気多郡の地名

歴史。その真実から何かを学び、成長していく。

気多(ケタ)郡の地名

気多郡とは、但馬国(兵庫県北部(日本海側))にかつて存在した郡で、今の豊岡市日高町と中筋地区から、伏、八社宮、豊岡市竹野町床瀬、椒までのエリア。昭和30年(1955)に、美含郡とともに城崎郡に吸収し郡名は消滅。

気多郡…狭沼郷、太多郷、三方郷、楽前郷、

高田郷、高生郷、日置郷、賀陽郷

但馬国

旧郡名現行政名
朝来郡朝来市
養父郡養父町、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町浅倉地区)
出石郡豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区)
気多郡豊岡市(日高地域、豊岡市中筋地区・佐野以南、竹野町三椒地区)
城埼郡豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区)
美含郡美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区)
七美郡美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父町(熊次地区)
二方郡美方郡新温泉町(旧浜坂町、旧温泉町)

 

気多郡は、奈良時代に律令制が行われた後の時代に記された「和名抄」によると、八つの郷で構成されていました。西から太多(タダ)、三方(ミカタ)、楽前(ササクマ)、高田(タカダ)、日置(ヒオキ)、高生(タコウ)、狭沼(サヌマ)、賀陽(カヤ)ですが、これはずっと後になって律令制度が整備された郷なので、縄文時代は違ったかも知れませんが、これが邑(ムラ:今の区単位)を集合させた小国の単位であると思います。ちなみに山間部が多い太多(タダ・太田)と狭沼(サノ)、三方(ミカタ)の3郷は広大で、気多郡の平野部を除いた比較的山間部に位置し、約3/4を占めます。弥生時代までに、こうした国境(邑境)は、地理的条件で、ある程度自然に分けられたのでしょうが、これらが後に郡・郷として気多氏の支配下にある郷名であり首長名になったのでしょう。最も大きな太多郷は兵庫県でも鉢伏と並んで最も古くから人が住み着いた遺構が発見された土地であり、稲葉(いなんば)から久田谷(くただに)までの円山川の支流稲葉川水系であり、気多氏にとって重要な中心部でした。狭沼郷も円山川の支流八代川水系と現在の竹野町椒、三原から八代川下流の円山川に注ぐ地点です。

■沿革

気多郡…狭沼郷、太多郷、三方郷、楽前郷、高田郷、高生郷、浅間郷、日置郷、賀陽郷

    • 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行(7村)

中筋村(賀陽郷)・日高村・国府村・八代村・三方村・西気村・三椒村

  • 1894年(明治27年)12月15日 – 清滝村が西気村より分立。
  • 1896年(明治29年)4月1日 – 美含郡とともに城崎郡へ編入され消滅。
  • 1925年(大正14年)11月1日 – 町制を施行し日高町となる。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 – 養父郡宿南村の一部を編入。
  • 1955年(昭和30年)3月25日 – 日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合併し、新しい日高町が発足。
  • 2005年(平成17年)4月1日 – 豊岡市、出石町、但東町、城崎町、竹野町と合併して新たな豊岡市が発足し、日高町消滅。

■太多郷=旧西気村)

神鍋(かんなべ)

神鍋は、マオリ語の

「カネ・ナペ」、KANE-NAPE(kane=head;nape=ligament of a bihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifulhttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife)、「(V字形に開いた山脈=口を開いた貝の間を連結している)貝柱の(中にある)頭(のような山)」 の転訛。
または、「人里近く、姿優美な山、神々が降臨され、鎮まる山を「神奈備(かむなび)」というが、神体山信仰のかんなび(神奈備)が訛っって「カンナベ」になったものではないかと思っていましたが、噴火口が大きなお鍋のように見えるから「神様の鍋」のだとか。「カンナビ」が、このマオリ語のカネ・ナペとしても意味が通じるのだ。

太田(ただ)==古:太多兵庫県下でも関宮町別宮遺跡 (海抜6~700m、縄文早期までの複合遺跡) とともに爪型文土器が発見された、神鍋遺跡(神鍋字笹尾・上野、標高330~360m-縄文早期までの複合遺跡)のある区

「タタ」、TATA(stalk,stem,fence)、または「タ・タ」、TA-TA(ta=the…of;ta=dash,beat,lay,sprinkle by means of a branch or bunch of leahttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifes dipped in water)

