ポツダム宣言と治安維持法

政権転覆扇動罪で民主活動家に懲役5年 中国
産経IZA 2010/02/09 13:14

香港の人権団体、中国人権民主化運動情報センターによると、四川大地震の校舎倒壊の真相究明活動で知られ、国家政権転覆扇動罪に問われた民主活動家の譚作人氏に対し、四川省成都市の裁判所は懲役5年の判決を言い渡した。

譚氏の罪状の詳細は不明。香港紙は、譚氏が昨年、1989年の天安門事件当時の民主化運動の学生リーダーだった王丹氏にメールを送り、事件20年の記念活動を呼び掛けたことなどから起訴されたと伝えていた。(共同)

四川大地震の校舎倒壊の真相究明活動自体が違法になる方がおかしい。地方の公共事業請負に共産党幹部が汚職にまみれていることはよく知られている。中国共産党=政府であり国家なのだ。国家政権転覆扇動罪とは、正義よりも党の汚職による欠陥工事を隠蔽しなければ国家が危なくなる国とはいかがなものか。

しかし、最近「治安維持法」という法律がなくなっていることは問題ではないかと思えるほど政府の特に小沢が中国共産党に140人も謁見し、帰り際には韓国の大学で天皇陛下訪韓を発言している。その前にも韓国に「外国人地方参政権」実現を約束している。また、中国の副首相習近平氏をルールを破り天皇と強引に引見させたことだ。国益よりも党益・私益を優先しているのではないか。国家の主権・道議を侵す憲法違反である。献金疑惑は過去最大規模のもので、不起訴になったといっても証拠不十分でありシロだといっていない。

そこで「治安維持法」についてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で引いてみた。

治安維持法(ちあんいじほう)は、国体(天皇制)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。

当初治安維持法制定の背景には、とくにロシア革命後国際的に高まりつつあった共産主義活動を牽制する政府の意図があった。
前身

1920年より、政府は治安警察法に代わる治安立法の制定に着手した。1917年のロシア革命による共産主義思想の拡大を脅威と見て企図されたといわれる。また、1921年4月、近藤栄蔵がコミンテルンから受け取った運動資金6500円で芸者と豪遊し、怪しまれて捕まった事件があった。資金受領は合法であり、近藤は釈放されたが、政府は国際的な資金受領が行われていることを脅威とみて、これを取り締まろうとした。また、米騒動など、従来の共産主義・社会主義者とは無関係の暴動が起き、社会運動の大衆化が進んでいた。特定の「危険人物」を「特別要視察人」として監視すれば事足りるというこれまでの手法を見直そうとしたのである。

1921年8月、司法省は「治安維持ニ関スル件」の法案を完成し、緊急勅令での成立を企図した。しかし内容に緊急性が欠けていると内務省側の反論があり、1922年2月、過激社会運動取締法案として帝国議会に提出された。「無政府主義共産主義其ノ他ニ関シ朝憲ヲ紊乱」する結社や、その宣伝・勧誘を禁止しようというものだった。また、結社の集会に参加することも罪とされ、最高刑は懲役10年とされた。

これらの内容は、平沼騏一郎(元首相・現衆議院議員平沼赳夫氏の養父)などの司法官僚の意向が強く反映されていた。しかし、具体的な犯罪行為が無くては処罰できないのは「刑法の缺陥」(司法省政府委員・宮城長五郎の答弁)といった政府側の趣旨説明は、結社の自由そのものの否定であり、かえって反発を招いた。また、無政府主義や共産主義者の法的定義について、司法省は答弁することができなかった。さらに、「宣伝」の該当する範囲が広いため、濫用が懸念された。その結果、貴族院では法案の対象を「外国人又ハ本法施行区域外ニ在ル者ト連絡」する者に限定し、最高刑を3年にする修正案が可決したが、衆議院で廃案になった。

また、1923年に関東大震災後の混乱(在日朝鮮韓国人等)を受けて公布された緊急勅令 治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件(大正12年勅令第403号)も前身の一つである。これは、治安維持法成立と引き替えに緊急勅令を廃止したことで、政府はその連続性を示している。

