第3章 3.ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい

ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい 『播磨国風土記』にある伊和大神とヒボコの土地(国)争いを、鉄原料の奪い合いであると見て、タタラ製鉄に優れていた出雲からやって来た伊和大神の方が鉄の集団にふさわしいという説もある。 そ … 続きを読む

第5章 2.豊岡盆地は朝鮮半島へのヤマトの軍事拠点

不自然なアメノヒボコの出現と但馬分国 『日本書紀』では、アメノヒボコは、垂仁天皇3年3月条において新羅の皇子の天日槍が渡来したとして7つの神宝を携えてきてたと記す。 ところが、唯一詳細に記しているのが『国司文書 但馬故事 … 続きを読む

第4章 3.ヒボコの時代の半島南部は倭人のクニ

『日本人ルーツの謎を解く』長浜弘明氏によると、 例えば司馬遼太郎は、『街道を行く1』(週刊朝日 1971)で次なる文言を連ねていたが、そこには腐臭が漂っていた。 「日本民族はどこからきたのでしょうね」 「我々には可視的な … 続きを読む

丹後の巨大前方後円墳

丹後の巨大前方後円墳と池田古墳 かつては丹波(道)が丹波・但馬・丹後に分立するまで、丹波の中心が日本海に面した丹後地域だった。なぜ水稲稲作が人口拡大を進めるまでは、人びとは海上ルートを利用して交易をしながら、安全な丘陵や … 続きを読む

巻末 参考にした本

『国司文書 但馬故事記』吾郷清彦 ☆☆☆☆☆ 但馬の歴史・神社研究に稀有まれな書です。桜井勉が『校補但馬考』ででためな記述が多いと酷評しているので、そうなのかと信じるのがこれまでの流れで、あまり注目されませんが、桜井勉は … 続きを読む

最初の但馬人

  最初の但馬人(たじまじん) 但馬で最も古くから人がいたのはどこだろう。 現時点では、兵庫県と鳥取県境で氷ノ山の北、扇の山の東、兵庫県美方郡新温泉町畑ヶ平旧石器遺跡である。旧石器時代後期、同じく新温泉町海上東 … 続きを読む