養父市立大庄屋記念館(旧長島家住宅)
母方の墓参で母と叔母を乗せて養父市大塚へ。帰路養父市小城の大庄屋記念館(旧長島家住宅)へ立ち寄った。ここの長島家に先々代が大塚中島家から嫁がれたそうだ。母や叔母が子供の頃は法事で来たことがありまだ住まわれていたそうだ。 養父市小城の裏山高台にある。江戸時代後期に出石藩の大庄屋を勤めた長島善右衛門の時代に母屋が建てられたことから大庄屋記念館と呼ばれている。敷地と建物は養父市が長島家から寄贈を受けて、古い建物を保存しながら昔の生活が体験できる歴史民族資料館となっている。 明治期に母屋が改造され、大正時代に客殿が増築された。このため現在の屋敷は大正時代に最盛期を迎えた豪農が生活する建物群として完成されている。建物が無傷な状態で良好に保存されていることから養父市指定文化財「長島家住宅」となり、玄関前には山梨の古木がある。
但馬最初の民俗資料館
養父市教育委員会ホームページ・パンフレットによると、 江戸時代の大庄屋屋敷を利用した資料館です。 母屋や納屋、土蔵などが広い敷地に配置された風格ある建築空間は見事です。 館内には生活用具や民具などが収集展示され、かつての暮らしや養蚕の歴史などが学べます。 江戸時代後期に小城村の庄屋をつとめた旧長島邸をそのまま利用して民族資料館として開館しています。建物は寛保3(1743)年に建設されたことが、土蔵金具から明らかになっており、建物空間・構造・石垣など当時の生活をうかがうことができます。現在展示している民族資料は、長島家のものと町民から無償で寄付していただいたもので、養蚕・和牛・炭焼きを中心に生活用具を展示しています。 昭和49年11月、養父町民俗資料館として開館 平成16年4月、養父市発足を機に養父市大庄屋記念館と名称変更 但馬でも最初に開館した民俗資料館で、市内にはほかに市立山田風太郎記念館、市立上垣守国養蚕記念館、市立木彫記念館がある。
歴史文化遺産の長島家住宅
敷地:3,718㎡ 上段・中段・下段の3段 下段:現在は管理棟がある 中段:母屋・客殿・土蔵 上段:納屋・物置 また中段の母屋と常談の納屋の間には帯状の段(スロープ)があり、地神の社 建物:892㎡(母屋・客殿・土蔵など) 居宅:部屋数21室、風呂2ヶ所、便所5ヶ所 納屋:納屋2棟、倉庫、土蔵3棟、土塀、門5ヶ所
庭園:表座敷前の母屋庭園、客殿横の裏庭園、さらに母屋の西方の庭園と3箇所 特徴 住宅東側の谷川沿いには高さ10mもある石垣が積まれ、日本の伝統である隅角部がなく、緩やかなカーブを描いて石垣ライ ンが形成されている。これは西洋風の石垣をモデルにして築いた珍しい石垣工法で、明治期に築かれたもの。 さらに谷川には谷底が掘れないように石材を敷き詰めた床固工法を採用している。またすぐ上流には砂防堰堤も施されている。セメントを利用しない石積み工法で作られた大正期の貴重な土木遺産である。
4 平野釈放と寺田屋騒動
平野釈放
平野が釈放されたのは文久三年十月のことであった。釈放を延ばしていたのは、平野を釈放したくないのが本心であった、重臣たちはできることなら、その首をはねたいと思っていた。ただ、藩主不在中に実行することにはためらいがあった。黒田公は参勤の帰途上洛参内して天皇より杯を賜ったが、この時改めて平野釈放が決定する。