「垣根のような(長く延びている。岬)」

神鍋山の形状の事ではないでしょうか。

または  「タタ」、TATA(bail water out of a canoe,bailer)、「舟の中に滲み出すあか水(湿地の水)を汲み出す(川。佐陀川を開削した神。その神が鎮座する場所)」

鶴岡字多田谷(タタノヤ)もある。楯谷が変化した?楯縫神社。

岩倉(いわくら)

神鍋の小字である岩倉は、

IWA-KURA(iwa=nine(numerous);kura=red feathers,precious,treasure)、「大量の宝物(を埋蔵した場所)」

実際に神鍋の岩倉は現在神鍋スキー場のゲレンデ名で知られていますが、火山活動による風穴があり、地元の人が現在でも冷蔵庫代わりに食糧を貯蔵したりしています。古代人が住み着いたり物資を貯蔵するにはもってこいです。
また、「イワ・クラエ」、IWA-KURAE(iwa=nine;kurae=headland)、「沢山の尾根が出ている(土地)」の転訛。

稲葉(いなんば)

後述の雷神社がある区。旧気多郡の中心的な円山川の支流、稲葉川の最上流部

この「いなは」は、マオリ語の
「イ・ナ・パ」、I-NA-PA(i=beside;na=belonging to;pa=block up,prehttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifent,screen,stockade)、「交通の障害となっているもの(蘇武岳と三川山)の付近の地域」
、または
「イ・ナ・パ」、I-NA-PA(i=beside,past tense;na=satisfied,belonging to;pa=stockade)、「ゆったりとした巨大な集落のそば(の地域)」の転訛と解します。 →太田

山田(やまた)

奥神鍋スキー場のある区

「イア・マタ」、IA-MATA(ia=indeed,current;mata=face,eye,flint,obsidiam)、「実に・眼がある(溜め池がある。地域)」または「実に・(火打ち石や石器に使える)堅い石(サヌカイトなど)がある(屋島がある。地域)」
の転訛と解します。

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万却(まんごう)

「まんぼう」は、マオリ語の「マナ・ポウ」、MANA-POU(mana=power,psychic force;pou=pau=consumed,exhausted)、「生命力を消耗した(ような鈍重な魚)」(「マナ」の語尾のA音が脱落して「マン」に、「ポウ」が「ボウ」に変化した)

の転訛と解します。 「まんぼう」が訛って「まんごう」になった?

栗栖野(くりすの)

この「くり」は、マオリ語の「クリ」、KURI(=kurikuri=fusty,ehttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifil smelling)、「(花に)悪臭がある(木)」

または「ク・フリ」、KU-HURI(ku=silent(whakakuku=beach a canoe);huri=seed)、「静かな(貯蔵する)種子(=栗実。またはその実をつける木)」(「ク」と「フリ」の語頭のH音が脱落した「ウリ」が結合して「クリ」となった)

の転訛と解します。
「すのこ」は、「ツ・(ン)ガウ・コ」、TU-NGAU-KO(tu=fight with,energetic;ngau=bite,hurt,attack;ko=to gihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife emphasis)、「実に・たくさん・(食いちぎられて)隙間が空いているもの(簀の子)」(「ツ」が「ス」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となつた)または「ツ・(ン)ゴコ」、TU-NGOKO(tu=fight with,energetic;ngoko=itch,tickle)、「盛んに・(足の裏を)刺激するもの(簀の子)」(「ツ」が「ス」と、「(ン)ゴコ」のNG音がN音に変化して「ノコ」となつた)

の転訛と解します。
それらの複合語で「クリ+スノコ」が訛って縮まった。

万場(まんば)

この「まんぼ」は、マオリ語の「マノ・ポウ」、MANO-POU(mano=interior,heart,ohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.giferflow;pou=pour out)、「水が流れ出す地中(のトンネル)」の転訛(「マノ」の語尾のO音が脱落して「マン」と、「ポウ」の語尾のU音が脱落して「ポ」から「ボ」となった)と解します。 →さらにまんばになったのでは?
東河内(ひがしこうち)

「コウ・チ」、KOU-TI(kou,koukou=anoint,sprinkle;ti=throw,cast)、「(笹竹で清めの)水を振りかけたような(僅かに湿っている)土地が・放り出されている(地域)」の転訛と解します。

