【環日本海の歴史】(2) 大陸から日本列島へ
地球の誕生
地球は約38億年前誕生したとされています。
約44億年前 地球は太陽の周囲をまわる軌道にあった天体、すなわちミニ惑星たちがが合体して形成されたとされています。小さな塵などが合体して火星ほどの大きさになり、そして、10個ほどがさらに衝突して現在の地球となったのではないかといわれています。
最後の大きな星の衝突(ジャイアント・インパクト)によって表面に海が形成されました。
40億年~38億年前 現在、知られている最古の堆積岩が現れます。このころに原始生命が誕生したと考えられています。
約38億年前から約25億年前、移動していた大陸がはじめて安定しました。そして光合成によりエネルギーと酸素を作り出す微生物が誕生します。
約20数億年前には大気中の酸素の増加がしはじめます。
9億年前から5億4,200万年前、オゾン層ができて紫外線がダイレクトに地表に届かなくなりました。超大陸ロディニアが少なくとも8つの地塊(大陸)に分裂したことによる複雑な大陸移動が引き起こったと考えられています。
5億4,200万年前以前、肉眼で見える大きさで硬い殻を持った生物の化石が初めて産出されます。
海中では様々な種類に至る海洋生物が現れ、中でも三葉虫等の節足動物が繁栄し、藻類が発達しました。
カンブリア爆発…この時期の初期には動物門のほとんどすべてが出現したと考えられ、この時代に動物の多様性が一気に増大した可能性があります。後期には多細胞生物も出現しました。
約1億9500万年前~約1億3500万年前、恐竜が繁栄、原始的な鳥類の出現、被子植物の出現。
6500万年前、霊長類(有胎盤類)の出現しました。
約4000万年前、現代の動物相につながるものがほぼ出現している。ヒトの祖先はこの時代に誕生しました。
2500万年前、最古の類人猿と思われる化石?がアフリカのケニヤで発見されました。
1300万年前 この頃からヨーロッパ、南アジア、東アジアなどユーラシア各地にも類人猿の化石が現れる。
約600万~500万年前 この頃、ヒトとチンパンジーが分化したとされる。直立二足歩行の開始。
日本列島の誕生
地球の気候は温暖期と氷河期をくりかえしてきました。紀元前7万年頃から紀元前1万4千年頃にかけては地球は氷河期で、日本列島は、朝鮮半島や千島列島によって大陸と陸続きだったとされています。インドシナ半島からインドネシア、フィリピンなどは大陸と陸続きで、「スンダランド(Sundaland)」という広大な平野だったといわれています。中国と朝鮮半島、日本列島に囲まれた黄海も平野であったようです(北海道以北、東シナ海の大陸棚がそれに当たる)。
広大なスンダランドはアジア系民族の故郷であるといわれています。紀元前5万年頃から一部が北上し、モンゴルやシベリアにまで広がりマンモスハンターとなり、彼らは徐々に寒さに適応して北方系のアジア民族になっていきます。シベリアから北海道、・本州東北部、また、アラスカ(エスキモー)、アメリカ(インディアン)、南アメリカ(インディオ、マヤ、インカなどの文明)へと南下していったのでしょう。
また、一部の人々は海洋民族として太平洋に広がり、ポリネシア(概ねハワイ諸島・ニュージーランド・イースター島を結んだ三角形「ポリネシアン・トライアングル」の中にある諸島の総称。)へ移住しました。これと同じ時期に世界の数ヶ所、同じ様な場所があるようです。
13000年前、旧石器時代(先土器文化)は、その名の通り土器のない時代です。石を打ってつくった打製石器と、石を磨いてつくった磨製石器を使う文化です。日本列島はたくさんの火山が噴火して、火山灰が厚く積もっていたので、とても人間や動物が暮らしていける環境ではありませんでした。したがって、日本列島には旧石器時代はなかった、これが、明治以来、日本の考古学の常識でした。
NHK 高校通信講座『日本史』
ところが、戦後間もない1949(昭和24)年、群馬県岩宿の関東ローム層(赤土)とよばれる火山灰かが厚く積もった中を深く切り開いた道で、相沢忠洋さんが確実に人間が加工した白っぽく透き通った鋭く尖った石が顔を出しているのを見つけました。少年時代から考古学への強い興味を持ち続けていた相沢さんは、「日本にも旧石器時代の人間が住んでいたはずだ」と信じて石器の発見を夢見ていました。
ただちに、東京の大学の持ち込んだところ、研究の結果それは旧石器であることがわかりました。ただちに大学から調査隊が岩宿に送り込まれ、一体を詳しく調査した結果、「日本にも旧石器時代があった」ということが発表されました。
しかし、この大学の発表には、その発見が相澤氏の功績であることは全く紹介されませんでした。彼がアマチュアであり家庭の事情で小学校しか卒業していなかったことで、完全に無視されたのでした。しかし彼はそんなことは気にもとめず、地道な研究活動を続けて関東地方で数多くの旧石器を発見しました。その功績で1967(昭和42)年、彼に吉川英治賞が贈られました。
いまでは日本全国で4000か所以上の旧石器遺跡が発見されており、中には35000年前のものまであることがわかっています。すでに日本列島には縄文人の先祖にあたる旧石器人が住んでいました。