法律制定

1925年1月のソビエト連邦との国交樹立(日ソ基本条約)により、共産主義革命運動の激化が懸念されて、1925年4月22日に公布され、同年5月12日に施行[1]。普通選挙法とほぼ同時に制定されたことから飴と鞭の関係にもなぞらえられ、普通選挙実施による政治運動の活発化を抑制する意図など治安維持を理由として制定されたものと見られている。治安維持法は即時に効力を持ったが普通選挙実施は1928年まで延期された。 法案は過激社会運動取締法案の実質的な修正案であったが、過激社会運動取締法案が廃案となったのに治安維持法は可決した。奥平康弘は、治安立法自体への反対は議会では少なく、法案の出来具合への批判が主流であり、その結果修正案として出された治安維持法への批判がしにくくなったからではないかとしている。

1928年(昭和3年)に緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」(昭和3年6月29日勅令第129号)により、また太平洋戦争を目前にした1941年3月10日にはこれまでの全7条のものを全65条とする全面改正(昭和16年3月10日法律第54号)が行われた。
1925年法の規定では「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」を主な内容とした。過激社会運動取締法案にあった「宣伝」への罰則は削除された。

廃止

1945年の敗戦後も同法の運用は継続され、むしろ迫り来る「共産革命」の危機に対処するため、断固適用する方針を取り続けた。同年9月26日に同法違反で服役していた哲学者の三木清が獄死し、10月3日には東久邇内閣の山崎巌内務大臣は、イギリス人記者に対し「思想取締の秘密警察は現在なほ活動を続けてをり、反皇室的宣伝を行ふ共産主義者は容赦なく逮捕する」と主張した。さらに、岩田宙造司法大臣は政治犯の釈放を否定した。こうしたことなどから同10月4日にはGHQによる人権指令「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去に関する司令部覚書」により廃止と山崎の罷免を要求された。東久邇内閣は両者を拒絶し総辞職、後継の幣原内閣によって10月15日『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等(昭和20年勅令第575号)』により廃止された。また、特別高等警察も解散を命じられた。

1948年に制定された韓国の国家保安法は治安維持法をモデルにしたと言われている。

中国の言論統制

中国は自国民だけではなく、外国メディアに対してもしばしば統制をはかる。日本のマスコミも実質的に中国の検閲下にあるといわれている。この背景には親中派議員たちが訪中して締結した1964年(昭和39年)の「日中記者交換協定」、さらに1968年(昭和43年)の「日中関係の政治三原則」という両国間の検閲協定がある。これにより「1中国を敵視しない、2二つの中国の立場に立たない、3日中国交正常化を妨げない」が日中記者が記者交換する原則とされた。これは事実上日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束したものであり、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどや、今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された。日本の憲法に照らすと違憲性が強く推定される協定だったが、日本のメディアはほぼ追随した。現在に至るまで日本の報道機関はこれらの協定に従順であり中国へ不利な報道や対中ODAに関する報道はほぼしない。

文化大革命の際に些細なことで日本の報道各社が次々と中国を追放されていたこともマスコミの上記の記者諸協定への強い順守の原因となっている。文化大革命の際には次々と外国メディアが追放され、日本の報道機関も朝日新聞をのぞいてすべて追放されている。そのため当時唯一中国の情報を報道できた朝日新聞は他の報道機関から羨望のまなざしで見られていた。その後、中国への再入国を許された他の日本の報道各社もこの追放の過去が一種の「トラウマ」になって中国共産党当局から目をつけられないよう諸協定に必要以上に従順となっているのではないかともいわれる。

なお唯一産経新聞だけがこの協定に反発し、傘下のフジテレビを含めて特派員をすべて引き上げた事は有名である。このため産経新聞社の発行する各新聞、雑誌、及びFNS系制作のテレビ番組、ニッポン放送のラジオ番組では、しばしば中華人民共和国に対する挑戦的とも取れる批判的内容が盛り込まれることがある他、台湾(中華民国)に対する友好的な記事・番組が多いことでも知られる。