名色(なしき)
「ナチ」、NATI(pinch or contract)、「(圧縮したように皮や果肉が)堅い(果実。梨)」
梨の木の転訛と解します。

■太多郷=旧西気村・清滝村)

清滝(きよたき)マオリ語の 「キオキオ・タキ」、KIOKIO-TAKI(kiokio=lines in tatooing;taki=track,lead)、「(顔の)入れ墨の線を辿る(ような川)」 の転訛(同音反復の語尾「キオ」を省略した)と解します。
栃本(とちもと)「ト・チ(ン)ゴ(ン)ゴ・キ」、TO-TINGONGO-KI(to=be pregnant,drag;tingongo=cause to shrink,shrihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifel;ki=full,http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifery)、「縮み上がる(肝を冷やすような険しい)ところが・たくさん・中にある(峠)」(「チ(ン)ゴ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「チノノ」となり、反復語尾が脱落して「チノ」となった)
の転訛と解します。山宮(やまのみや)

「イア・マ」、ia-ma(ia=indeed;ma=white,clean)、「実に・清らかな場所(山)」
石井(いしい)

「イ・チ」、i-ti(i=past tense;ti=throw,cast)、「(大地から切り離されて地上に)放り出され・たもの(石)」の
井。または、
「イ・チヒ」、I-TIHI(i=beside;tihi=summit,top)、「(多布施川の最上流部)頂点の・近くの(樋)」(「チヒ」のH音が脱落して「チイ」から「シイ」となった)
の転訛と解します。
頃垣(ころがき)

「コロ」、KORO(old man)、「(老人の白髪のような)白い(粉を吹いた干し柿。枯露柿)」
十戸(じゅうご)

「トウ」、tou(posteriors,lower end of anything,tail of a bird)、「(尻尾の)最後の(数。十)」

戸は、音読みでは「ヘ」と読みます。

「ノ・ヘア」、NO-HEA(no=from,belonging to,of;hea=what place?,any place,elsewhere)、「(一から九までの)いずれかの・場所(地域)」(「ヘア」の語尾のA音が脱落して「ヘ」となった)

の転訛と解します。

「コ」、ko(descendant)、「子孫(となるもの。卵)」

「戸」は「べ」で部の意味であるなら十人の、十番目の部
延喜式神名帳の名神大の戸神社があり、へじんじゃ、このじんじゃとも呼びます。

庄境(しょうざかい)

「しょう」は、マオリ語の

「チホウ」、TIHOU(an implement used for cultihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifating)、「(耕作の道具である)鍬。または鍬で耕す耕地。または(ある人が支配する)耕地の広がり」(原ポリネシア語の「シホウ、 SIHOU」のH音が脱落して日本語では「シオウ」から「ショウ」と、マオリ語ではS音がT音に変化して「チホウ」となった)

の転訛と解します。

「さかい」は、マオリ語の「タ・カイ」、TA-KAI(ta=the,lay;kai=reach,arrihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife at)、「(その果てのところまで)到達した(場所。境界の地)」の転訛と解します。
椒(はじかみ) 竹野町椒(旧気多郡)

「パチ・カミ」、PATI-KAMI(pati=ooze,spurt,splash;kami=eat)、「はじけた(実を)・食べる(野菜)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化し「ハチ」から「ハジ」となった)または「パチチ・カミ」、PATITI- KAMI(patiti=warm oneself;kami=eat)、「食べると・(体が)熱くなる(野菜)」(「パチチ」のP音がF音を経てH音に変化し、反復語尾が脱落して「ハチ」から「ハジ」となった)
床瀬(とこせ) 竹野町床瀬(旧気多郡)

「トコ」、TOKO(pole,push or force to a distance,begin to mohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife)、「(さあ)始めは」

「(正面の)反対側(背)」(AI音がE音に変化して「テ」から「セ」となった)

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■三方地区(みかた:旧三方村、郷)

「ミヒ・カタ」、MIHI-KATA(mihi=greet,admire,show itself;kata=opening of shellfish)、「貝が口を開いたような地形(潟のある地形)を・見せつけている(誇示している。地域)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)の転訛と解します。
実際に楓の葉のように五方に谷が広がっています。
金谷(かなや)「カナ・イア」、KANA-IA(kana=stare wildly,bewitch;ia=current,indeed)、「川の流れ(流れの早さ、水量・水深など)を・じっと目を凝らして見る。
昔、金山があった所で、金が採集されていました。
垣屋氏がそれを治めていました。河畑(かばた)

「カパ・タ」、KAPA-TA(kapa=row,rank,stand in a row or rank;ta=dash,dash water out of a canoe,lay)、「段になったところ(河岸段丘)を激しく流れる(川、または河岸段丘にある渓谷)」
の転訛と解します。

殿(との)

「トノ」、TONO(tono=bid,command,send,demand)、「灯を灯して・送った(送使)」
の転訛と解します。反対側に垣屋氏の鶴ヶ峰城があったので垣屋殿の居館があったのではないでしょうか。

室(むろ)

マオリ語の 「ム・ロ・フ」、MU-RO-HU(mu=silent;ro=roto=inside;hu=swamp,hollow,hill)、「静かな内側(山奥)の丘(または穴のように開けた場所)」 または  「ムフ・ロ」、MUHU-RO(muhu=grope,push one’s way through bushes;ro=roto=inside)、「(暗いので)手探りで中の方へ進む(場所。室)」
の転訛(「ムフ」の語尾の「フ」が脱落した)と解します。
田ノ口(たのくち)

奥深くに田園がありその入口に集落があります。

広井(ひろい)

「ヒロウ」、HIROU(rake,net for dredging shellfish)、「熊手で均したような(平野)」
猪子垣(いのこがき)

「いのしし」は、マオリ語の

「イ・ナウ・チチ」、I-NAU-TITI(i=ferment,be stirred;nau=come go;titi=go astray)、「(山中を)徘徊していて突然遭遇する(動物)」(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)
猪の子の
の転訛と解します。

猪が多く垣根をしたことから地名になったのではないかと思います。

芝(しば)

「チパ」、TIPA(dried up)、「(もと湿地が)乾燥した(場所)」

野(の)

「ノア」、NOA(free from tapu or any other restriction.ordinary,indifinite)、「(墓場のような禁忌がない)野(原)」または「なにも束縛がない(野人など)」(語尾のA音が脱落して「ノ」となった)

荒川(あらかわ)

稲葉川が流れ、氾濫した。

栗山(くりやま)

この「くり」は、マオリ語の「クリ」、KURI(=kurikuri=fusty,ehttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifil smelling)、「(花に)悪臭がある(木)」

または「ク・フリ」、KU-HURI(ku=silent(whakakuku=beach a canoe);huri=seed)、「静かな(貯蔵する)種子(=栗実。またはその実をつける木)」(「ク」と「フリ」の語頭のH音が脱落した「ウリ」が結合して「クリ」となった)

の転訛と解します。
観音寺(かんのんじ)

「カネ・オ(ン)ゲ」、KANE-ONGE(kane=head;onge=scarce,rare)、「珍しい頭(のような峰)」
の転訛と解します。
「カネ」が「カン」に、「オノ」が「オン」となった)
篠垣(しのがき)

「チ(ン)ゴ(ン)ゴ」、TINGONGO(cause to shrink,shrihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifel)、「(全体が)縮んだように小さい(竹)」(NG音がN音に変化し、反復語尾が脱落して「チノ」から「シノ」となった)または「チノヒ」、TINOHI(put heated stones upon food laid to cook in a earth-ohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifen)、「(地面に掘った蒸し焼き穴で)食物の上にかぶせてその上に焼けた石を載せるための植物(篠竹)」(H音が脱落して「チノ」から「シノ」となった)
「(ン)ガウ・リウ」、NGAU-RIU(ngau=bite,hurt,attack;riu=bilge of a canoe,http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifallay,belly,chest)、「(東側は鹿島川の源流のシラタケ沢、西側は黒部川の支流の餓鬼谷と東谷の)谷が・浸食されている(谷が深く・岩壁がそそり立っている。山)」または「(ン)ガキ・ヒ(ン)ガ」、NGAKI-HINGA(ngaki=clear off,cultihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifate,ahttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifenge;hinga=fall from an errect position,be killed,lean)、「削られて・(頂上から谷底まで一気に)落ち込んでいる(岩壁がある。山)」(「(ン)ガキ」のNG音がG音に変化して「ガキ」と、「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がG音に変化して「イガ」となり、「ガキ」と連結して「ガキガ」とった)
「篠の垣」。
森山(もりやま)

