石碑には昭和七年と記してあるので、それ以前から発見されていたものでしょう。
付近は復元に向けて整備が進められつつあります。
遺物などは但馬国府国分寺館に展示してあります。
兵庫県北部・但馬地方の砦・山城・平城・陣屋・代官所 1896年(明治29年)4月1日以前の行政区画で表記
■鎌倉時代以前 国史跡
城の名称 | 城 主 | 所在地 | 居城年間 |
1.朝来郡 | |||
朝来市生野(いくの) 町(朝来郡生野町) | |||
生野古城(古城山) | 山名時煕 | 生野町口銀谷字古城山 | 室町時代(応永34年:1427) |
生野平城(生野代官所・生野陣屋) | 山名祐豊・太田垣朝延・代官 | 生野町口銀谷字元県内 | 天文11年(1542)~生野県庁 |
朝来市(朝来郡朝来町) | |||
物部城 | 物部頼久・物部治政・加陽国親 | 朝来町物部 | 鎌倉時代(弘長年間:1261-64) |
岩洲城(山口城) | 物部次郎左衛門治政・足羽是高 | 朝来町山口 | 室町時代:天正5年羽柴秀長により落城 |
田路(とうじ)城 | 田路大和守胤直 | 朝来町奥田路 | 応仁~天正年間 |
山内城 | 足羽九郎次郎是高 | 朝来町山内 | 室町時代:天正年間 |
朝来市和田山町(朝来郡和田山町) | |||
竹田城(虎臥城・とらふす) | 山名持豊(宗全)初代太田垣光景~5代・ 桑山重晴、赤松広秀 | 和田山町竹田 | 室町時代(永享3年~慶長5年) |
糸井京極陣屋 | 京極高門の造築~8代 | 和田山町寺内 | 江戸時代(寛文3年) |
安井城 | (不 詳) | 和田山町安井 | (不 詳) |
高田城 | 雑賀小左衛門 | 和田山町高田字シロノカサ | (不 詳) |
高田茶臼山城 | 堀畑里城(養父町側の城)を詰め城とする居館か? | 和田山町高田字茶臼山 | (不 詳) |
高生田城 | 山名の部将:福富甲斐守 | 和田山町高生田 | 室町時代 |
土田陣屋 | 出石城主小出英安の弟・英直~6代 | 和田山町土田(はんだ) | 江戸時代(延宝元年:1673) |
岡城(早崎氏館) | 織豊系?早崎氏 法道寺城を詰め城とする居館 | 和田山町岡字投山 | 秀吉但馬征伐の陣城? |
土田城(富栖城・鳶ヶ城・遠見ヶ城) | 土田兵部尉・太田垣則高 | 和田山町土田(はんだ) | 南北朝期(寛弘年間~天正5年) |
比治城 | 梶原氏 | 和田山町比治 | 室町時代:応仁~天正年間 |
枚田城 | 太田垣氏の臣:枚田光季の居城 | 和田山町枚田(ひらた) | 室町時代:応仁~天正年間 |
法道寺城(岡城・阿曽沼砦) | 織豊系?創築は阿曽沼氏か? | 和田山町法道寺・岡 | 秀吉但馬征伐の陣城? |
和田城(市場城) | 山名の部将:福富甲斐守:但馬攻で落城 | 和田山町和田 | 天正5年(1577) |
大治賀城 | 上道氏 | 和田山町中村 | 東河七城の一 |
小栗城 | 黒田城の出城! 黒田城、寺木城併せて笹田本城と呼ぶ | 和田山町宮 | 東河七城の一? |
白井城 | (不 詳) | 朝来市和田山白井 | (不 詳) |
寺木城 | 黒田城の出城:東河七城の一? | 和田山町和田 | (不 詳) |
久藤城 | 上道氏 | 和田山町久田和 | 東河七城の一 |
三浦城 | 上道氏 | 和田山町岡田 | 東河七城の一 |
市御堂(いちみどう)城 | 太田垣光景家臣:牧田光季 | 和田山町市御堂字城山 | 応仁年間・竹田城の支城 |
黒田城(笹田本城) | 上道秀重築城 | 和田山町東河 | 嘉吉年間:山名氏に付き赤松満祐を攻めた。東河七城の一 |
観音寺山城 | (不 詳) | 和田山町竹田 | (不 詳) |
寺谷城 | (不 詳) | 和田山町寺谷 | (不 詳) |
芳賀野城 | (不 詳) | 和田山町岡 | (不 詳) |
観音山城 | (不 詳) | 和田山町平野 | (不 詳) |
朝来市山東町(朝来郡山東町) | |||
向山城 | 佐藤主膳督 | 山東町新堂字向山 | 寿永年間(1182~1183) |
夜久野城 | 山名上野介豊次・磯部兵部大輔豊直・泥宗右衛門 | 朝来市山東町金浦 | 元亀年間(1570-1572)、寛喜年間(1229-1233):佐々木左衛門が築いたという説も |
諏訪城 | 釘貫氏または中路氏、小山氏? | 山東町諏訪 | 室町時代 |
