府を気多郡高田郷に遷す」と書かれていることから、少なくとも2ヶ所の但馬国府移転が考えられる。遷された理由 … 続きを読む

兵主神社とは何か?!

1.概要 但馬内には式内社の兵主神社だけで7社.式外社5社、八幡神社摂社兵主神社2社、計14社。 但馬に隣接する鳥取県最東端の岩美町に佐弥乃兵主神社、許野乃兵主神社の式内兵主神社2社がある。同じく武神を祀る八幡神社、日吉 … 続きを読む

南構遺跡(兵庫県豊岡市日高町久斗)について

いただいたパンフレットから 去る10月26日(土)、一般国道483号北近畿豊岡自動車道(八鹿豊岡南道路)の建設に伴い、豊岡市久斗(本籍は祢布)の南構遺跡の現地説明会が行われました。当日告知があったのかなかったのか、それも … 続きを読む