【日本神話】4.日向神話3/3 「ウガヤフキアエズの誕生」・「神武東征(東行)」

6.ウガヤフキアエズの誕生

地上の世界に帰ったヤマサチヒコは、海の神様に教えられた通りに、釣針を投げて返しました。お兄さんのウミサチヒコは怒って受け取らず、困ったヤマサチヒコは魔法の瓊(たま)を取りだしました。すると海の波がザブンザブンとやってきてウミサチヒコをおぼれさせました。海におぼれるウミサチヒコは「私が悪かった。これからは何でもいうことを聞くから、どうか助けてください。」とヤマサチヒコに頼みました。ヤマサチヒコはもう一つの魔法の瓊(たま)を取り出しました。すると、波がスーッと引いてウミサチヒコはおぼれずにすみました。

ウミサチヒコが何でもいうことを聞くようになったので、ヤマサチヒコは安心してトヨタマヒメのための部屋造りを始めました。ところが、全部完成しないうちにトヨタマヒメがやってきて「もう産まれそうだ。」といいました。そして「私が赤ちゃんを産むときに、絶対に見たりしないでください。」と頼んで、部屋の中に入って行きました。ヤマサチヒコは、初めは約束通り外で待っていたのですが、だんだん我慢ができなくなって、とうとう部屋の中を覗いてしまいました。すると、なんとそこには赤ちゃんを産んでいる大きな鰐(ふか)がいたのです。ヤマサチヒコに本当の姿を見られたトヨタマヒメはとても悲しんで、産まれたばかりの赤ちゃんを残して海の世界に帰っていってしまいました。ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと名付けられた赤ちゃんは、トヨタマヒメの妹のタマヨリヒメが育てることになりました。

大きくなったヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトは自分を育ててくれたタマヨリヒメと結婚しました。そして二人には、ヒコイツセノミコト・イナヒノミコト・ミケイリノノミコト・カムヤマトイワレビコという四人の子供ができました。

7.神武東征(東行)

ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメの四人の子供たちはやがて大人になりました。ある日、カムヤマトイワレビコは兄弟と話し合いました。「私たちの祖先は、この日本をより良い国にするためにこの地上に降りてきて頑張ってきた。しかし、この日本には私たちの知らない場所がまだあります。塩土老翁は『東の方角がよい』という。みんなで力を合わせて東の方に行って、この日本全体の中心となるような場所を作り上げよう。」

そうして四人は、海を渡ったり山を越えたりしながら、何年もかかって東の方角を目指しました。長い長い旅の途中では、戦いをしなければならないときもあり、目指していた場所にたどり着いたときにはカムヤマトイワレビコただひとりになっていました。
ようやく目指していた場所にたどりついたカムヤマトイワレビコは、そこでも最後の戦いをしなければなりませんでした。しかし、もう自分を守って一緒に戦ってくれる兄弟はいません。「もう勝てない。」と思ったとき、急に空が真っ黒になり、ピカピカに光る金色の鵄(トビ)が飛んできてカムヤマトイワレビコの弓の先にとまりました。この金色の鵄があんまりにも光るので、敵は眩しくて目を開けることができず戦うことができなくなりました。

こうして最後の戦いに勝ったカムヤマトイワレビコは橿原(奈良)という場所を日本の中心とし、そこで日本で初めての天皇(神武天皇・ジンムテンノウ)となり、より良い日本国のために働きました。

■考察 日向神話と現代

人間は生きていく上で、生と死という重大事をはじめ、人間の存在を問うさまざまな問題をかかえています。

それは古代の人にもわからない、また現代の人にも今もって答えられないものが多い。我々はそのような問題をかかえながら人間の歴史を生きています。
日向神話のなかで、古代のひとびとは疑問に思ったこと、不思議に思ったさまざまなことに答えを出そうとします。いくつかの例をあげてみよう。

(1)人にはなぜ死があるか

生あるものには必ず死があります。なぜ死があるか。これはいまだに古代人も現代人も解きえない問題です。この問題にとりくんだ古代人は、神話のなかで、美醜に迷った神の仕業と考えた。  地上に天降ったニニギノミコトは、クニツ力ミノムスメであるコノハナサクヤヒメを見染めて、結婚をクニツカミの父神に申し込んだ。父神は姉ヒメでシコメ(醜女)ではあるが、永遠に続く生命をもった大地の象徴であるイワナガヒメをもさしだすことを申し出た。ところがニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけを選んだ。コノハナサクヤヒメは、春には花が咲きほこるが、やがてはかなく散って行く限りある生命の象徴であった。

クニツカミの父神は、ニニギノミコトの選択を大変なげいた。ミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれてくる神々や人皇たちは、生あるものは必ず死を迎えるという有限の生命をもってうまれてくることになった。不老長寿の願いは今もって人間の大きな関心事です。

(2)疑心と嫉妬は人の性である

疑心と嫉妬は人間の醜悪な性(さが)です。
ニニギノミコトと結婚したコノハナサクヤヒメは一夜にして身ごもった。ミコトはいくら私がアマツカミであっても一夜をともにしただけで身ごもるとは、自分の子供ではないのではないかと疑念をもった。このことを大変悲しんだヒメは、出口のない産屋に入り、火を放って無事に出産することで身のあかしをたてた。

疑心と嫉妬は人間の世界では絶えることがないが、これに対処する方法も決め手もなく、いつの世にも悩みはつきない。古代の人々は、人間の能力を超えたところにその解決をもとめた。

(3)好奇心と海陸での生活

トヨタマビメはホオリノミコトのミコを生むために、鵜の羽の産屋を作りはじめた。それが終わらないうちにミコが生まれそうになった。そのときヒメはホオリノミコトに「子を生むときは私の身は本国(ワダツミの世界)の姿になるので見ないでください」と頼んだ。

見るなといわれれば、どうしても見たくなる。ふしぎに思って覗いてみると、8丈もある大きな鰐がのたくっていた。トヨタマビメは本姿を見られたことを恥じて海への道をふさいで海宮に帰った。

人間は未知のものに対する大きな好奇心を持っています。見るなといわれれば見たくなる。それに対して自制できない弱さをも持っています。

また人間はどうして海で生活できないか。どうして海と陸の間で往来ができないのか、というのも古代の人々以来の課題です。古代の人々は好奇心に駆られ自制できなかったアマツカミの末孫である人間に、ワダツミノカミが道を閉ざしたからだとした。

霧島神宮 (1995参拝)

鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
主祭神:ニニギノミコト天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛尊)
ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)
トヨタマヒメ(豊玉媛尊)
ウガヤフキアエズノミコト(??草葺不合尊)
タマヨリヒメ(玉依媛尊)
別表神社

御由緒:欽明天皇の時代、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。

高千穂神社(たかちほじんじゃ)

宮崎県西臼杵郡高千穂町
主祭神 高千穂皇神 十社大明神
国史見在社論社・旧村社・別表神社
引用:宮崎県 「民話と伝承」

■日本神話

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