DNA研究による日本民族

DNA研究の進展

長いあいだ、日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人であるとする埴原和郎氏らの二重構造説が占めていた。しかし、少なくとも、従来の時代的概念としての「縄文人/弥生人」という単純な図式では説明できないとする説が台頭し、今日では埴原氏の二重構造説には多くの批判がある。

他方、日本人が重層構造であることは人類学者・考古学者の間では支持する意見が強く、また、分子人類学的なDNA解析(ハプログループによる地域的分布の解析)もあくまで生物学的データであり、文化的な交流や、実際の移動の実態および移動の理由などについては、今後も文化人類学、歴史学、考古学など周辺諸科学の総合的な調査が求められる。

1980年代からのミトコンドリアDNA研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった(ミトコンドリア・イブ)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになった。ただし、ミトコンドリアDNAは、形態の生成に関与しない遺伝子であり、DNAタイプ(ハプロタイプ)と形質的特徴(骨格、体格、顔、皮膚など)とは必ずしも対応しないとされている。

つまり簡単にいえば、DNA解析はあくまでもその手法による分類であり、文化的な交流やどのように移動していったはそれだけでは分からないのであるが、この母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展した。

ヒトのY染色体のDNA型はAからRの18系統があり、
これらは
アフリカ限定のA系統とB系統
出アフリカのC系統、DE系統、FR系統
に2つに大きく分けられる。

崎谷満氏の分析によれば、これら5系統のうち、世界の多くの地域ではせいぜい2系統しか見られないが、日本人にはC,DE,FRの出アフリカ3系統すべてが見られ、従来の予想に反して日本人の遺伝子は多様であることが分かったのだ。日本人は、D2系統とO2b系統を中心に、多様な系統が混じり合っていることが分かった。

これは、日本列島への渡来人は、一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの渡来の波があったことを示し、また、そのルーツに関しても、黄河流域~山東半島、揚子江流域からの南方ルート、満州~朝鮮半島から、樺太など北方ルートの3つがあり、渡来の規模とともに今なお議論の対象となっている(最近の遺伝子研究ではおおむね渡来人は北東アジア起源が有力)。

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