歴史の両側(3) 終戦記念日と靖国神社

 八月十五日、終戦記念日。国の公式行事として英霊に対して天皇陛下、首相など国を代表して靖国神社に参拝し、12時のサイレントともに戦没者に黙祷を捧げ、武道館で戦没者追討慰霊式典が行われる。
評論家、西村 幸祐氏は
 
 一部のマスコミがほとんどが安直な戦犯合祀批判と神道の多神教的な柔構造とアミニズム的許容性を無視した形で問題にするのである。国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰、追悼すべき聖域から、ほど遠い卑小な世界に引きずり出した。

 元来信仰とはイデオロギーではなく、世俗的な風習であり、あえていうならば神道は、聖書や経典「宗教」でもなかった。クリスチャンの大平首相が参拝を行っていたように。

 意外にも、最近の神道研究によれば、アメリカの戦後占領政策が“国家神道”を必要としていたといっても過言ではないようだ。GHQは大東亜戦争の原因を軍国主義的に過激な国家主義によるものだと規定し、再び日本国民が戦争を起こさないように、国家と神道神社の繋がりを解消し、断罪して天皇と神道の存在を認めたくないために利用したのである。神社と国家の間の政教分離を図った。翌1946年に制定された宗教法人法に基づき、靖国神社は同年9月に宗教法人となったことで自ら国家護持体制からの離脱を明確にした。

 経済力を着実に付けてきた中国と1991年に国連加盟を果たした韓国が、靖国参拝を問題視して外交カードに使用してきた背景には、間違いなく日本の反日勢力の動きにリンクしていた。共産主義の末路を目にした日本の左翼勢力が、時代遅れになった仮面を脱ぎ捨て、新たな「反日運動」として「従軍慰安婦」「靖国戦犯合祀問題」「沖縄集団自決」というテーマを捜し出し、自らの存在意義をかろうじて守ろうとしているだけだ。

 私もいつか靖国神社に参拝したいと思っています。靖国神社と全国各県にある護国神社は、国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰する国家施設でした。神道国家である日本、日本人は神社に参拝することの本質は、もっと素直な気持ちである。政教分離といわれ、キリスト教だけでないアメリカでも大統領就任式に聖書に手を当てて誓う。おかしいではないかと中国・韓国がいうだろうか。政治的に理屈だてて行ってはいない。
 天皇陛下がカナダとハワイの国立墓地を訪問された。訪問された慰霊の施設をご訪問されることは国際的な礼儀です。カナダもアメリカも軍の幹部が随行することは最大の礼です。

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