(1) はじめに

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■はじめに

18世紀になると、偶然に発見された遺跡や遺物が注目されるようになり、また、ギリシャ・ローマへの関心が高まるなかで、ローマ時代遺跡の発掘が始まりました。火山噴火で埋没したポンペイが偶然発見されたのを契機に、大規模な発掘が行われるようになりましたが、当初は、領主による美術品の蒐集が目的の略奪でした。

18世紀末から19世紀初めになると、いわゆる未開地への探検が流行し、そこから収集された考古学的遺物や民族資料が公開されて注目を浴びるようになりました。19世紀半ばになると、科学的発掘調査が成立してきました。まず、地質学の分野で、地層の順番を決め、出土する化石の年代順序を明らかにして、地球の歴史を明らかにする層位学的研究法が確立しました。

一方、聖書の故郷として注目を集めていたメソポタミアでは、発掘競争を続け、今でもルーブル美術館や大英博物館の主要な展示物である膨大な石彫類を発掘しました。1871年、シュリーマンがホメロスの詩に書かれていたトロイと信じ、トルコのトロイの遺跡を発掘しました。現在では、この遺跡をトロイと断定することは出来ないというのが定説となっていますが、このように最初の発掘は聖書や神話をもとに行われていました。日本でも江戸時代にはすでに記紀や風土記による発掘が行われていたことはヨーロッパと大差はありません。

しかし、明治以降は、皇国史観によって日本神話の記述が神聖視され、神話研究はそれ以前よりも後退することとなりました。大正時代に津田左右吉が『神代史の新しい研究』ほかを発表し、日本神話に科学的な観点から批評を行い、神代記は政治的な意図で作られた創作であると結論づけました。戦後になってもしばらくの間、津田の説が日本神話研究の中心となりました。

現在では津田説が細部まで正しいとは必ずしも考えられてはいませんが、日本神話を考古学などの証拠なく、弥生・古墳時代の史的事実の反映と考える説は基本的に退けられています。

ただし、より正確であるといわれている中国など外国の史料や遺跡・遺物は、断片的であるために、全体の流れをつかむことができにくく、複数の解釈を生じます。信憑性に疑問があるとしても、最も詳しいのは古史・神社由来・民話などの国内資料であり、そうした国内資料を無視した状態では、複数の解釈が可能となり、正解を得ることはまず不可能と考えられます。

全体の流れをつかむには、歴史の断絶によってほとんど継承されることがないシナ朝鮮半島に比べ、天皇という世界最古の2,600年も続いて残されてきた日本国内の資料に頼るしかないと判断し、正確である可能性の高いものを基に、その内容を、外国史料や遺跡遺物と照合することによって確認し、矛盾を生じるものはその伝承が正しくないと判断するという方法で論を進めたいと思います。

今日では、意図的な改変や創作がかなり加えられてはいるものの、そのようなものの見方をする古代の人たちがいたことに注目する文化的背景を考察する考え方が主流となっています。

いまグローバル社会といわれています。しかし、あえていうまでもないことですが、かつて地球上に人類が誕生したころは国境などありませんでした。人々は自由に獲物を求めて移動をくりかえしていたのです。

■歴史の時代区分

日本の歴史における時代区分には様々なものがあります。しかしながら、一応のところ、文字の発生と記録を残すことが行われる以前を原始(先史)、それ以降を古代・中世・近世・近代・現代とする時代区分法が歴史研究では広く受け入れられています。この場合でも、各時代の画期をいつに置くかは論者によって大きく異なっていますが、単純に分かりやすくするためにこの一般的時代区分によっています。
さらに、それぞれは次の通りとします。

和色大辞典より

一般に学校で習うようなよく知られている時代区分は、主として政治センターの所在地に着目した時代区分です
単に便宜的に用いられているに過ぎない時代区分であるといえますが、文献史料がなく発掘による考古史料のみが残る先史時代は、考古学上の時代区分に従い、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代と区分します。文献史料がある程度残る時代以降は政治センターの所在地に従って、飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代と区分していますが、これだけでは必ずしも十分でないため、鎌倉時代と室町時代の間に南北朝時代、1467年の応仁の乱頃から1573年に15代室町将軍足利義昭が織田信長によって追放されて室町幕府が事実上消滅するまでの時代を戦国時代という区分を設けており、これらは中国史の時代区分からの借用です。
江戸時代の次は政治センターの所在地に従うなら、「東京時代」と呼称すべきでしょうが、明治以降から天皇の在位に従って明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代と呼ばれています。
また、北海道・北東北、南西諸島などの周縁部については、統治範囲が時代によって上記区分に及ばないため、これらとは異なる時代区分が用いられています。
また、文化面に着目して、縄文文化・弥生文化・古墳文化・飛鳥文化・白鳳文化・天平文化・弘仁貞観文化・国風文化・院政期文化・鎌倉文化・北山文化・東山文化・桃山文化・元禄文化・化政文化・明治文化・大衆文化?などとする区分もあります。

■記載について

あくまでも、自分が生まれた地域に関心がわいたのがきっかけで郷土を中心に展開しています。「すべての歴史は現代史である」という偉大な歴史哲学者(ベネデット・クローチェ)。過去の史料を評価・検証する過程を通して新しい歴史的事実、及びそれらの関連を探り、異なった見方や意見も併記するようにしました。絶えず更新しております。ご助言がございましたらこちらまでお寄せ下さい。

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