衣笠城 | 松岡盛祐 | 山東町与布土 | 天文・永禄(1532~1569) |
上ヶ谷城 | 太田垣氏の砦か?詳細不明 | 山東町柴 | (不 詳) |
与布土氏館 | 与布土氏(山崎氏) | 山東町山才 | 室町時代 |
陳東氏館 | 陳東氏 | 山東町矢名瀬 | 慶長年間(1596~1614) |
天満氏館 | 天満家衝 | 山東町楽音寺鎌倉時代(寿永元年?:1182) | |
磯部氏館(野間城・磯部城) | 磯部(山名)豊次の居城 | 山東町大内・野間 | (不 詳) |
新堂見尾城 | (不 詳) | 山東町新堂字見尾 | 道路工事で発見・消滅! |
滝野城 | 滝野氏? | 山東町和賀字上ノ山・新堂字峠 | (不 詳) |
2.養父郡 | |||
養父市八鹿町(養父郡八鹿町) | |||
八木古城(土城) | 閉伊四郎頼国・八木安高か高吉? | 八鹿町八木 | 平安末期:康平6年 |
市史跡 朝倉城 | 八木城主・朝倉高清の子・朝倉高景(信高?) | 八鹿町朝倉大平山 | 鎌倉時代 |
朝倉向山城(上ノ山城) | 余三太夫(朝倉)宗高(朝倉氏祖) | 八鹿町朝倉 | 鎌倉時代? |
比丘尼城 | 朝倉城主の奥方や姫の居館と云うが? | 八鹿町朝倉 | 鎌倉時代? |
八木城 | 八木氏、朝倉高靖が攻略し子の重靖が入城 | 八鹿町八木 | 南北朝期 |
九鹿城 | (不 詳) | 八鹿町九鹿 | (不 詳) |
殿屋敷 | 八木豊信・・!!家臣団屋敷 | 八鹿町八木 | (不 詳) |
八木御里 | 別所重棟 | 八鹿町八木 | 天正8年 |
浅間城 | 佐々木氏 | 八鹿町浅間 | 室町時代 |
坂本城 | (不 詳) | 八鹿町坂本 | (不 詳) |
宿南城 | 宿南信直・宿南輝俊・宿南信久 | 八鹿町宿南 | 南北朝期:羽柴秀長により天正5年落城 |
進美寺山城(掻上城) | (不 詳) | 日高町赤崎・日置 | 南北朝期(1333-):但馬南朝方の重要拠点 |
岩山城 | 佐々木近江守 | 日高町浅倉砦 | 天正8年 |
養父市大屋町(養父郡大屋町) | |||
山路城 | (不 詳) | 大屋町山路 | (不 詳) |
高取城 | (不 詳) | 大屋町宮本 | (不 詳) |
大屋荘 | (不 詳) | 大屋町 | 南北朝期? |
田和城 | 居相肥前守 | 大屋町田和 | 室町時代 |
宮垣城 | (不 詳) | 養父市大屋町宮垣 | 室町時代 |
三方城 | 三方氏 | 大屋町宮垣字上垣 | 鎌倉時代~天正5年 |
浅野城 | (不 詳) | 大屋町浅野 | (不 詳) |
井垣?城 | (不 詳) | 大屋町浅野字片山・大坪字ヒマグリ | (不 詳) |
加保城 | (不 詳) | 大屋町加保 | (不 詳) |
養父市(養父郡養父町) | |||
ウスギ城(建屋城) | 建屋五郎太夫または片木攝津守:太田垣氏の城:竹田城の出城 | 建屋 | 鎌倉時代 |
軽部城(小山城) | 稲津氏・安倍直美頃の城か? | 上野字小山 | 鎌倉時代? |
三谷城 | 三谷氏 | 三谷字三谷・添谷 | 戦国期 |
野谷城(野谷館) | 太田垣氏の臣:阿積美濃守盛次の居城 | 養父市長野字東山 | (不 詳) |
持河内城(餅耕地城) | (不 詳) | 餅耕地字十七夕 | (不 詳) |
能座城(中尾神社砦) | (不 詳) | 能座字中山 | (不 詳) |
ピクニ城(船谷城) | (不 詳) | 船谷 | (不 詳) |
玉見城(玉見館) | (不 詳) | 玉見 | (不 詳) |
大藪陣屋 | 小出氏代官大畠氏? | 大藪字家の上 | 寛文6年~明治 |
大藪城 | 大藪字城山 | (不 詳) | |
小佐(おさ)城 | 伊達氏の城 | 小佐 | (不 詳) |
伊豆城(伊津城) | 伊達氏の城 | 伊豆 | (不 詳) |
新津城 | 伊豆字大谷山・字今谷 | (不 詳) | |
稲津城(たか城) | 太田垣氏の城? | 稲津字寺谷・上野字熊谷 | (不 詳) |
十二所城 | 十二所字城山 | (不 詳) | |
石禾(いさわ)城(畑たか城) | 岩崎実元? | 養父市上野 | 文明4年(1472) |
石禾上城(石禾古城) | (不 詳) | 上野字草山・和田山町岡 | 南北朝期? |