「マウリ」、mauri(a http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifariety of totara timber http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifalued for making canoes)、「(カヌーを造るのに適した)大木(その大木の集まり。森)」(AU音がO音に変化して「モリ」となった)

知見(ちみ)

小さくまとまっている、こじんまりとしているさま。

チヒ・マ→チ・マ(「ヒ」が脱落)、TIHI-MA(tihi=top,point,topknot of hair;ma=white,clean)、きれいに結い上げた頭上のまげ→小さくまとまっている

佐田(さた)

「タタ」、TATA(dash down,strike repeatedly,stem,fence)、「垣根のような(岬)」

の転訛と解します。

伊府(いぶ)

「イ・ノペ」、I-NOPE(i=past tense,beside;nope=constricted)、「(山と山に挟まれて)押し潰されて・いる(地域)」
の転訛と解します。
とありますが、日高町伊府は、まさに低い丘と佐田の山々に挟まれた細長い地域です。

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■日高地区(ひだか:旧日高村、日置郷)

■日高地区(ひだか) 日置郷(村)と高田郷(村)が明治に合併し、日高村→日高町となる。「日置」の日と「高田」の高を合わせて新しい日高村とした。久田谷(くただに)

太多郷の最東端で銅鐸が発見されたところ。クタはケタが訛った?!のかもしれないとすれば、気多へ向かう谷、または気多氏の住む谷ではないか。
辺坂(へんざか)

「ノ・ヘア」、NO-HEA(no=from,belonging to,of;hea=what place?,any place,elsewhere)、「(一から九までの)いずれかの・場所(地域)」(「ヘア」の語尾のA音が脱落して「ヘ」となった)の転訛と解します。
-の坂
夏栗(なつくり)

「ナハ・ツ」、NAHA-TU(naha,nahanaha=well arranged,in good order;tu=fight with,energetic)、「(動植物が)生き生きと・活動する(季節。夏)」(「ナハ」のH音が脱落して「ナ」となった) 、夏の栗
道場(どうじょう)

「トウ・チオ」、TOU-TIO(tou=dip into a liquid,wet;tio=cry,call)、「潮騒が聞こえる(海水に浸かって泣いているような海岸)」
気多氏の兵の道場があった?

久斗(くと)=久刀

マオリ語の

「ク・ツ」、KU-TU(ku=silent;tu=stand,settle)、「静かに暮らしている(人々。その住む土地)」

の転訛か 「クタオ」、KUTAO(cold)、「寒い(場所)」

の転訛と解します。
また久刀兵主神社が置かれているが、気多氏とヤマト政権側が戦ったと戦地を伝えるではないか。
高田(たかた)郷

和妙抄では「多加多」と訓じている。但馬考…夏栗、久斗、祢布、石立、国分寺、水上

「タカ(高)・タ(処)」で「台地、丘陵」など「高地」野医とする説があります。
「タカ・タ」、TAKA-TA(taka=heap,lie in a heap;ta=dash,beat,lay)、「浸食されている・高台(の地域)」
の転訛と解します。
水上(みのかみ)

「ミナカ・ミ」、MINAKA-MI(minaka=desire;mi(Hawaii)=urine,stream)、「(何かを)求めるように(噴流する川。噴流する温泉)」
山本(やまもと)

「イア・ママオ・ト」、IA-MAMAO-TO(ia=indeed,current;mao,mamao=distant,far away;to=drag,open or shut a door or a window)、「実に・遠くまで・(雄物川を)遡った(場所にある。地域)」(「ママオ」のAO音がO音に変化して「マモ」となった)

または「イア・ママウ・ト」、IA-MAMAU-TO(ia=indeed,current; mau,mamau=grasp,wrestle with;to=drag,open or shut a door or a window)、「実に・(悪戦苦闘して)やっと・辿り着いた(地域)」(「ママウ」のAU音がO音に変化して「マモ」となった)

の転訛と解します。

祢布(にょう、にお)
当店があるところで、旧役場など日高町の中心機関が集まる。かなり広い地名で、祢布ヶ森遺跡など但馬国府と関係があったのではないかという事が分かってきた。祢布城があった城山の裾に楯石神社。

