『古事記』にみる天皇の日本統一への思い

日本最古の歴史書『古事記』にみる天皇の日本統一への思い


[youtube http://www.youtube.com/watch?v=N85-qJFuW2w&hl=ja_JP&fs=1&] 1/5 NHK大阪 『その時歴史は動いた!』 「古事記」はなぜ作られた? 2008年

捏造と反日のNHKですが、大阪放送局製作はわりとまともだと思っている。

日本の思想とは、日本列島の上に日本語で展開されてきた思想です。原初的な意識を含め思想というなら、その意識のはじまりがどのような様子だったかを探ることは容易なことではありません。無文字文化をさぐる方法はないのです。五世紀まで文字を持たなかったこの列島のすがたは、まずは他者すなわち中国の書物に記載されるというかたちで、はじめて文字(漢字)に残されることで最初にあらわれました。他者を通してしかその起源をうかがうことができなかったことは、今に至るまで深く関わる問題です。

わたしたちは史書として、『古事記』をもって最古の思想作品としています。原始の日本のようすは、ようやく八世紀にあらわれた『古事記』『日本書紀』あるいは『万葉集』といったテキストによるしかありません。その成立にはさまざまの説がありますが、日本という自己意識の最古のものの名残という点は異論の余地はないようです。

大化の改新後のあらたな国家建設と大和朝廷の集権化のなかで、国の歴史を残そうとする試みが繰り返されてきました。その一端として、『日本書紀』620年の推古紀の箇所では、聖徳太子と蘇我馬子が「共に議(はか)りて」天皇記および国記、また臣下の豪族の「本記」を記録したと伝えます。『記紀』はそうした自己認識への継続した努力のなかから生まれたものでした。

『古事記』と『日本書紀』

『古事記』と『日本書紀』(以下、『記紀』)は、七世紀後半、天武天皇の命によって編纂されました。『古事記』成立の背景は、漢文体で書かれた序文から知ることができます。それによれば、当時、天皇の系譜・事蹟そして神話などを記した『帝紀』(帝皇日継(すめらみことのひつぎ))と『旧辞』(先代旧辞(さきつよのふること))という書物があり、諸氏族の伝承に誤りが多いので正し、これらを稗田阿礼(ひえだのあれ)に二十九年間かけて、誦習(しょうしゅう)(古典などを繰り返して勉強すること)を命じたのが『古事記』全三巻です。

その後元明天皇の711年(和銅四年)、太安万侶(おおのやすまろ)が四ヶ月かけて阿礼の誦習していたものを筆録させ、これを完成し、翌712年に献上したことを伝えます。

一方、皇族をはじめ多くの編纂者が、『帝紀』『旧辞』以外にも中国・朝鮮の書なども使い、三十九年かけて編纂したのが、前三十巻と系図一巻から成る大著『日本書紀』です。『古事記』が献上された八年後の720年(養老四年)には『日本書紀』が作られました。『日本書紀』は「一曰く」として、本文のほかに多くの別伝が併記されています。神代は二巻にまとめられ、以降は編年ごとに記事が並べられ、時代が下るほど詳しく書かれています。

なぜわずか数年後に『日本書紀』を編纂したのだろうか?

ではどうして、同じ時代に『記紀』という二つの異なった歴史書が編纂されたのでしょうか。

それは二つの書物の違いから想像できます。『記紀』が編纂された七世紀、天平文化が華開く直前です。すでに日本は外国との交流が盛んで、外交に通用する正史をもつ必要がありました。当時の東アジアにおける共通言語は漢語(中国語)であり、正史たる『日本書紀』は漢語によって綴られました。また『日本書紀』は中国の正史の編纂方法を採用し、公式の記録としての性格が強いことからも、広く海外に向けて書かれたものだと考えられます。

それに対し、日本語の要素を生かして音訓混合の独特な文章で天皇家の歴史を綴ったのが『古事記』です。編纂当時、まだ仮名は成立していなかったため、漢語だけでは日本語の音を伝えることはできませんでした。そのため『古事記』の本文は非常に難解なものになり、後世に『古事記』を本格的に研究した江戸時代の国学者・本居宣長ですら、『古事記』を読み解くのに実に三十五年の歳月を費やします。

ところで本居は全四十四巻から成る古事記研究書の『古事記伝』を著し、『日本書紀』には古代日本人の心情が表れていないことを述べ、『古事記』を最上の書と評価しました。

歴史物語の形式をとり、文学的要素の強い『古事記』は、天皇家による統治の由来を周知させ伝承するために記したテキストで、氏族の系譜について『日本書紀』よりも詳しく記されています。当時の日本人の世界観・価値観・宗教観を物語る貴重な資料であり、これがおよそ千三百年前間伝承されてきたことには大きな意義があります。

天皇は地方豪族の治める諸国を日本に統一する思いがこめられて『古事記』を編纂させました。そしてようやく日本は外交へ進んでいったのです。

[youtube http://www.youtube.com/watch?v=EqfNzkaOxtg&hl=ja_JP&fs=1&] 4/5 NHK大阪 『その時歴史は動いた』 「古事記」はなぜ作られた? 2008年  heiankyoalienさん
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=qz5V61iOKMk&hl=ja_JP&fs=1&] 5/5 NHK大阪 『その時歴史は動いた』 「古事記」はなぜ作られた? 2008年 heiankyoalienさん

『古事記』にみる天皇の日本統一への思いを、NHKは敗戦という一点にどうしても導く道具として利用したと付け加えねばならない後味の悪い締め方をするのが決まりだ。そこで止まってしまう。
その責任転嫁から脱却できない限りNHKや朝日は、日本を明るくしない。

逆に言えばNHKや朝日が報道を正せば、日本は明るくなる。

そんな簡単なことを難しくインテリぶってその異常な思想停止をくり返してきた。日本史のはじまりを戦争へと結びつける思考とは何か。世界に誇れる長い歴史を愛する多くの普通の日本国民に、自らの使命と存在価値がいま改めて問われていることをいまだ覚醒できていないばかりかその責任を放棄して誰かが悪いと押しつけ続けている。人のせいにすれば結局自らに跳ね返ってくる。それでは日本の日本人による日本人のための公共放送であるからだ。

NHKや朝日など反日思想よりも、もっと大切な守らなければならない日本がたくさんある。稗田阿礼が二十九年間かけて誦習し太安万侶が四ヶ月かけて筆録させ、北畠親房が天皇家の南北朝分裂からこの国の道を救おうとし、本居宣長が三十五年もかけて解読し光を当てた。いまだ研究され続ける偉大なる最初の古代長大歴史ロマンである『古事記』・・・。たった45分の番組で片づけられないにせよ、その先人たちの国を思う努力に尊敬の念を抱かずにはいられない。進むべき方向がわからなくなるとき、日本人の矜持(自信と誇り)、プライド。国の原点を思い返してみることも必要な気がする。

引用:『日本の思想』東京理科大学教授 清水 正之
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