石禾下城 | (不 詳) | 堀畑・和田山町宮田字石禾谷 | 南北朝期 |
堀畑里城 | 高田茶臼山城(和田山町側)を居館とする詰め城か? | 堀畑字寺ノ奥 | (不 詳) |
大坪城 | (不 詳) | 養父町 | 南北朝期 |
安井砦 | (不 詳) | 市上野・上箇字安井 | 道の駅但馬楽座側の砦 |
上野城 | 太田垣氏全盛の頃か?山名氏配下の頃に城? | 上野字馬ノ秣・末谷 | 南北朝期 |
井垣城(片山古墳) | 養父市浅野 | (不 詳)旧養父町域内では唯一の明確な郭 | 戦国時代末期 |
養父市関宮町(養父郡関宮町) | |||
中瀬城 | (不 詳) | 関宮町中瀬 | (不 詳) |
和土城 | (不 詳) | 関宮町三宅 | (不 詳) |
片岡城 | (不 詳) | 関宮町関 | (不 詳) |
片岡土城 | (不 詳) | 関宮町 | (不 詳) |
尾崎天王山城 | (不 詳) | 関宮町尾崎 | (不 詳) |
白岩城 | (不 詳) | 関宮町吉井 | (不 詳) |
大谷向山城 | (不 詳) | 関宮町大谷 | (不 詳) |
三宅蛇ヶ尾城 | (不 詳) | 関宮町三宅 | (不 詳) |
3.旧気多郡 | |||
豊岡市日高町(国府村) | |||
上郷(かみのごう)城 | 源満仲・源頼光・赤木丹後守 | 日高町上郷 | 平安時代(天徳年間(957-)~天正8年 |
水生(みずのお)城 | 長左衛門尉・西村丹後守 | 日高町上石・上佐野 | 南北朝時代(但馬南朝の拠点)~天正8年 秀吉但馬により攻略 |
豊岡市日高町(旧気多郡日高村) | |||
宵田城(南龍城) | 隠岐守国重・筑後守忠顕:垣屋御三家・分家の城 | 日高町宵田・岩中 | 室町時代(永享2年:1430)-戦国時代 |
国分寺城 | 大坪又四郎 | 日高町国分寺 | 室町時代(延徳3年:(1491-天正8年:1580)秀吉但馬攻 |
伊福(ゆう)城 | 下津屋伯耆守 | 日高町鶴岡 | 室町時代(康正年間:1455-1457) |
祢布城 | 高田次郎貞長 | 日高町祢布 | 南北朝期 |
来山城 | (不 詳) | 日高町鶴岡 | (不 詳) |
山宮城 | 矢谷若狭守 | 日高町山宮 | 天正年間(1573~92) |
水上代官所 | 小出氏 | 日高町水上 | 寛文8年-明治維新 |
山本陣屋 | 小出氏 | 日高町山本 | 寛文8年-明治維新 |
篠森城 | 足立忠経・足立肥前守 | 日高町久田谷 | (不 詳) |
豊岡市日高町(旧気多郡八代村) | |||
奥八代砦 | (不 詳) | 日高町奥八代字宝城 | (不 詳) |
八代城 | 藤井左京の居城 | 日高町八代・谷 | 室町期 |
豊岡市日高町(旧気多郡三方村) | |||
楽々前城(佐田城)[*10] | 山名氏守護代垣屋播磨守隆国 | 日高町佐田 | 室町時代(応永年間:1394-1428) |
鶴ヶ峰城(三方富士) | 垣屋越前守続成の築城:垣屋御三家本城 | 日高町観音寺 | 室町時代(永正9年:1512) |
森山城 | 安田左近将監紀伊守 | 日高町森山 | 室町時代:応安(1368-)~享禄(-1532) |
豊岡市日高町(旧気多郡西気村) | |||
稲葉城 | 大森飛騨守 | 日高町稲葉 | (不 詳) |
太田の城山? | (不 詳) | 日高町太田 | (不 詳) |
万場の城山 | (不 詳) | 日高町万場 | (不 詳) |
東河内の城山? | (不 詳) | 日高町東河内 | (不 詳) |
豊岡市(旧気多郡中筋村) | |||
加陽城 | 加陽氏 | 豊岡市加陽 | (不 詳) |
竹野町(旧気多郡三椒村) | |||
轟城(青葉城) | 垣屋駿河守豊続:垣屋御三家・分家の城 | 竹野町轟・森 | 天正期:(1573-92) |
4.旧出石郡 | |||
豊岡市出石町(出石郡出石町) | |||
安良城 | 安良十郎左衛門 | 出石町安良八幡山 | 鎌倉時代 |
有子山城(高城) | 此隅山城落城後天正2年(1574)山名祐豊築城 秀長が攻略し改修 | 出石町内町 | 室町時代 |
市史跡 出石城(有子城) | 小出吉政築城、松平氏、仙石氏 | 出石町内町 | 江戸時代(慶長9年:1604)、但馬国城 |
此隅城(子盗城) | 但馬国守護山名時義 | 出石町宮内 | 室町時代(文中元年:1372) |
