【たじまる】 気比銅鐸
豊岡市気比の銅鐸出土地を訪ねてみた。 兵庫県北部で完全な形の銅鐸が発見されたのはここだけ。 大正時代に発見されたことが記されたプレートがあった。 複製 ↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。
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アメノヒボコの日槍と日矛の字の違いは? アメノヒボコは、日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」。漢字が違う点は、上「記紀」の頃にも矛・槍の区別は必ずしも当時明確ではなかったようで、ヒボコが日槍・日矛であって … 続きを読む
なぜ、アメノヒボコは突如、但馬に登場するのか? 国史である『記紀』や公式に中央に献上させた『播磨国風土記』など、ヒボコと但馬について記されているのは、日本建国にとって、外せない重要な事実が秘められているからに他ならない。 … 続きを読む
天日槍(以下、ヒボコ)という名前から、ヒボコは鉄の技術者、もしくは製鉄に関わる人びとの総称であったり、武神を連想させる。 しかしこれは、鉾・矛が鉄製の武器である、日本にはそれまで鉄器がなかったのだとの思い込みである。記紀 … 続きを読む
ヒボコより伊和大神の方が鉄集団っぽい 『播磨国風土記』にある伊和大神とヒボコの土地(国)争いを、鉄原料の奪い合いであると見て、タタラ製鉄に優れていた出雲からやって来た伊和大神の方が鉄の集団にふさわしいという説もある。 そ … 続きを読む
[wc_box color=”danger” text_align=”left”] 弥生時代以前から水田稲作はあった [/wc_box] [catlist id=583] … 続きを読む
気多郡(今の豊岡市日高町)は但馬国の国府が置かれた場所で、『日本後紀』延暦23(804)年正月の条に、「高田郷に遷す」という記述が残っており、気多郡のおそらく国府地区周辺から高田郷に移転したのは、袮布ガ森遺跡から多量の木 … 続きを読む
『日本古代史入門』 著者: 佐藤裕一氏によると、 14 倭人の根拠地:朝鮮半島南部と北部九州 朝鮮半島南部と北部九州にいた「原倭人」は、早くから雑穀を栽培しており、ある程度の航海民的な性格をもち、稲作などをいち早く取り入 … 続きを読む
郷土歴史家で有名な宿南保氏は、『但馬史研究 第31号』「糸井造と池田古墳長持型石棺の主」の投稿で次のように記しています。 天日槍ゆかりの神社は円山川とその支流域である出石郡・城崎郡・気多郡・養父郡に集中しており、また兵主 … 続きを読む