明治時代近代化遺産 達徳会館


旧豊岡中学校本館(現・達徳会館 -達徳会:豊岡高校の同窓会)
兵庫県豊岡市京町

1896年(明治29年)に、当時の本館として建設された建物。木造2階建てで、当時の流行であった擬洋風で建設されており、明治時代の近代化遺産として豊岡市指定文化財に指定されている。老朽化が烈しく現在は利用されていません。数年前に28期生同窓会が百年記念館であったとき以来、拝見しましたが外壁のペンキが剥がれかけており寂しい感じです。補修が必要です。


旧豊岡中学校本館でしたが、公売されかけたとき、校友会「達徳会」により救われたことがきっかけで保存され現在地に。現在はこの名称で呼ばれている。玄関には旧制豊岡中学、旧制豊岡女学校の校章が掲げられている。


和魂碑

達徳会館と校舎の間。豊高が火災に遭った年に1年で、プレハブ校舎が1年半、新校舎は2年後半からで、和魂ホールも建て替えられ、火災から免れた建物は今は達徳会館と木造建築とこの和魂碑が当時の面影を残しています。
グループ毎の卒業写真では、和魂碑をバックに人気が高いスポットです(でした)。

  
達徳会館奥にある木造平屋建て現存する唯一の和建築。
茶道部が使用していたが、今は不明です。

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【たじまる】 桂小五郎潜居跡


「八・十八の政変」で京都を追われた桂小五郎は、但馬に潜伏します。

小五郎は対馬藩邸出入りの商人・広戸甚助の手引きで京を脱出、幕府方から逃れるために但馬の出石(兵庫県)や養父の昌念寺、城崎温泉の旅館にも住み込みで働いていたそうです。現在の国道426号線の但東町久畑にある京街道の久畑関所で、船頭を名乗る男が厳しい取り調べを受けていました。

調べに当たったのは出石藩の役人、長岡市兵衛と高岡十左衛門。同藩は蛤御門の変の知らせを受け、都からの脱出者を警戒していました。都の方向から来た船頭は、居組村(現在の浜坂町)生まれの卯右衛門と名乗りました。だが、言葉に但馬なまりが少しもない。「大坂に長くいたからだ」と言うが、上方なまりもない。疑うほどに、船頭の顔が武士のように見えてくる。

そこへ「はぐれたと思ったら先に来ていたのか」と、一人の男が駆け込んできました。出石出身の商人、広戸甚助でした。甚助は「卯右衛門は自分が雇っている船頭で、上方から連れてきた。まさか自分のような道楽者に謀反人の知人などいるわけがないでしょう」とおどけて答えました。顔見知りだった長岡らはこの言葉を信じ、船頭を解放しました。

しかし、船頭の正体はやはり長州藩士、桂小五郎(後の木戸孝允)だったのです。その後しばらく出石と城崎温泉に潜伏。倒幕を果たし、西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれるようになりました。
後に木戸の子孫もこの関所跡を訪れ、感慨に浸ったというほど、人生の最大の危機だったのです。もし甚助の助けがなかったら…。ここで歴史が“動いた”かもしれない。

更に今度は「寺に隠れるなど、あまりにも一般的。もっと見つかりにくい場所を」

ということで、一般の町家に潜伏先を移したそうです。そのひとつが城崎温泉でした。大勢の湯治客の中に紛れ込めるので安全と考えたのでしょう。小五郎はその年の9月に城崎を訪れ、広戸甚助の顔がきく『つたや』に逗留しました。ここには当時“たき”という一人娘がおり、桂の境遇を憐れんで親身に世話をしたといいます。

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【たじまる】 豊岡県庁門


久美浜縣庁門を豊岡縣庁に移しました。(豊岡市図書館)

1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。
久美浜は天領(幕府直轄領)だったので、縣名云々よりもとにかく旧藩(旧勢力)の解体を急いだのです。その処置は全国的に行われました。

しかし、久美浜縣は、その範囲があまりにも広く、生野代官所支配地を中心に分離運動が高まり、1869年(明治2年)、但馬北部を豊岡縣、但馬南部と播磨、美作3ヶ国を生野縣として分離しました。また、南東部の一部を篠山藩へ移管しました。
1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。