桐野城 | 福富甲斐入道宗顕 | 出石町桐野 | 室町時代 |
中村城 | 竪堀・横堀を駆使した長大な城らしい | 出石町中村:出石城愛宕神社近く | (不 詳) |
中郷城 | (不 詳) | 出石町三木 | (不 詳) |
鳥居城 | 有子山城支城? | 出石町鳥居 | 戦国時代 |
豊岡市但東町(出石郡但東町) | |||
市史跡 亀が城 | 常陸房昌明(後の太田昌明) | 但東町太田 | 鎌倉時代・承久3年(1221):天正8年(1580)秀吉但馬攻 |
大将軍(だいじょうご)館 | 常陸房昌明(但馬守護・太田姓以前)の居館 | 但東町木村 | 文治(1185-) |
堀の内館 | 太田昌明・守延 | 但東町木村字堀の内 | 承久(1219~)頃~天正8年 |
小屋谷砦・姫ノ段館 | 太田昌明・守延 | 但東町西野々 | 承久(1219~)頃 |
仏清(ぶつしょう)城 | 太田氏一族:羽尻左馬助 | 但東町畑山字仏清 | 承久年間~天正8年 |
岩吹城 | 太田氏一族の城 | 但東町木村 | 鎌倉時代初期・貞応年間(1222- ) 天正8年(1580)秀吉但馬攻 |
姫ノ段館 | (不 詳) | 但東町西野々 | (不 詳) |
大河内城 | 桑垣櫂之守?・内藤孫左衛門 | 但東町大河内字赤尾南北朝期 | |
中山城 | 堀直政 | 但東町中山 | 南北朝期 |
出合砦 | 太田氏か山名氏家臣 | 但東町出合字山崎 | 鎌倉時代末 |
愛宕城 | (不 詳) | 但東町中山 | 室町時代 |
比丘尼城 | 外垣右京進 | 但東町中山 | 室町時代 |
口藤城 | (不 詳) | 但東町口藤 | 室町時代 |
八幡城 | 松本氏 | 但東町中藤 | 室町時代 |
主計(かずさ)城 | 主計介の居城 | 但東町赤花字城 | 室町時代 |
坂津城 | (不 詳) | 但東町坂津 | 室町時代 |
愛宕城 | 小山判官四郎信長 | 但東町久畑 | 室町時代 |
後城 | 石坪若狭守 | 但東町後字奥山 | 室町時代 |
伊野城 | 伊野左衛門綱高 | 但東町佐田 | 室町時代 |
西垣城 | 西垣信源 | 但東町栗尾 | 室町時代 |
小半田城 | (不 詳) | 但東町平田 | 室町時代 |
沢田城 | 沢田氏 | 但東町小谷字沢田/TD> | 室町時代 |
京川城 | 京川氏 | 但東町小谷 | 室町時代 |
矢根城 | 山名氏家臣:家城掃部守 | 但東町矢根字下山 | 室町時代 |
河本城 | 河本氏 | 但東町河本字松尾 | 室町時代 |
旗振山砦 | (不 詳) | 但東町畑山字家の奥 | 室町時代(元弘2年:1332頃) |
旧出石郡神美村 | |||
三開山城(見開山城) | 新田義宗・山名時氏・師義 | 駄坂 | 室町期:但馬南朝の拠点~戦国期 |
下鉢山城 | (不 詳) | 下鉢山 | 鉢山廃寺址? |
茨木城 | (不 詳) | 市場 | (不 詳) |
衣笠山狼煙台 | (不 詳) | 三宅 | (不 詳) |
5.旧城崎郡 | |||
旧城崎郡豊岡町 | |||
愛宕山城(鶴城) | 山名宗全が築き田結庄是義の居城 | 豊岡市山本・船町 | 室町時代(永享年間:1429-41・弘和年間~天正3年10月) |
市史跡 豊岡城(亀城) | 山名宗全が神武山に砦を築き恒屋氏が拠る。宮部継潤、木下重堅、尾藤知定、明石則実、福原道高、杉原氏 京極高盛の時廃城 | 豊岡市京町 | 室町時代15世紀中頃~寛文8年(1668年) |
高屋城(穴見城) | 三宅主計 | 高屋字岩屋・穴見谷 | (不 詳) |
岩井城 | (不 詳) | 岩井字湯舟 | (不 詳):但馬空港建設で消滅したといわれる… |
石谷城 | 土豪・石谷備前の居城 | 内町字中の谷 | 南北朝時代(正平年間:1346-70) |
海老手城[*9] | 栗坂主水が居城 | 室町時代 | 滝 |
大谷城 | 中沢内蔵之助 | 大谷字土肥土 | 室町時代 |
小城 | (不 詳) | 宮井 | (不 詳) |
戸牧城(当辺羅・とべら) | 垣屋平右衛門 | 戸牧:今の文教府付近 | 室町時代 |
妙楽寺城[*7] | 山名氏の城 | 妙楽寺 | 室町時代 |
奈佐城 | 奈佐太郎知高 | 奈佐 | (不 詳) |