米国愛国者法

テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年の法 (英: Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001 公法律 107-56) は、正式名称の頭文字を取って米国愛国者法[1] (USA PATRIOT Act) あるいは単に「愛国者法」(Patriot Act) とも呼ばれる。2001年10月26日に米国大統領ジョージ・W・ブッシュが署名して発効した連邦議会制定法(en)である。

当法は十章から成り、各章は複数の条に分かたれる。各章は以下のとおり。

第1章 テロリズムに対する国内の安全性の向上 (Title I: Enhancing Domestic Security against Terrorism)(en) テロリズム対策について定める。

第2章 監視手続の改善 (Title II: Enhanced Surveillance Procedures)(en) 政府のさまざまな部局の捜査権限を強化する。二十五条から成り、そのうちの一条 (224条) がサンセット条項(一定期間ごとの見直し規定)を含む。

第3章 国際マネーロンダリングの阻止及びテロリストへの資金供与防止のための2001年法 (Title III: International money laundering abatement and anti-terrorist financing act of 2001)(en)

第4章 国境の保全 (Title IV: Protecting the border)(en)

第5章 テロリズムの捜査に対する障害の除去 (Title V: Removing obstacles to investigating terrorism)(en)

第6章 テロリズムの被害者、公共保安職員及びその家族に対する支援 (Title VI: Providing for victims of terrorism, public safety officers and their families)(en)

第7章 重要基盤の防護のための地域的情報共有の増進 (Title VII: Increased information sharing for critical infrastructure protection)(en)

第8章 テロリズムに対する刑法の強化 (Title VIII: Strengthening the criminal laws against terrorism)(en)

第9章 諜報活動の改善 (Title IX: Improved intelligence)(en)

第10章 雑則 (Title X: Miscellaneous)(en)

つまり、GHQによって憲法はじめ自国民が国家解体を図る売国的政治家や左翼を処分できないのである。
戦えない国、主権を守れない国、スパイ天国。これでも独立国家だろうか。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ
↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。

戦争と日本(5) 日本化する米国、米国化する日本

日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本」 縛りのない相互信頼など世界では誰も守らない 2009/07/24
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=1

世界はもともと略奪主義であり、それがまだ抜けていない。略奪された人が文句を言えば、それは「自己責任」とする。世界は実態としてそういうふうに動いている。

「相互信頼が理想だ」などというのは、だましの手段でしかない。何らかの縛りがなければ、相互信頼を守る人は皆無である。縛りというのは、国連の規程で言えば、国際社会から外れたことをする国には国連の軍隊が罰を与えに行くということである。

しかし、国連はいまだに独自の軍隊を持っていない。国連常任理事国は、まずそれぞれの軍隊を派遣しなければいけないと決められている。そして、日本やドイツがまた侵略をすることがあれば、みんなでつぶすと決められている。ところが、それは発動されたことがない。国連が何を決めても、常任理事国が守らない。守るのに熱心なのは小沢一郎さんだけだろう。

それが世界の現状である。世界は、多少は文明化しようと思ってまだ努力中で、日本はもう文明化が完了している。完了しているがゆえに、日本は世界ではお人よし国家になっている。

日本がこれだけ大きな国になってしかも文明化されているのを、分かる人は分かっている。だから、日本には「国徳」がある。徳によって外国を感化している。最近ではそれがだいぶ進行している。しかし日本人の方が分かっていない。もう一息だと思ってお人好しを続けるべきか。それとも少しはごねてみるか。どちらにせよ、単なるお人好しでは世界をスポイルする。

日米の違いが、次第に小さくなっている

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=2

世界がようやく日本の恩に感謝するようになりかけたら、今度は日本人が「もうやめた」と言い始めた。そして今、日本は主体性を発揮し始めている。麻生外交がそうだ。麻生外交がやっていることを、テレビや新聞は、自分たちが主張してきたことと違うから褒めない。たとえ褒められなくても、麻生首相は主体性のある外交を行っている。

米国は日本の徳に感じたのかどうか、米国人は日本人そっくりになりつつある。まず米国人は貯金をするようになった。かつて、米国人は貯金をしない、借金で暮らすと言われたが、最近では貯蓄率が2%になっている。日本の貯蓄率は、ピーク時は10数%まであったが、最近は2%で、今や、米国と並んでいる。.

それから、米国はかつて豊かで月給が高いといわれたが、今は低賃金国になった。今回の大不況とドル安でもっと低賃金国になるだろう。日本もかつては月給が高いといわれたが、今は、同じように低賃金国になった。それを「格差」と言っているが、「米国並みになった」と喜んではどうか。

ドル安のため輸出が伸びれば、米国人は外国人の好みを謙虚に学ぶようになる。財政赤字のため、もう軍事力は使えない等々の諸条件が進むというのもある。貯金をする、質素倹約する、勤勉に働く、低賃金でも頑張る等々を合計すれば、米国人はこれから、かつての日本人のようになる。来年の統計が出れば、はっきりするだろう。
日本の思想は、日本語の会話の中に自然に入っている。「すまない」とか「もったいない」とか、そういう日本語の中に、日本の思想が全部入っている。それらをきちんと取り出して英語にすれば、外国人は感心する。
日本のメディアに載っている注目すべき論文・タイトル・著者、あるいは反米主義者の論文などを、片っ端から英語に翻訳して、会員限定で配っている。それを読んだ人から反響がある時代になった。

日本人はもう英語を勉強するより、自分の文明・文化・思想をいっそう磨いた方がよい。向こうが日本語を勉強してついてきてくれる。

とすれば、世界に誇れる古い歴史と世界教ともいえる多信仰である「神道」を、わざわざ否定するのはもったいないのではないでしょうか。

人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。↓ブログ気持ち玉もよろしく。

戦争と日本(4) 原爆記念式典も大事だが靖国参拝をわすれてはならない

 外遊演説やテレビ出演、講演より、もいま麻生総理がやるべきことは、まず8月15日の靖国神社公式参拝です。
それは多くの識者がみんなそういっています。

日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本」 世界宗教のいいところを取り込んだ「日本教」 2009/07/24

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=4

 日本はどうして立派な国になったのか。それは、世界宗教を取り入れて、真面目に勉強し、真面目に実行したからだと思う。世界中を見回しても、そんな国は他にない。普通に言う世界宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、それから儒教、道教である。日本の神道は違う。

 日本の神道は、いいものは何でも取り入れてしまう宗教である。日本は何でもいいところを取る。悪いところは取らない。すべてを総合して飲み込んで、丸く角が取れた日の丸にする。

 仏教や儒教、キリスト教など、世界宗教にはいずれも変な「角」が付いている。そういう「角」は取り入れず、日本は「日本教」ともいうべき思想をつくった。それをきちんと実行している。世界宗教のあとに出てきた世界思想、たとえばギリシャ哲学やローマ哲学、ドイツ哲学、フランス哲学、イギリス経験論哲学などについても、日本人は真面目に勉強して、いいところは取り入れて実行している。

 神道、あるいは俗信、民間信仰など、文字で遺されていない日本人特有の思想は、1万年くらい前からあった。そこに、外国から伝わってきた儒教や道教、仏教、キリスト教などの思想が、みんな取り込まれた。

 日本人は、赤ん坊のときは神社にお参りして、結婚するときはキリスト教で、死んだときは仏教で葬式を行う。そんな日本人を「おかしい」「曖昧だ」と批判する向きもあるが、批判する人は、外国かぶれの人である。日本人は、多様な思想を吟味して、それぞれのいいところを取り込む。首尾一貫が尊いという考え方は、日本教にはない。

 日本では、融通無碍のほうが尊い。首尾一貫していないからあの総理大臣はおかしいとか、日本人はいいとこ取りをするからダメだとか、そんな批判の方がおかしいのである。世界ではだまし合いばかりやっているのに、他国には首尾一貫を要求している。

日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=3

 では、日本人はどうなるのか。貯金はしない、借金はする、若い人はぜんぜん働かない、勉強もしない、遊んでばかりいる。かつての米国人にそっくりである。日本と米国が逆転しているが、長い間付き合っていると、そうなるものなのだ。

 米国は今や平和国家になってきた。もう戦争はしない。北朝鮮に喧嘩をふっかけない。もうアフガニスタンの話などしない。オバマ大統領は世界から核兵器を廃絶しようと言い始めた。

 日本は逆に、戦争国家になりかけている。田母神俊雄さんが人気者となり、「日本人は戦争をするくらいの覚悟を持て」などと言っている。それを聞いて大拍手が起こる。日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる。日米すれ違いである。

人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。↓ブログ気持ち玉もよろしく。

戦争と日本(3) 終戦記念日と靖国神社

 八月十五日、終戦記念日。国の公式行事として英霊に対して天皇陛下、首相など国を代表して靖国神社に参拝し、12時のサイレントともに戦没者に黙祷を捧げ、武道館で戦没者追討慰霊式典が行われる。
評論家、西村 幸祐氏は
 
 一部のマスコミがほとんどが安直な戦犯合祀批判と神道の多神教的な柔構造とアミニズム的許容性を無視した形で問題にするのである。国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰、追悼すべき聖域から、ほど遠い卑小な世界に引きずり出した。
 元来信仰とはイデオロギーではなく、世俗的な風習であり、あえていうならば神道は、聖書や経典「宗教」でもなかった。クリスチャンの大平首相が参拝を行っていたように。
 意外にも、最近の神道研究によれば、アメリカの戦後占領政策が“国家神道”を必要としていたといっても過言ではないようだ。GHQは大東亜戦争の原因を軍国主義的に過激な国家主義によるものだと規定し、再び日本国民が戦争を起こさないように、国家と神道神社の繋がりを解消し、断罪して天皇と神道の存在を認めたくないために利用したのである。神社と国家の間の政教分離を図った。翌1946年に制定された宗教法人法に基づき、靖国神社は同年9月に宗教法人となったことで自ら国家護持体制からの離脱を明確にした。
 経済力を着実に付けてきた中国と1991年に国連加盟を果たした韓国が、靖国参拝を問題視して外交カードに使用してきた背景には、間違いなく日本の反日勢力の動きにリンクしていた。共産主義の末路を目にした日本の左翼勢力が、時代遅れになった仮面を脱ぎ捨て、新たな「反日運動」として「従軍慰安婦」「靖国戦犯合祀問題」「沖縄集団自決」というテーマを捜し出し、自らの存在意義をかろうじて守ろうとしているだけだ。
 私もいつか靖国神社に参拝したいと思っています。靖国神社と全国各県にある護国神社は、国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰する国家施設でした。神道国家である日本、日本人は神社に参拝することの本質は、もっと素直な気持ちである。政教分離といわれ、キリスト教だけでないアメリカでも大統領就任式に聖書に手を当てて誓う。おかしいではないかと中国・韓国がいうだろうか。政治的に理屈だてて行ってはいない。
 天皇陛下がカナダとハワイの国立墓地を訪問された。訪問された慰霊の施設をご訪問されることは国際的な礼儀です。カナダもアメリカも軍の幹部が随行することは最大の礼です。
———————————————

人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。↓ブログ気持ち玉もよろしく。

戦争と日本(2) 原爆とルーズベルト

今年も八月六日がやってきた。広島に原子爆弾が投下されてから64年、また終戦記念日とお盆というこの季節は、ふだん忘れている日本人の心を思い出させる。

広島、長崎の平和記念式典に時の総理大臣が参列する。このことに反対する人はいないのに、なぜ英霊を祀る国家を代表する靖国神社に八月十五日に参拝することに反対する人がいるのか不思議です。
原爆を投下された唯一の被爆国、日本はヒロシマ・ナガサキ宣言で世界に核兵器廃絶と平和を訴える。さらに、オバマ米大統領が「核のない世界の実現」を提唱し、アメリカとロシアとの核削減を約束した。

さて、東京裁判が自国の戦争責任は自国で裁判する国際法によって裁かれたものではなく、類のないアメリカの根拠のない不当なものであることは承知のことだが今回は置くとして、前回は東条英機について書きましたが、今回は原爆とアメリカ元大統領フランクリン・ルーズベルトについて話題にしたいと思う。

昨日、チャンネル桜の渡辺昇一先生「桜塾講座-世界偉人伝」で東条英機とルーズベルト(2)を観た。
昭和三十二年生まれの私は、少年の頃、戦争体験者の亡き祖母から、いろいろ戦争や軍歌を聴かされたり、学校で習うことで、軍国主義や多くの尊い人命を失った戦争を起こした日本人は悪いとふつうに思っていた一人だ。

フランクリン・ルーズベルトが大統領になったとき、アメリカは第一次世界大戦でイギリスやフランスを凌ぐ帝国覇権主義国家になっていた。暴力で領土を拡大する国は、逆にどこかに攻撃されないかと絶えず恐れているのだ。

ルーズベルトはオランダ系移民で、アメリカで裕福な資産家の息子に生まれた。海軍を経て民主党から大統領になった。当時白人至上主義で有色人に対する人種差別は激しかったが、オランダはとくに人種差別が激しい。インドネシアの占領政策やアフリカで最後までアパルトヘイト(人種差別政策)を行った南アもオランダ植民地だ。また、戦争を起こした時期は共和党よりタカ派の民主党の大統領である。

ヨーロッパからアメリカ東海岸に上陸し建国したアメリカは、西へ西へと原住民の土地を侵略し、カリフォルニアまで征服した。海洋を制することが国益につながる。イギリス、日本とともに三大海軍国のアメリカは、次はさらに西へ太平洋からアジアに向かうことだった。ハワイはすでに日本人移民が多く、いつ日本がアメリカ大陸に侵攻してくるかと脅威を抱いていたアメリカは、ハワイの王を追い出し占領下においた。

世界恐慌の中で就任したルーズベルトは、ドイツ人やイタリア人に行わなかった有色人である日系人を強制収容した。政権期間を通じて行われたアフリカ系アメリカ人の公民権運動に対する事実上の妨害という、ルーズベルトの人種差別的観点から行われた失政は、その立場を問わず大きな批判の対象となっただけでなく、アメリカにおける人種差別の解消を遅らせる要因の1つとなった。

日本はそのことで国際社会に人権保護を訴えた最初の有色人であるのだ。アジアの自主独立しかないと東條は大東亜共栄圏を構想し世界で初の首脳会議を東京で開いた。これがアジア諸国が不当な差別的植民地から目覚める勇気となり、戦後アジア諸国が独立に向かったことは日本人の精神とアジアで評価されている。

政府による経済への介入として「ニューディール政策」を行ったが、失業率が依然高止まり状態を保つなどなかなか成果が上がらず、やがて労使双方から反発もおきるようになった。しかしながら、1941年の第二次世界大戦参戦による軍需の増大によってアメリカ経済は回復し、失業者も激減した。

東アジアは、すでに北からソ連、満州はソ連(ロシア)を追い出した日本、沿岸部の都市はドイツ、フランス、イギリスが抑えてしまっており、アメリカはフィリピンを占領していたが、大陸でのアメリカ進出の余地はなかった。そこで満州に鉄道の共同建設を日本に申し入れたが日本が断ったことで、進出機会を失ったアメリカは日本への関係を硬直化させることとなった。

当時ヨーロッパ戦線においてアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍に、イギリス本土上陸寸前まで追いつめられていたイギリスのウィンストン・チャーチル首相や、中国蒋介石の夫人でアメリカ留学経験もある宋美齢が、数度にわたり第二次世界大戦への参戦や日中戦争におけるアメリカの支援、参戦をルーズベルトに訴えかけており、大量の軍事物資や退役軍人を派遣した。ソ連もまた日本がいつ侵攻してくるか恐れていた。ドイツとの戦争でアジアに手が回らないことで、毛沢東の中国の共産主義者に武器を与えた。また、当時は敵対関係になかったアメリカに日本に戦争を仕掛けるため、裏には社会主義に傾倒していたルーズベルトの側近にソ連とつながったロシア系共産党員の作戦があった。また、日本の後ろ盾のイギリスとの日英同盟破棄に成功する。ブロック経済を敷いて不当な関税を課せた。世界の4分の1を植民地とするイギリス、自国で石油資源が確保できるアメリカやソ連、また東南アジアに植民地を持つフランス・オランダは自国貿易で困らないからだ。唯一資源を持たない日本の石油ルートを封鎖することで海軍の勢力を弱めることだ。こうして完全に在英米蘭の日本資産凍結、日米通商航海条約の廃棄、日本の石油輸入ルートを遮断した。

日本は何度もアメリカとの交渉に挑んだが決裂した。アメリカは日本と戦争を起こす機会を狙っていたのである。一方的な内容のハルノートを送りつけたことで、戦争回避は不可能になる。さてハルノートといわれる文書は、国務長官ハルが作成したのではなく、側近のヘンリー・モーゲンソー財務長官が示し、更に彼の副官ハリー・ホワイトの作成によるものだった。ソ連系共産党員だったことが知られている。つまりそれがアメリカのいわば最後通牒と受け取った(「極秘、試案にして拘束力なし」との記述があり、ハルノートは試案であることが明記されているのにもかかわらず、なぜ外務省がその箇所を削除して枢密院に提出し、東郷外相が天皇に上奏して「最後通牒」と解釈されるようになったのか、外務省および東郷外相の真意は不明である)。
何度も御前会議を重ねて対英米開戦が決議された。国際法で自国を守るために戦うという行為は正統であり認められている。宣戦布告書とみなした日本は、ハワイの真珠湾の軍事施設を攻撃した。これは戦争においては民間を攻撃しないことを定めた国際法に則った世界で認められた戦争行為である。

なお、ルーズベルト大統領やチャーチル首相のように、戦前の日本では戦争を命ずる権限は総理大臣にはなく、当然、東條英機首相には認められていないことと、東條英機首相は最後まで戦争には反対していたこと、他の海軍・陸軍大臣など罷免する権限はないこと、昭和20年(1945年)のポツダム宣言受諾を決めた御前会議を除き、天皇は通常積極的な発言を行わなかった、ことを明記しなければならない。

アメリカは沖縄から本土に一般住民であろうと構わず無差別爆撃を繰り返した。白人社会秩序を守りたいルーズベルトや連合国の考えは、日本民族の全滅である。このような国際法に背いた非道な戦争をした国はかつてない。

共和党の大物の面々が日本への原爆使用に反対していたこともあって、トルーマンは投下決定を共和党側には伏せたまま、先にスターリンに知らせた。後に共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。アイゼンハワーに至ってはスティムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(一九六三年の回想録)と何度も激しく抗議していた。すでの敗戦濃厚な日本にさらに原爆を投下する必要はなかった。10万人規模の無差別大量殺戮を2度行ったことを忘れてはならない。トルーマンは二発目の長崎投下後「さらに10万人も抹殺するのは、あまりにも恐ろしい」として、3発目以降の使用停止命令を出した。一方で、トルーマンは公式的な場では原爆投下を正当化し続けていた。またトルーマンが日本へ計十八発もの原爆投下を承認していた事実がワシントン.ポスト紙にスクープされている。戦後、アメリカ国内の戦争に荷担した共産党員は自殺もしくは暗殺されたり逮捕された。

「戦争を終わらす為に民主主義を守るためにアメリカは原爆を投下した」は、戦勝国が正当化するための後付である。アメリカに罪のない国民を殺害した戦争責任と法的根拠のない東京裁判などで罪のない人を裁き、死刑に追いやった真実を検証することも、忘れてはならないのだ。ルーズベルトやトルーマン、チャーチルこそ、戦争をけしかけた犯罪者として国際裁判で裁かれなくてはならないのである。

一国の憲法を他国が定めることこそ、不当な行為であり例がないのだ。ドイツは連合国の憲法草案を拒否し、戦後自主憲法を定めた。なぜ当時の日本の政府は拒否できなかったのだろう。いずれにしても現憲法は日本の憲法ではない。そのようなものを戦争を仕掛けた社会主義、共産主義でありながら、しかも戦後は護憲といっている政党や政治家は、責任意識もなく頭がおかしいのではないか。

日本だけが唯一の被爆国ではない。ウイグルやシベリア、アメリカで行われた核実験で被害を受けている。しかも自国民がである。なぜ今も行っている国々に反戦団体は中国やロシア、北朝鮮に対して、しかも唯一戦争に原爆を使用したアメリカに対しては抗議と謝罪・弁償を要求しないのか。
———————————————

人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。↓ブログ気持ち玉もよろしく。

戦争と日本(1) 東條英樹とルーズベルト

日本文かチャンネル桜 桜塾講座-世界偉人伝「東條英樹とルーズベルト(前編)」
講師:渡部昇一(上智大学名誉教授)7.29 水曜日 22:00-23:00
渡部先生の話は、穏やかな口調の中に芯の通った美しい日本の歴史や価値観が聴けて尊敬する先生の一人です。
世界偉人伝は平成16年の再放送ですが、当時はチャンネル桜を観ていなかったので初めてです。
昨夜は、「東條英樹とルーズベルト」でした。

東條英樹といえば東京裁判でA級戦犯とされて死刑になった悪者のように伝えられています。
しかし、ヒトラーやムッソリーニと同様に独裁者と思われていますが、実際は戦後、アメリカの戦勝国によって犯罪者という汚名を着せられてしまったという一方的な事実が知られています。
そのいきさつが話の中でくわしく分かりました。

・すでに近衛首相のときに、アメリカは国内の不況で日本製品に3倍近い関税を課せて、日本製品の輸入を阻んだが、コストを下げて必死にがんばっていたが、ABCD包囲網が敷かれ、米、英、フランス、オランダから石油などの資源の輸入が止まってしまっていたこと。三国同盟を結んだのは近衛首相だったこと。国交や経済封鎖され石油や資源も乏しい中で戦争に踏み切らなくを得なかった。当時の帝国主義は白人主義で黄色人種差別はすごかったのだ。

・近衛首相のあと東條英樹陸相が首相になったときにはアメリカと戦争状態に入っていたこと。東条は凄く真面目な軍人で、絶えず戦争には反対しており、部下思いで平和主義者であったこと。

・御前会議で戦争布告を近衛内閣で決定した後、首相になって再度御前会議を開き天皇の戦争回避を確かめてもう一度アメリカと交渉を行ったこと。

・大東亜共栄会議は東條の構想で、地球初の国際会議となり、独立国タイをはじめ、満州国、清朝、フィリピン、インド、インドネシアの植民地の独立を世界で最初に援助したのは日本であり、それがアジア開放だった。欧米植民地であったトルコやアフリカの独立運動のさきがけとなった。王兆名政権は日本の働きで中国の近代国家化をめざしていたが、欧米、ソ連の武器援助を受けた共産党の毛沢東、蒋介石南京政府は抵抗し、日本が敗戦し、王兆名が処刑されてソ連が支援する毛沢東とアメリカが支援する蒋介石の内戦の末、現在の中共と中華民国(台湾)となった。そのことをタイの王は本に書いている。

敗戦国日本が世界に向けて言っても聴いてくれないし言わないが、何百年も植民地とされてきたアジア諸国は日本がアジアの独立に貢献したことに感謝し世界にもっとアピールしてくれればあと100年もすれば評価が変わるかも知れない。
ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、スターリンなどは絶対権が行使できたが、戦前の日本の内閣は首相が各大臣を罷免する機能がなく、首相が独断で軍や内閣を動かせなかったこと、海軍は陸軍よりも権威があり、東條のことを聞かなかった。
そのようなことを聴くと、国際法上無効な東京裁判で、A級戦犯として不名誉な死刑に処せられた方々に対する事実をせめて日本人なら改めてもっと知っておくべきであると思いました。

———————————————

人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ
↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。