大薮(おおやぶ)古墳群

兵庫県養父市養父地域の円山川に面した南斜面の丘陵地に大薮古墳群があります。兵庫県を代表する、古墳時代後期のに造られた古墳群です。地形は大薮集落を中心として両側に弓形に広がっています。北に山を背負い、南前方には円山川が流れています。そして川の向こうには養父神社をみることができます。兵庫県を代表する、古墳時代後期に造られた古墳群です。


石室

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【たじまる】 鹿島神社


兵庫県豊岡市日高町府中新

日本に仏教が伝来してから百年も経つと、仏教の普及はめざましく、日本のあちこちで造寺が行われ、「白鳳寺院」と呼ばれています。但馬の白鳳寺院は、現在のところ豊岡市三宅の薬琳廃寺のみが知られています。

鹿島神社境内には、大きな礎石が安置されています。名神式外社なのでけど、但馬の郡ごとに設置された「郡分寺」ではないかと想定されています。薬琳廃寺の建立に続く時期のものだそうです。

郡分寺とはいえ巨額の費用がかかるので、気多郡の在地有力者が、個人的に独力で建立したものではなく、但馬国司の側から、積極的に造営費の援助、助成が行われていたのでしょう。さらに各郷には「郷寺」がつくられはじめます。寺は鎮護国家の道場であると同時に、教育の場として、律令制度を全面的に実施するために、但馬国衙から郡司や郷司に指令が発せられます。

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【たじまる】 気比銅鐸

豊岡市気比の銅鐸出土地を訪ねてみた。
兵庫県北部で完全な形の銅鐸が発見されたのはここだけ。


大正時代に発見されたことが記されたプレートがあった。


複製


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ドクターWEST


(JR江原駅 2008.8./3 6:00頃撮影)

早朝6時10分頃、JR江原駅上りホームに、ラッキーなことに見かけない電車が入ってきた。この時間に電車があったかな?定期的に走っている事業用車らしい。保線の安全点検をしている車両だ。 調べてみた。 JR西日本キヤ141系気動車 最高速度 100km/h 最大寸法(長/幅/高) 21,750×2,951×4,050 (mm) 質量 89.2t(2両編成) 機関出力 450PS × 2 / 両 駆動方式 液体式 変速段 変速1段・直結4段台車形式 ブレーキ方式 機関ブレーキ併用電気指令式ブレーキ 保安装置 ATS-SW/ATS-P キヤ141系気動車(キヤ141けいきどうしゃ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の事業用気動車である。 2006年2月に2両編成2本4両が新潟トランシスで落成し、2007年現在2編成とも京都総合運転所に配置されている。ただしキヤ141・キクヤ 141-2は山口鉄道部車両管理室(新山口駅)に常駐する。東海道新幹線に「ドクターイエロー」があるが、こちらの愛称はドクターWEST。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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【たじまる】 和田山駅機関庫

朝来市和田山町和田山駅(電車の中から撮影したのでスモークガラス)

1912年(明治45年)に機関庫と給水塔、転写台、引き込み線などが建設された。 1991年(平成3年)まで約80年にわたり蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理のための施設として利用された。現在は、倉庫として利用されている。 但馬の現存する鉄道施設として最古のひとつではあるが、山陰本線施設当初から一緒に歩んできた建物だけに利用されないまま朽ち果てるだけであればかわいそうだといつも思う。

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豊岡市商工会館(旧日高町商工会館)

1935年(昭和10年)頃に旧日高町役場として建設。
1982年(昭和57年)まで利用され、新庁舎移転に伴いその役目を終えて、日高町商工会館として使われています。
歴史を感じる階段、会議室の照明、昇降エレベーターが今も動いています。
たぶん日高町内で最古の近代建築物です。
 国道バイパス完成後は車の通行量は減りましたが、日高町の中心に位置し、特急バスも前に停車します。青年部時代はよく通いました。なつかしいです。

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グンゼ日高工場跡

但馬はかつて養蚕が盛んで、京都府綾部市に本社を置く(現在は大阪市)グンゼ製糸(株)の工場が但馬にも多くありました。
山陰本線沿いに、梁瀬工場、養父工場、八鹿工場、そして日高工場です。それらの工場は梁瀬を除き平成になって閉鎖されました。

最近まで事務所棟が残っていましたが、赤煉瓦の貯水施設のようなものだけ残っています。

日高町商工会館

1935年(昭和10年)頃に旧日高町役場として建設。1982年(昭和57年)まで利用され、新庁舎移転に伴いその役目を終えて、日高町商工会館として使われています。歴史を感じる階段、会議室の照明、昇降エレベーターが今も動いています。グンゼ日高工場の事務所棟もなくなり、たぶん日高町内で最古の近代建築物です。

国道バイパス完成後は旧国道は車の通行量は減りましたが、日高町の中心に位置し、特急バスも前に停車します。商工青年部時代はよく通いました。なつかしい場所です。

祢布(にょう)城山

豊岡市日高町祢布

当店の国道482号交差点北側に、いかにも城山らしい頂上が平坦な小山があります。東西南北が見渡せる位置にあり、楯石神社があります。垣屋氏の宵田城が南に向かい合い、国分寺城が東にあります。

私はここにお城があったことを最近まで知りませんでした。というか但馬では入り組んだ地形のためか至る所に山城跡があります。

城主は高田次郎貞長という 南北朝期
城主は高田氏ですが、旧名は高田郷といったのでこの領地の地方豪族だったと思われる。創建時期からすると垣屋氏が勢力を強める以前の城ではないだろう。

麓には、かつて但馬国府が置かれた好立地で、但馬国府国分寺館があります。