福田城 | 垣屋氏の城か?!! | 福田字杉崎・栃江 | 南北朝期 |
亀ヶ崎城 | 垣屋氏初代:垣屋駿河守重教? | 福田・森津 | (不 詳) |
森津城 | (不 詳) | 森津 | (不 詳) |
宮井城 | 篠部伊賀守 | 宮井 | 室町時代:奈佐氏の支城 |
目坂城 | 目坂字松本山 | (不 詳) | |
岩本砦 | 宮井城の見晴台 | 吉井字岩本 | (不 詳) |
九日市城[*8] | 山名氏・垣屋氏 | 九日市 | 室町時代(文明年間:1469-87) |
九日守護所 | 山名氏・垣屋氏 | 九日市上町 | 室町時代 |
正法寺城 | 京町・正法寺 | 南北朝期 | |
豊岡陣屋 | 京極高盛 | 京町 | 寛文8年(1668年)京極高盛が陣屋を築いた |
小出陣屋 | 小出氏十三代 | 倉見字石谷 | 寛文6年~明治時代 |
耕地谷城 (仮称) | 村の城・逃げの城と考えられる | 豊岡市九日市下町 | 16世紀頃の城 |
比丘尼城 | 山名氏・垣屋氏 | 九日市中ノ町 | 室町時代 |
丸山狼煙台 | (不 詳) | 栃江 | (不 詳) |
樋口ノ城 | 樋口氏 | 庄境 | (不 詳) |
岩本砦(吉井城?) | 吉井字岩本 | (不 詳) | |
馬路城 | 鶴城の支城 | 栄町 | (不 詳) |
南谷城 | (不 詳) | 栄町 | (不 詳) |
上鉢山城 | 田和豊後守 | 上鉢山字城山 | 室町時代 |
伊賀谷城 | 伊賀谷字城山 | (不 詳) | |
衣笠山城 | 山名氏の家臣・茨木甚太夫の居城 | 三宅 | 室町時代 |
河谷城 | 衣笠山城の西側に接する城 | 河谷 | (不 詳) |
新堂城 | (不 詳) | 新堂 | (不 詳) |
市場城 | 茨木甚太夫 | 市場字松原 | 室町時代 |
小垣ノ城 | 内町字小垣大谷 | (不 詳) | |
石屋の城 | 石谷城か目坂城の見張台!! | 辻字石屋 | (不 詳) |
豊岡市城崎町(旧城崎郡城崎町) | |||
上山城 | 上山平左衛門・平三の居城 | 城崎町上山字北の脇 | 応仁年間(1394-1428) |
簸磯城(日野曽城) | 橋本丹波守義綱・宗安 | 城崎町簸磯(ひのそ)字簸ノ谷 | 天正5年(1577)落城 |
桂ノ城 | (不 詳) | 城崎町来日 | (不 詳) |
二眉?城 | 長沢掃頭守義賢 | 城崎町飯谷字二眉? | (不 詳) |
気比ノ高城 | (不 詳) | 豊岡市気比 | 南北朝期 |
瀬戸の台場 | 京極高厚 | 瀬戸小字島ヶ鼻 | 文久2年(1862) |
旧美含郡 | |||
豊岡市竹野町(旧美含郡竹野町) | |||
草飼の古城 | (不 詳) | 竹野町草飼 | 不詳 |
草飼城 | (不 詳) | 竹野町草飼 | 不詳 |
小城城 | (不 詳) | 竹野町小城 | 不詳 |
入谷城 | (不 詳) | 竹野町竹野 | 不詳 |
淀谷城 | (不 詳) | 竹野町林 | 不詳 |
俵谷城 | (不 詳) | 竹野町須谷円通寺 | 不詳 |
丑引城 | (不 詳) | 竹野町須谷 | 不詳 |
切浜城 | (不 詳) | 竹野町切浜 | 不詳 |
美方郡香住区香美町(旧美含郡香住町) | |||
志馬比城[*5] | 志乃武王・志乃武改め篠部有徳(篠部氏祖) | 香住区島山 | 天武天皇7年(678) |
鷹取城 | 加賀氏 | 香住区隼人 | 平安時代(一条天皇代(987-1012)頃) |
相谷城 | 沼田左衛門尉橘長信 | 香住区相谷 | 南北朝期(正平9年:1354) |
安木城 | 安木大和守頼実の居城・遠江守頼満:林甫城の支城 | 香住町安木 | 室町時代(天文元年:1532) |
荘司城 | 安木土佐守景長 | 香住区安木 | 不詳 |
佐古山城 | 久下孫次郎左衛門尉泰光 | 香住区安木 | 不詳 |
林甫城(輪宝山城・りんぽう) | 長兵衛尉長谷部信連・長越前守信行 | 香住区訓谷字輪峰 | 南北朝期・貞治年間(1362-68)~天正八年(1577) |
館山城 | 塩冶左衛門尉秀国 | 香住区無南垣 | 室町時代(文明9年:1477) |
師古城 | 長三郎左衛門? | 香住区米地 | 安土桃山(天正年間:1573-92) |
小野城 | 亀井能登守 | 香住区九斗 | 安土桃山(天正10年:1582) |
