但馬国ねっとで風土記

但馬の中世武家社会の台頭と但馬守護

奈良時代の律令制からにおける地方行政組織である国司・郡司などは、平安時代末期の平治政権から、武家政権(幕府)である鎌倉時代には無実化し、地頭が設置された。平氏政権期以前から存在したが、源頼朝が朝廷から認められ正式に全国に … 続きを読む

山名氏と九日市城・正法寺城

宿南保氏『但馬の中世史』「山名氏にとって九日市ここのかいち城とは」の項で、九日市の居館を九日市城と呼んでいる。豊岡盆地の中心部の近い場所だけでも城といわれるものは正法寺城・木崎きのさき(城崎、のち豊岡)城・妙楽寺城・九日 … 続きを読む

鶴ヶ峰城と殿区とは

国道482号線久田谷付近と鶴ヶ峰(三方富士) 子供の頃から何か周りと違い神秘性を感じていた三角おにぎりみたいな山 国道482号線を神鍋かんなべ方面へ久田谷くただに付近まで進むと、前方にきれいな三角形の山がぽっかりと現れて … 続きを読む

東構区の元となった小字北構は宵田城か祢布城どっちの構か?!

豊岡市役所日高総合支所にて明治時代の字限図をいただいた。 当時の気多郡日高村祢布にょうと岩中の字限図を合成したが、市役所の担当の方もおっしゃっていたように、かなり境の記載が手書きによりいい加減なところがあるが、時代的に測 … 続きを読む

10年ぶりに宵田城跡を登る

   豊岡市日高町岩中区の宵田城跡へ約10年ぶりに登った。FBに30年ぶりと書いたけど、10年ほど前に一人で旧道から登ったことを思い出した。新しい広い道からははじめて。 毎年、地元消防団で竹だんじりを製作していた頃は、こ … 続きを読む

『但馬故事記』から読み解く但馬国府の所在地

但馬国府の所在地は、但馬史の長年の謎とされている。 『日本後紀にほんこうき』延暦23(804)年正月の条に、「但馬国府を気多郡高田郷に遷す」と書かれていることから、少なくとも2ヶ所の但馬国府移転が考えられる。遷された理由 … 続きを読む