第3章 2.日本はヒボコより以前から鉄の産地だった

天日槍(以下、ヒボコ)という名前から、ヒボコは鉄の技術者、もしくは製鉄に関わる人びとの総称であったり、武神を連想させる。
しかしこれは、鉾・矛が鉄製の武器である、日本にはそれまで鉄器がなかったのだとの思い込みである。記紀にはどこにも天日槍と鉄に関する記載はない。もちろんそうした祭祀の神であっても鉄、武神の意味合いも含まれていただろう。

『古代日本「謎」の時代を解き明かす』長浜浩明氏は、

ヤマトは「鉄」の産地だった

樋口清之氏によると、(中略)奈良盆地南東部に位置する標高467mの三輪山は、その端正な姿からヤマト一円の人びとから、神の山として崇められてきた。この大神神社には拝殿はあるが本殿はない。それは山そのものがご神体=本殿であるからだ。では何故、山がご神体なのか。

日本列島には南九州から四国、紀伊半島を通り、諏訪に至る中央構造線と呼ばれる断層が通っており、この断層に沿って鉄、銅、水銀などの貴重な鉱床が多数存在する。この断層が通る紀伊半島山中からは、丹、辰砂、水銀、鉛丹(赤色染料)がとれ、各地に丹生神社が祀られている。そして三輪山からは鉄が採れた。

(中略)

西南麓には金屋遺跡があり、ここからは前期縄文土器が発見されていて、最も早く拓けたところと判明するが、注目すべきは弥生時代の遺物とともに、同層位から鉄滓や吹子の火口、焼土が出土している。鉄滓は製鉄時に出来る文字通りの鉄の滓(かす)であるから、それが発見されるということは、必ずその付近で製鉄が行われていたことを示すわけで、だからこそ金屋と称したのであろう。また山本博氏によると、三輪山の山ノ神遺跡からも刀剣片と思われる鉄片が出土し、穴師兵主には鉄鉱の跡が見られるという。(真弓常定『古代の鉄と神々』学生社2008

古事記は、わが国を「豊葦原の瑞穂の国」と記しているが、どのような意味なのだろうか。(中略)実は、古代日本は製鉄原料に事欠かなかった。火山地帯の河川や湖沼は鉄分が豊富で、水中バクテリアの働きで葦の根からは褐鉄鉱が鈴なりに生ったからだ。
では何故、鈴なり=鈴というのか。
(中略)この褐鉄鉱は時に内部の根が枯れて消滅し、内部の鉄材の一部が剥離し、振ると音が出ることがある。鈴石などと呼ばれる。褐鉄鉱=スズが密生した状態が「すずなり=五十鈴」の原義であった。(中略)どこか銅鐸に似ているように思えないか。

(中略)

ここに至り、「豊葦原」の意味がわかった、といっていいだろう。わが国では神代の昔から鉄が作られ、人びとは製鉄職人を崇め、最初の原料はスズ=褐鉄鉱であった。
当時の人々は、「葦原」はスズを生み出す源でることを知っていた。従って、「豊葦原」とは、「貴重な褐鉄鉱を生む母なる葦原」という意味なのだ。

(中略)

高知県西部の四万十川上流、窪川町の高岡神社には五本の広峰銅矛があり、それを担いで村々を回る祭りがある。(中略)その本義は、葦の玉葉が生い茂るのを祈り、葉が茂ればその根にスズがたくさん生み出される、それを願って行われたに違いない。

また鐸とは「大鈴なり」とあるように、鈴石の象徴。これを打ち鳴らすことで葦の根にスズが鈴なりに産み出されることを祈ったのだろう。そして、祭器としての矛や鐸は、古くは神話にあるように鉄が使われていたが、青銅器を知るに及んで、加工しやすく、実用価値の低い青銅器を用いるようになっていった。このような考えに逢着したのである。

ヒボコは技術者ではなく、日本に憧れ、玉、小刀、桙、鏡、神籬を持って来た王子だった。三国史記と照らし合わせると、ヒボコは但馬出身の新羅王(=倭人)の子孫だからこそ、彼は日本語を話し、神籬を持って故郷へやって来た、可能性も否定出来ない。

(中略)

わが国では、弥生時代後期から鉄鉱石や砂鉄を用いた鉄の大量生産時代に突入していた。この製法の普及により、褐鉄鉱を用いた製鉄は次第に廃れ、スズの生成を祈る銅鐸と銅矛を用いた祭祀の意味が希薄になっていったに違いない。
そして、砂鉄タタラが本格化した2世紀前葉から埋納祭祀が行われなくなり、いつしか記憶の底に沈み、忘れ去られた。

その名残が社頭にある大鈴だった。神社に鈴があり、「願いと共に鈴を鳴らす」のも、遡れば「スズの生成を祈る」ことに繋がるのか、と納得した次第である。

天日槍のほこ(槍・矛)は、武器ではない祭器である

天日槍のほこ(槍・矛)は、武器ではない祭器であり、日は太陽、矛は葦の葉、鐸は葦の根の鈴石をあらわし、地の豊かな実りと繁栄を祈った農耕の神であり、初代多遅麻国造として、但馬が平らぎ豊かになることを大和が願った象徴として、但馬一宮出石神社に天日槍と八前大神として八つの神器であった、と思うのではないだろうか。天は海、海部のこととする説もあるが、神名に天を冠せられるのは、すなわち天皇の号であり、天照大神をはじめ天津神であることの証しなのだから、ヒボコだけ天が海部から来ているという例外は認めたくない。天皇の命によって編纂された記紀が、そのような例外または軽率な扱いをする筈はないだろう。

神社拝殿に吊るされた鈴は、銅鐸→鰐口→鈴

になったものであると思っている。鈴を鳴らしてお祈りするのはそういうことは、銅鐸にルーツがあるようです。


[catlist id=450]

コメントする

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください