むかしむかし、今の養父市高柳(やぶしたかやなぎ)の北の山に一本の大きな柳の木がありました。もう何百年もそこに立っているような、とても大きな木でした。
山の北側にある九鹿(くろく)には、おりゅうという近所でも評判のきれいな娘がいました。おりゅうは高柳の造り酒屋へつとめに通っていて、その行き帰り、いつも決まってこの大きな柳の下でひと休みをし、長い髪(かみ)をとかしなおしていたのでした。
ある日のこと、いつものように髪をとかしていたおりゅうは、ふと人の気配を感じて顔をあげました。そこには若い侍(さむらい)が立っていて、おりゅうにほほえみかけていました。その日から、二人はこの柳の下で毎日出会うようになりました。楽しげな二人の様子は、いつしか村の人々のうわさにもなっていました。
ところがそのころ、都で三十三間(さんじゅうさんげん)のお堂を建てるために、材木を諸国から集めるとのうわさが流れ、まもなく、この柳の大木を切り出すようにとの命令が届きました。その日から柳の大木は、風もないのに枝をふりみだし、ごうごうと大きな音をたてて鳴りひびくようになりました。
やがて、国の役所から大勢の人々が村に着き、柳の切り出しをはじめました。しかし、斧(おの)を入れたはずの切り口が、次の日になるといつの間にかふさがっていて、仕事は一向にはかどりません。おかしいと思った人々が、夜通し柳を見はっていると、切りくずがひとりでに飛んでいって、切り口をもと通りにうめてしまっていたことがわかりました。
そこで人々は、次の日から夜になる前に、切りくずを焼いてしまうようにしました。それから仕事ははかどり、とうとう数日後に柳は切りたおされました。それに合わせるように、おりゅうも体調をくずしていきました。
切りたおされた柳を都まで運ぶために、また大勢の人々がやってきて、柳を引きはじめました。しかし、いくら人数を増やして引いても、柳はびくとも動きませんでした。困った人々は村の長老に相談しました。すると長老は、「おりゅうを呼んでくれば、動くかもしれない。」と言いました。
呼ばれてやってきたおりゅうは、病みつかれた姿で、そっとやさしく柳の木はだをなでました。すると柳は静かに坂を降りはじめました。おりゅうが毎日会っていた若い侍は、この大きな柳の精霊(せいれい)だったのです。
兵庫県歴史博物館「ひょうご歴史ステーション」