気多郡気多郷(国府村)

より大きな地図で 但馬の式内社 を表示

「倭名類聚抄」(倭名抄)に、
古者が云うには、国府があった。後に高田郷へ置いた。
延暦三年紀に、但馬国気多団が置かれた。
神名式(延喜式神名帳)に気多郡気多神社。
弘安大田文に、
気多の上郷の田111町、下郷の田73町。但馬考に、今の府中組。山本・松(ノ)岡・土居・手邊(辺)・国府(コウノ)市場・掘・野野荘・池(ノ)上・芝の9邑。
祀典所は伊智神社と云う。国府(コウノ)市場に在り。御井神社は土居村に在り。三野神社は野野荘に在り。

【沿革】

国府村

1989年(明治22年)4月1日、気多郡国府村が発足。
1896年(明治29年)4月1日、郡再編により、城崎郡国府村。
1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。
1958年(昭和33年)1月1日 日高町上佐野地区が分離し豊岡市に編入。
2005年(平成17年)4月1日 – 豊岡市、出石町、但東町、城崎町、竹野町と合併して新たな豊岡市が発足し、消滅。

『国司文書 但馬故事記』の註解の執筆者・吾郷清彦氏は、
但馬国の他の郡では、いずれもみな県主・郡司等が置かれている。が、本郡には但馬の国司が置かれ、今日の県庁所在地的地域であったので、大県主から国造が任命され、のち国司・但馬守・但馬介と首長の名称が変わった。従って本郡県には、別に他郡司のごとき階級は置かれていなかったようである。

したがって気多には、国府があるので、実際には郷名も、気多郡気多郷は存在せず、気多郡国府または府中組と省略されていたようだ。

コメントする

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください