第1章 1.アメノヒボコの日槍と日矛
アメノヒボコの日槍と日矛の字の違いは? アメノヒボコは、日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」。漢字が違う点は、上「記紀」の頃にも矛・槍の区別は必ずしも当時明確ではなかったようで、ヒボコが日槍・日矛であって … 続きを読む
アメノヒボコの日槍と日矛の字の違いは? アメノヒボコは、日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」。漢字が違う点は、上「記紀」の頃にも矛・槍の区別は必ずしも当時明確ではなかったようで、ヒボコが日槍・日矛であって … 続きを読む
奈良時代に編集された播磨国の地誌『播磨国風土記』(国宝)の成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。ちな … 続きを読む
なぜ、アメノヒボコは突如、但馬に登場するのか? 国史である『記紀』や公式に中央に献上させた『播磨国風土記』など、ヒボコと但馬について記されているのは、日本建国にとって、外せない重要な事実が秘められているからに他ならない。 … 続きを読む
天日槍(以下、ヒボコ)という名前から、ヒボコは鉄の技術者、もしくは製鉄に関わる人びとの総称であったり、武神を連想させる。 しかしこれは、鉾・矛が鉄製の武器である、日本にはそれまで鉄器がなかったのだとの思い込みである。記紀 … 続きを読む
日本最初の国史である記紀も奈良時代に偏されたもので、天日槍に関わる記述も神話や伝承をもとにしている。 『日本書紀』養老4年(720年) 垂仁天皇3年3月(BC27年) 新羅王子の天日槍が渡来した。 天日槍登場の孝安天皇の … 続きを読む
ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい 『播磨国風土記』にある伊和大神とヒボコの土地(国)争いを、鉄原料の奪い合いであると見て、タタラ製鉄に優れていた出雲からやって来た伊和大神の方が鉄の集団にふさわしいという説もある。 そ … 続きを読む
『日本人ルーツの謎を解く』長浜弘明氏によると、 例えば司馬遼太郎は、『街道を行く1』(週刊朝日 1971)で次なる文言を連ねていたが、そこには腐臭が漂っていた。 「日本民族はどこからきたのでしょうね」 「我々には可視的な … 続きを読む
この章では、ヒボコが辿った足取りを、 (史書の)アメノヒボコに関連する記事は、八世紀の初めに編纂された『古事記』および『日本書紀』(以下『記』『紀』、合わせて『記紀』)に記録されたものが、現在伝えられる最古のものである。 … 続きを読む
丹後の巨大前方後円墳と池田古墳 かつては丹波(道)が丹波・但馬・丹後に分立するまで、丹波の中心が日本海に面した丹後地域だった。なぜ水稲稲作が人口拡大を進めるまでは、人びとは海上ルートを利用して交易をしながら、安全な丘陵や … 続きを読む