但馬国分寺に近く売布神社も近い。
舞鶴市赤野は同じ祢布村だった。高野女布の祢布神社。

舞鶴市女布の金峰神社(上路神社)に祢布神社(奥の院)
祭神 天之御中主命
女布(にょう)は、古くは「祢布」と記し、アイヌ語の村の意。

「ニオ」、NIO((Hawaii)highest point,pinnacle,to reach the summit)、「最高の(精選した。麻の繊維)」(この「熟麻(にお)」の語源は、刈稲を円錐形に高く積み上げた「堆(にお)」の語源と同じと解します。

「ニアオ」、NIAO(gunwale of a canoe,rim of any open http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifessel)、「(三崎(荘内)半島をカヌーに見立ててその)船縁(にある。土地)」(AO音がO音に変化して「ニオ」となった)

または、
「ニウ」、NIU(dress timber with an axe,mohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife along,glide)、「滑るように流れる(川。その河口の港)」 または、「ヌイ・フ」、NUI-HU(nui=large,many;hu=promontory,hill)、「(岬のような)細長くて低い山が・たくさんある(地域)」(「ヌイ」が「ニ」となった)
「ニウ」、NIU(dress timber smooth with an axe,mohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife along;(Hawaii)niu=spinning)、「(粒となつてころころと流れる)水銀(朱を産する。地域)」または「(斧で表面を削ったような)小さい起伏がある(地域)」
石立(いしだち)

現在はほぼ国分寺区。賣布神社[ヒメフ][めふ]

大賣布命 配 毘沙門天、稻荷大明神

兵庫県豊岡市日高町国保字山ノ脇797
祢布区に隣接し、丹(水銀)と関係するのか?
京丹後市網野町木津女布谷にある賣布神社(ひめふじんじゃ)神名小 豐宇賀能咩命、素盞嗚命(とようかのめのみこと)由緒
『竹野郡誌』に次の様に記載されている。
垂仁天皇九十年春、田道間守勅を奉じて常世国に渡航し、不老不死の香菓たる橘を得、景行天皇元年無事帰国し、田神山(屋船山)に神籬を設けて礼典を挙げられしより、此の地に奉祀せしを以て創始とする。

賣布神社は京丹後市久美浜町女布初岡にある賣布神社 祭神豐受姫命、大屋媛命、抓津媛命。しかも神社の読みは島根県松江市に鎮座する式内社と同名。深い谷。似た地名に丹生舞鶴市女布(ニョウ)があり、日本の水銀鉱床は中央構造線沿い、当地に関係深いところなら特に紀ノ川・吉野川流域にあるのだが、そのずっと北側にも、当地の女布あたりを中心に大きな楕円を描いて但馬から近江・越前を含む範囲、若狭湾岸地域とも呼ばれているが、そこにも集中分布しているのが以前から知られている。

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国分寺(こくぶんじ)

但馬国分寺があったところ。国分寺城。
伊福(いう)村

鶴岡区のかつての村名。
製鉄の部、伊福部に由来している。
鶴岡(つるおか)

古くは伊福村。

「ツル」、TURU(post,pole,upright)、「(頸と足が長くて)直立している(鳥。鶴)」(なお、植物の「つる(蔓)」は、「ツ・フル」、TU-HURU(tu=stand,settle,fight with,energetic;huru=contract,draw in,gird on as a belt)、「しっかりと・巻き付くもの(蔓)」(「フル」のH音が脱落して「ル」となった)の転訛と解します。さらに、弓の「つる(弦)」も同じ語源で、「しっかりと・(弓の両端を)引っ張るもの(弦)」と解します。)
「オカ」、OKA(prick,stab)、「(突き刺したように海が)細長く入り込んでいる(場所。湾がある地域)」

多田谷(たたのや)

円山川右岸で谷が深い。伊福とたたら製鉄と関係があるのか?川沿いに楯縫古墳がある。現在鶴岡区

楯縫神社[タテヌイ]

彦狹知命、譽田別命、息長足姫命

兵庫県豊岡市日高町鶴岡字保木177

御由緒

白鳳時代、今から千三百年の往昔出雲国から、丹波国を経て当国で栄えた楯縫連(た てぬいのむらじ)が、遠祖(とおつおや)彦狭知命を楯屋丘(たてやのおか)多田谷 にまつる。西暦千九百四十七年此地に遷座奉祀す。

「タタ(ン)ガ・ツク」、TATANGA-TUKU(tanga,tatanga=be assembled,row,tier,company of persons,proximity,nearness;tuku=let go,lrahttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife,allow,send,settle down,side,shore,ridge of a hill)、(1)「列をなして並んでいる・山の峰々(記歌謡)」または(2)「いたって近いところに・寄り添う(2-194)」(「タタ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タタナ」となった) 。-の谷。

日置(ひおき)、郷(ヘキ)

日置郷…和妙抄は「比於岐」。日置、多田谷、伊福、上郷、中郷

マオリ語の
「ヒオ・キ」、HIO-KI((Hawaii)hio=a sweep or gust of wind,lean,incline;ki=full,http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifery)、「強い風が・しばしば吹く(地域)」の転訛と解します。
「ヒキ」、HIKI(lift up,raise,carry in the arms,remohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife)、「高くなつた丘陵(岩殿丘陵のある地域)」 の転訛と解します。
式内日置神社がある。日置は戸置で、税金の徴収台帳である戸数を調べるものとか、日を置くことで、暦に関係したものとか、火置と考えて、浄火を常置して神事に関係したとか、楯部らとともに、太刀を作っていたから、武器製作にも関係していたとか言われている。しかし、律令時代に日常業務にあたって殿部(とのもり)の中に名を見せる日置氏は、火を灯す役を受け持っているから、代々朝廷に仕えていたのではないか。
江原(えばら)=荏原

マオリ語の

「エパ・ラ」、EPA-RA(epa=pelt,throw,hindrance;ra=wed)、「(円山川の氾濫で)痛めつけられた場所が連なる(地域)」

の転訛と解します。
宵田(よいだ)

「イオ・イ」、io-i(io=stand firm;i=past tense,be stirred of the feelings(whakai=self-conceited))、「しっかりと・自惚れた(満足した。良い)」

岩中(いわなか)

「イ・ワ」、i-wha(i=past tense;wha=be disclosed)、「(大地からその先端を)現わし・たもの(岩)」と対比した表現と解します。)

岩がある土地の真ん中か?
地下(じげ)

消滅。所在地不明。岩中と祢布の一部で日高小辺りか?

淺倉(あさくら)

旧養父郡宿南村

「アタ・クラ」、ATA-KURA(ata=gently,clearly,openly;kura=red,ornamented with feathers,precious)、「羽根で飾ったような(美しい)・清らかな(土地。地域)」

の転訛と解します。
赤崎(あささき)

旧養父郡宿南村

「アカ・タキ」、AKA-TAKI(aka=clean off,scrape away,http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifine of any climbing plants;taki=take out of the way,track with a line from the shore)、「(岸から)はみ出した表面が拭い去られたような(場所)」

■八代地区:旧八代村=狭沼郷(さぬま)

「トウ・マ」、TOU-MA(tou=posteriors,lower end of anything,dip into a liquid,dip frequently into liquid;ma=white,clean)、「しばしば水に漬かる(洪水に見舞われる)清らかな(地域)」
藤井(ふじい)この「ふじい」は、マオリ語の
「フチ」、HUTI(hoist,pull out of the ground,fish with a line)、「(持ち上げた)垂れた(花を付ける植物。藤)」
奈佐路(なさじ)奈佐に向かう道。
奈佐は豊岡市奈佐。「なせ」は、マオリ語の「ナ・テ」、NA-TE(na=by,indicate parentage or descent,belonging to,by reason of;te=emphasis,crack)、「(主人公と)離れている(疎遠になっている人間)」

の転訛と解します。
谷(たに)

中(なか)

「ナカ」、NAKA(mohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife in a certain direction:(Hawaii)to quihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifer,shake,to crack open)、「震動しながら(または割れ目をつくって)流れる(川。その流域の土地)」

かつて国府平野(高生平野から豊岡盆地までは円山川の入り江で国府駅付近は海抜0メートルと日高町で最も低地)から円山川に注ぐ八代川は大雨のときには氾濫していたのでしょうし、洪水のときには円山川から逆流したりで被害が大きかった地域が、狭沼郷東部です。
谷(たに)

猪ノ爪(いのつめ)

天日槍の子多遅摩比那良岐を祭る古社・多麻良岐(たまたき)神社がある。
八代

「実に・(フォークのような)二股に分かれている(土地)」
河江(かわえ)

小河江(こがわえ)

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■国府地区(旧国府村、高生郷、気多郷)