比丘尼城 | 丹生又八郎長敏・美作守長近 | 香住区隼人 | 室町時代(享禄年間:1528-32) |
勢多端城 | 佐津兵庫源信長? | 香住区丹生地 | 安土桃山(天正7年:1579) |
養山城 | 丹生美作守長近 | 香住区上計 | 南北朝時代(正平九年) |
塔ノ尾城 | 長加賀守忠清 | 香住区一日市 | 南北朝時代(延元年間:1336-40) |
井上城 | 小野木玄蕃正光 | 香住区森 | 室町時代(永正5年:1508) |
釣鐘尾城 | 野石甲斐守源太 | 香住区加鹿野 | 不詳 |
大野城(長井城) | 阿瀬岩見守(藤原)重家 | 香住区大野字城山 | 安土桃山(天正年間:1573-92) |
高木城 | 高木因幡守 | 香住区下浜 | 室町時代(天文13年:1544) |
水ヶ浦城 | (不 詳) | 香住区下浜 | 不詳 |
市午城 | 谷氏 | 香住区余部 | 不詳 |
菊戸城 | 久下氏 | 香住区浦上 | 不詳 |
美方郡香美町村岡区(旧七美郡村岡町) | |||
大谷城(小代城)[*2] | 朝倉景雲が築く・田公清豊から9代・綱豊入道秋庭 | 村岡区大谷 | 建久年間(1190- )~正応年間 |
中山城[*5] | 鎌倉期:菟束(うづか)氏 南北朝期:上野氏。のち八木氏支城 | 村岡区福岡 | 鎌倉時代~天正五年(1577) |
相岡(けびおか)城 | 鎌倉期:奈良正員築城・建久年間:八木氏・康永年間以後:中村氏(大谷城主田公氏支城) | 村岡区相岡 | 鎌倉時代 |
福西城 | (不 詳) | 村岡区村岡字五味貝 | (不 詳) |
村岡陣屋[*3] | 山名豊国 山名矩豊(のりとよ) | 村岡区村岡 | 慶長6年(1601)~寛永19年(1642) |
高堂城[*4] | 田公氏の支城 | 村岡区村岡高堂観音山 | 応仁(1467)の乱~天正五年 |
大倉山城 | (不 詳) | 村岡区平野 | (不 詳) |
平野城 | 田公氏の家臣:小代大膳 | 村岡区平野字はこも | (不 詳) |
福岡陣屋 | 村岡区福岡 | 江戸時代 | |
丸味城 | 板倉兵庫源周利 | 村岡区丸味 | 延徳年間(1989~91) |
長板城 | 大谷城主田公氏相岡城支城 | 村岡区長板 | (不 詳) |
7.旧二方郡 | |||
美方郡香美町小代区(旧二方郡美方町) | |||
城山城 | 田公氏 | 小代区忠宮はこも | 鎌倉~天正5年 |
松城 | 田公氏の家臣:朝倉織部正 | 小代区茅野 | 室町~天正5年 |
実山城 | 小代区実山字城ノ尾 | 不詳 | |
美方郡新温泉町(旧二方郡温泉町) | |||
井戸城 | 河越大和守 | 新温泉町井戸白坂字城ノ内 | (不 詳) |
馬場平城 | 馬場豊後守 | 新温泉町石橋 | 慶長年間(1596-1615) |
鐘尾城 | 村岡新左衛門 | 新温泉町鐘尾字坂本 | 室町時代 |
黒坂城 | 黒坂因幡守 | 新温泉町井戸黒坂 | (不 詳) |
下津谷城 | (不 詳) | 新温泉町多子 | (不 詳) |
春来城 | 板倉修理頭 | 新温泉町春来城山 | 江戸時代初期 |
椿森城 | 河崎石見守 | 新温泉町多子椿森 | (不 詳) |
多子(おいご)城 | 河崎石見守 | 新温泉町多子 | (不 詳) |
城山城 | (不 詳) | 新温泉町多子 | (不 詳) |
下津谷城 | (不 詳) | 新温泉町多子 | 室町時代 |
温泉(ゆの)城 | 奈良右近将監 | 新温泉町湯 | (不 詳) |
厳山城 | (不 詳) | 新温泉町飯野 | (不 詳) |
飯野城 | 奈良左近将監 | 新温泉町飯野 | (不 詳) |
高尾山城 | (不 詳) | 新温泉町丹土 | (不 詳) |
美方郡新温泉町(旧美方郡浜坂町) | |||
七釜城(高巻城) | 田公甚之少(丞)!!?・筑前守 | 新温泉町七釜 | 鎌倉期? |
西之城 | 滝田げんのじょう | 新温泉町二日市字井ノ谷 | 戦国時代末 |
丸谷城 | 田公氏 | 新温泉町栃谷・古市 | 戦国時代末 |
居組城 | (不 詳) | 新温泉町居組 | (不 詳) |
芦屋城(亀が城・阿勢井城) | 塩冶周防守 | 新温泉町芦屋字滝 | 南北朝末期~天正8年 |
芦屋陣屋[*1] | 宮部継潤の代官 :-寛永4年・山崎家盛代官 | 新温泉町芦屋殿町 | 天正10年 |
指杭城 | (不 詳) | 新温泉町指杭 | (不 詳) |
糸白城 | 矢谷伯耆守 | 新温泉町指杭字城山 | 戦国時代末 |
おどろが城 | 塩治左衛門尉・田公甚之丞 | 新温泉町栃谷口田君 | 戦国時代末 |
九谷城 | 田公将監 | 新温泉町古市 | 戦国時代末 |
杉谷城 | (不 詳) | 新温泉町古市 | 戦国時代末 |
対田城 | (不 詳) | 新温泉町対田 | (不 詳) |
田井城 | (不 詳) | 新温泉町田井字大谷 | 戦国時代末 |
清富城 | 垣屋隠岐守 | 新温泉町清富 | 戦国時代末 |
清富陣屋(清留陣屋) | 宮部頼久・豊嗣 | 新温泉町清富字御屋敷ばたけ | 寛永4年(1627~)~20年 |
脚注
山名四天王のひとり、田結庄氏(是義)は、我が町日高町(旧気多郡)を収めた垣屋氏と仲が悪かったそうだ。
是義は愛宕山に鶴城を築いて居城とし、太田垣輝延、八木豊信、垣屋光成らと但馬を四分して勢力を広げた。やがて、但馬に出雲の尼子氏が勢力を伸ばしてくると尼子氏に味方した。
その後、織田信長の天下統一の過程で但馬は、織田党(山名祐豊・田結庄)と毛利党(垣屋・八木・太田垣)に分かれた。山名祐豊は天正三年(1575)春、毛利氏と同盟しが、田結庄是義は織田党色を鮮明にし、竹野轟城主垣屋豊続との対立が熾烈化した。そして十月、織田方=田結庄氏と毛利方=垣屋氏との間で、代理戦争ともいわれる野田合戦が起こった。
この合戦によって垣屋豊続は但馬を完全に毛利党に統一し、毛利氏の対織田防御ライン(竹野~竹田)を構成する繋ぎの城として、鶴城・海老手城の両城を確保した。一方、野田合戦に敗れた、田結庄氏は勢力を失い没落していったといわれる。
【資料:兵庫県大辞典など】
鶴城とは、コウノトリをさしているもと想像するのが自然だと思われる。この付近一帯はコウノトリの生息地で知られ、久々比神社、現在コウノトリ郷公園が近くにある。
兵庫県朝来市竹田
山城で全国的にも有名な竹田城は、山陰道と播但道が分岐する交通の要所にそびえ立ち三方が見渡せる。
但馬国はその頃、近畿と中国地方に日本全国60余州の内11カ国を所有し「六分一殿」といわれた山名氏氏の支城で、播磨の赤松氏、丹波の細川氏と、山名氏と幾度も乱を起こした相手との出陣の砦のようなものだったとか。四天王のひとり太田垣氏が初代城主で朝来郡と生野銀山を収めた。 四天王の垣屋氏が気多郡と金山の要、楽々前(ささのくま)城と城崎道の要、宵田城、竹野へ通じる轟城。 八木氏が山陰道の八木川沿い養父郡を、田結庄(たいのしょう)氏が久美浜へ通じる愛宕山に築城し城崎郡を収めていた。
のちに豊臣氏の但馬平定によって、秀長氏に与えられ、没後、播磨龍野城主赤松氏が城主の頃に大修復が行われた。壮大な城郭はこの頃に13年の歳月をかけて築かれたもの。虎が横たわっているように見えるこよから別名「虎臥城(こがじょう)」と呼ばれる。
清酒 虎臥城 巨人の前に虎がいるということで阪神ファンにもおすすめ(^^)。 (ちなみにその折りに筆頭家老といわれる三日月町中島砦の中島重右衛門は、母方の本家で、おじいさんまで代々中島重右衛門を名乗り、13代目の伯父からあまりにも古くさいと言うことで重夫、弟の伯父が重門になった。先日叔母の一周忌で墓参りに行って、久しぶりに会った従兄弟とそんな話題になった。(^^) 中学・高校の同級生に谷垣、田結庄、太田垣がいた。今思えば子孫なのかも。。。
養父市八鹿町今滝
今日は午前中は叔父の一周忌の法要と、午後からは左官屋をしていた祖父の一番弟子で、遠い親戚にあたるおじさんの葬儀が重なる。 重なったので一周忌法要は母が出席することにしていた。
余裕ができたので出席することにした。 高校の恩師(2年3年の担任)が、この家の同じ苗字の遠縁にあたり、「法事で一度顔みたいな」と聞いていたので、久しぶりに再会できるのを楽しみにしていたこともあったからなのだ。 しかし都合により、遠縁はご遠慮いただき近親者のみとなり、会えなくなったので残念だ。
この親戚の目の前に八木城跡がある。 付近の神社シリーズがほぼ終わり、城跡へと移行しているところで帰り際に山頂だけスナップ。 八木氏は、南北朝の争乱(室町)時代から戦国時代(安土桃山時代)には、但馬山名氏に属して、山名氏の四天王(太田垣、八木、垣屋、田結庄)の一人として、但馬に勢力を誇った。 からにかけての城跡があり、昔から養父郡内における政治的中心地として利用されてきた。
但馬国
旧郡名 | 現行政名 |
朝来郡 | 朝来市 |
養父郡 | 養父町、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町浅倉地区) |
出石郡 | 豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区) |
気多郡 | 豊岡市(日高地域、豊岡市中筋地区・佐野以南、竹野町三椒地区) |
城埼郡 | 豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区) |
美含郡 | 美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区) |
七美郡 | 美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父町(熊次地区) |
二方郡 | 美方郡新温泉町(旧浜坂町、旧温泉町) |
気多郡とは、但馬国(兵庫県北部(日本海側))にかつて存在した郡で、北から豊岡市中筋地区の伏、八社宮から、今の豊岡市日高町(浅倉・赤崎は旧養父郡)と豊岡市竹野町床瀬、椒までのエリア。昭和30年(1955)に、美含郡とともに城崎郡に吸収し郡名は消滅。
気多郡は、奈良時代に律令制が行われた後の時代に記された「和名抄」によると、八つの郷で構成されていた。西から太多(タダ)、三方(ミカタ)、楽前(ササクマあるいはササノクマ)、高田(タカダ)、日置(ヒオキ)、高生(タコウ)、狭沼(サヌマ)、賀陽(カヤ)で、これはずっと後になって律令制度が整備された郷。ちなみに山間部が多い太多(タダ・太田)と狭沼(サノ)、三方(ミカタ)の3郷は広大で、気多郡の平野部を除いた比較的山間部に位置し、約3/4を占める。弥生時代までに、こうした国境(邑境)は、地理的条件で、ある程度自然に分けられたのであろうが、これらが後に郡・郷(庄)として郷名であり、首長名になった。最も大きな太多郷は兵庫県でも鉢伏と並んで最も古くから人が住み着いた遺構が発見された土地であり、気多郡は東部を南北に流れる円山川と、稲葉(いなんば)から久田谷(くただに)までの円山川の支流稲葉川水系である。狭沼郷は円山川の支流八代川水系と現在の竹野町椒、三原から八代川下流の豊岡市佐野までで狭沼(サノ)は佐野の旧字である。
中筋村(賀陽郷)・日高村・国府村・八代村・三方村・西気村・三椒村
『和名類聚抄』承平年間(931年 – 938年) 気多郡 郡八
太多、三方、楽前、高田、高生、日置、狭沼、賀陽
国司文書別記第一巻 『気多郡郷名記抄』 天延三年(975)
陽候史 真志訶 選
気多
気多は気多都県なり。この郡の気吹戸主神の釜あり。常に烟を噴く。この故に気多郡と名づけ、郡名となす。今その山を名づけて『神鍋山』という。気多神この地に鎮座す。祭神は国作大巳貴命・物部多遅麻連命・大入杵命三座。
太多郷は、将軍田道公の御子太多毘古命在住の地なり。この故に名づく。
『太田文』村数19
三方郷
三方郷は、馬方郷の転訛、軍馬操練の地なり。この故に名づく。
柴垣・
『太田文』村数10
芝・
佐々前郷は、いま
『太田文』村数5
伊府・篠垣・佐田
右北庄と云う。
野村・伊原
右東方と云う。
伊原は今
高田郷は高機郷なり。雄略天皇の御世16年夏6月、秦の伴部を置く。養蚕・製糸の地なり。
『太田文』村数6
夏栗・久斗・禰布・
日置郷は日置部在住の地なり。日置神社この地にあり。天櫛玉命を祀る。玉作部は日置村にあり。
『太田文』今の村数
日置・
高生郷は、威田臣荒人の裔威田臣高生在住の地なり。この故に高生と名づく。
『太田文』村数4
国府在住の地なり。またの名は気多郷。
山本(元は八上)・
『太田文』今の村数
山本・
狭沼は狭き沼なり。この故に名づく。
狭沼・鷹貫・
『太田文』今の村数
佐野・上石・竹貫
右佐野庄と云う。
藤井・
右八代谷と云う。
賀陽郷は、舒明天皇の皇子、賀陽王の子代部の民所住の地なり。この故に賀陽部という。三島真人の裔、三木島宿祢在住の地なり。故に賀陽王を中山に鎮座す。
低野・
『太田文』今の村数
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