1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離、但馬南部の一部を篠山藩へ移管。
1871年(明治4年)11月2日、久美浜縣は舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合され消滅。
それは、久美浜は北端に位置するため、播磨、美作などから遠すぎたためです。
但馬
生野縣/出石縣(3万石)/豊岡縣(1.5万石)/村岡縣(1.1万石)
丹後
宮津縣(7万石)/舞鶴縣(3.5万石)/峰山縣(1.1万石)/久美浜縣
丹波
篠山縣(6万石)/福知山縣(3.2万石)/柏原縣(2万石)
1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離
1871年(明治4年)7月14日:生野縣のうち、但馬が豊岡縣、播磨、美作が姫路縣が設置。
1871年(明治4年)11月15日、美作が北条縣として発足。生野縣廃止。
1871年(明治4年)11月22日:舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合。
1876年(明治9年)8月21日:豊岡縣廃止。但馬・氷上郡・多紀郡は兵庫縣へ編入。また丹後と天田郡は京都府へ編入。

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旧豊岡県庁門


久美浜縣庁門を豊岡縣庁に移しました。(豊岡市図書館)

1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。
久美浜は天領(幕府直轄領)だったので、縣名云々よりもとにかく旧藩(旧勢力)の解体を急いだのです。その処置は全国的に行われました。

しかし、久美浜縣は、その範囲があまりにも広く、生野代官所支配地を中心に分離運動が高まり、1869年(明治2年)、但馬北部を豊岡縣、但馬南部と播磨、美作3ヶ国を生野縣として分離しました。また、南東部の一部を篠山藩へ移管しました。
1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。

1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離、但馬南部の一部を篠山藩へ移管。
1871年(明治4年)11月2日、久美浜縣は舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合され消滅。
それは、久美浜は北端に位置するため、播磨、美作などから遠すぎたためです。
但馬
生野縣/出石縣(3万石)/豊岡縣(1.5万石)/村岡縣(1.1万石)
丹後
宮津縣(7万石)/舞鶴縣(3.5万石)/峰山縣(1.1万石)/久美浜縣
丹波
篠山縣(6万石)/福知山縣(3.2万石)/柏原縣(2万石)
1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離
1871年(明治4年)7月14日:生野縣のうち、但馬が豊岡縣、播磨、美作が姫路縣が設置。
1871年(明治4年)11月15日、美作が北条縣として発足。生野縣廃止。
1871年(明治4年)11月22日:舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合。
1876年(明治9年)8月21日:豊岡縣廃止。但馬・氷上郡・多紀郡は兵庫縣へ編入。また丹後と天田郡は京都府へ編入。

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【たじまる】 近代化遺産 旧郡役所

  
旧出石郡役所【出石明治館】/豊岡市出石町魚屋

明治25年に建築された旧出石郡役所を資料館として公開しています。
歴史を彩った出石の偉人たち、出石磁器トリエンナーレ入賞作品などを展示しています。
土日休館は何とかして欲しいものです。一度も中に入ったことがありません。

  
旧七美郡役所【民俗資料館まほろば】/美方郡村岡区村岡2324-1

明治27年に洋風スタイルを取り入れた美方郡の旧役場で、現在は民俗資料館として公開されています。1階のロビーでは各種企画展を開催しており、2階の常設展では古墳の出土品や昔の生活道具等を展示しています。上記旧出石郡役所とよく似た建築です。但馬に現存する旧役所はこの2カ所のみで兵庫県内で6カ所のみ。

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砦がわりの寺院 経王寺と福成寺


日蓮宗 経王寺(きょうおうじ)

石部神社の向かい、加藤弘之生家の下隣り


福成寺(ふくじょうじ)

国道から左折し、出石城に向かう一通を入ってすぐ右手、田結庄通り突き当たり


宗鏡寺

戦闘など非常のときは兵を集めて駐屯し防備に当たる目的で、城下の数多くの寺院を街道の大事な場所に置きました。東の京街道の経王寺、吉祥寺、光明院、北東に宗鏡寺とその塔中諸寺や本高寺、昌念寺など、北西には見性寺、西の街道口には称名寺や法城寺を、南の入口には福成寺とその塔中諸寺がありました。

現在でもその面影をとどめる二層の鐘櫓が経王寺と見性寺に残り、経王寺には銃眼をもった高塀もありました。

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箕谷(みいだに)古墳群


兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷

昭和58年(1983)度から59年度にかけて、兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷で公園整備のため行われた箕谷古墳群の発掘調査により、須恵器、金環3点、鉄鏃・馬具等の鉄製品、鉄刀など103点の遺物が出土しました。
八木川下流域左岸の谷奥に立地し、2号墳は東西12m、南北14mの円墳であり、長さ8.6m、幅1.2m、高さ1.7mの横穴式石室。出土した須恵器により、6世紀末から7世紀初旬に築造されたと考えられており、出土状況から2回以上の追葬が行われたとみられています。

  

3号墳は3段の列石を巡らせた円墳で兵庫県下でもこれだけです。2、3、4号墳(直径7mの円墳)、5号墳(直径6mの円墳)の4基の古墳が現地保存され、平成4年(1992)12月18日に「箕谷古墳群」として国の史跡の指定を受けています。石室はすべて谷の入り口方向である南に開口するよう規則的に造られています。そして2・3・4・5号墳と順次標高の低い方から高い方へ築かれています。時期が新しくなるにつれて墳丘・石室が小規模化しているのが特色で、この時期の古墳の変遷過程をよく示しています。

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【たじまる】 村岡山名氏をたずねる


村岡山名氏ゆかりの兵庫県香美町村岡区に行って来ました。


村岡陣屋が置かれた御殿山

あいにく雪で断念しました。また別の機会に行きたいと思います。


武家屋敷

住んでおられ、手入れが行き届いています。


村岡山名氏菩提寺の法雲寺

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平安会館庭園

[catlist categorypage=”yes”]放送大学単位認定試験
放送大学の試験に京都に行って来ました。
25日 英語総合A
第三世界の政治
27日 生物学の歴史
人口減少社会の生活像
植物の生理
バイオサイエンスで豊かな暮らし
28日 宇宙とその歴史
29日 経済学入門

平安会館に2泊しました。御所の西側でKBSの隣の閑静な場所。向かいは蛤御門があります。
もともと公卿の屋敷跡だったそうです。

レストランにて中庭を眺めながら夕食
これまで一人旅っていっても、いろいろな団体や会に所属していたから最近になってのこと(といいても放送大学試験で来ているからだが)。わいわい賑やかに食事していた思い出が多すぎて、隣のカップルと私一人だけのフロアはせつない、とおもいつつこれもいいかと。

平安会館は御所の禁門の変前のKBS京都の隣りの烏丸通りの静かな場所に位置する。試験会場は堀川通りのリーガロイヤル京都前なのだけど、御所に行きたくてここをとった。(楽天トラベルでたまたまその日が格安だったからこともある…)
お風呂は部屋以外にも別に和風浴場がある。たまたま2人しか入っていなかった。湯船は広いしなかなかいい。

 

平安会館ページより

○平安時代
天皇の台所を預かる内膳司に勤務する役人の宿舎である内膳町が置かれる。昭和53年の発掘調査により、井戸、掘立柱建物、陶器等数万点に及ぶ出土品あり。

○戦国時代
織田信長の築城による旧二条城に関係あり。
旧二条城は、当館の南方にあったと推定されているが、当館の敷地からも石仏を転用した石室や織田家の紋所である木瓜文等が出土した事から、関係していたことがうかがえる。

○安土桃山時代~江戸時代
糸商人松屋三郎右衛門が居住。
「慶長九年白糸六十斤入」等と書かれた木札が出土。

○江戸時代~明治時代
公家屋敷が置かれる。
宝永二年1705年京町絵図によると「九条大納言御連中」とある―御連中とは御婦人の意。
慶応四年1868年京町絵図によると「醍醐殿」とあり、醍醐家は清華家(摂政、関白にもなれる家柄の総称)の家柄であり、公家の中では上の下に位置する。

○明治以降
日の出新聞(戦後京都日々新聞と合併し、今日の京都新聞となる)社長→長瀬産業社長→昭和27年支部買収
http://www.heian-kaikan.com/J/heian.html

付近にコンビニがなく、同志社大学がある今出川までいかないとないから、歩くとつらかった。

まあ昔は草莽崛起の志士たちもそのような思いでこの御所通りを歩いていたのかどうかしらないが、そんな距離以上に京都市中を夜ごと歩いていたのだから、なんて、ロマンにチックに考えるほどの年でもないのですが。

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