高生(たこう)消滅。所在地不明。国府平野を高生平野と言っている。

高生郷…和妙抄は「多加布」。地下、岩中、宵田、江原

山本、松岡、土居、手辺、国府市場、堀、野々庄、池上、芝、上石の十区が所属不明。国府の所在地には、行政上の特別処置として郷を設置しなかったものか、あえて国があるから郷名が忘れられてしまったものか。

上石の国府駅以西は海抜0メートル地帯。

「タ・カウイ」、「編んだレースのような(川の流れが縦横に入り組んでいる九頭竜川の河口付近一帯の)土地を・(九頭竜川の洪水が)襲う(地域)」

竹貫(たかぬき)

「タクヌイ」、TAKUNUI(wide)、「広い(浦)」

鷹貫神社[タカヌキ] 鷹野姫命

兵庫県豊岡市日高町竹貫字梅谷429

御由緒

創立年月不詳なるも祭神鷹野姫命は神功皇后の御生母にましませり延喜式の制鷹貫神 社と記して小社に列し明治六年十月村社に列せらる。

「タケケ」、TAKEKE(denoting exhaustihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife character of the action indicated.consumed,completely acquired,etc.)、「消耗した(中が空(から)になった植物。竹)」(反復語尾が脱落して「タケ」となった)
水生(みずのお)
上石区の小字名。水生城があった山、水生寺
中世頃はすぐ下は沼地だったといわれる。

「ミ・ツ」、mi-tu(mi=stream;tu=stand)、「(流れる)水が・静止している(水)」

「アウ」、AU(string,cord)、「糸(繊維。その繊維を採る植物)」(AU音がO音に変化して「オ」となった)
上石(あげし)

「ア(ン)ガイ」、ANGAI(north-north-west wind,on the west coast)、「西に河岸がある(土地)」(NG音がG音に、AI音がEI音に変化して「アゲイ」となった)

「ア・(ン)ゲル」、a-ngeru(a=the…of,belonging to;ngeru,ngerungeru=smooth,soft)、「関係を円滑にする・もの(贈り物をする。(物を)上げる)」(「(ン)ゲル」のNG音がG音に変化して「ゲル」となった)

石を上にした。?

西芝(にししば)

上記参照。
池上(いけがみ)

「イケ」、IKE(strike with a hammer or other heahttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gify instrument)、「(金槌で叩いた跡のような)穴(その穴に水が溜まった。池)」

または「イケ・(ン)ガミ」、IKE-NGAMI(ike=high,strike with a hammer;ngami,wahkangami=swallow up)、「高く隆起した(丘)」
野々庄(ののしょう)

古くは大将野庄という荘園だった。

「ノア」、NOA(free from tapu or any other restriction.ordinary,indifinite)、「(墓場のような禁忌がない)野(原)」または「なにも束縛がない(野人など)」(語尾のA音が脱落して「ノ」となった)
「しょう」は、マオリ語の「チホウ」、TIHOU(an implement used for cultihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifating)、「(耕作の道具である)鍬。または鍬で耕す耕地。または(ある人が支配する)耕地の広がり」

掘(ほり)

「ホウ・ル」、hou-ru(hou,houhou=dig up;ru=shake,agitate)、「掘り・上げる(掘る)」(「ホウ」のOU音がO音に変化して「ホ」となつた)
国府の掘割りに由来しているという。

府中新(ふちゅうしん)

府中は律令制の下で但馬国の国府所在地であったことによります。

古くは地名がなく、現在は存在しない手辺という地域ではないか。

府市場(ふいちば)

国府のそばに市場が開かれていたという。古くは下郷だと思う。

土居(どい)

国府の土居があったと伝えられている。古くは下郷だと思う。
御井神社[ミヰ]

御井神 配 菅原道眞

兵庫県豊岡市日高町土居字天神228

御由緒

創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し近世天満宮と崇めしも明治三年御井神社と 改称す同六年十月村社に列せらる。

松岡(まつおか)

円山川西岸の土手に松の木があったのでは。古くは下郷だと思う。

上郷(かみのごう)

日置村上郷。気多神社があり、幻の気多郷か?
気多神社[けた]

大己貴命

兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227 天日槍命と気多氏

御由緒

創立年月不詳なるも大己貴命(葦原志許男命)と(天日槍命と)国占の争ありし時、命の黒葛此地に落 ちたる神縁によりて早くより創立せられしものならむ。延喜式の制小社に列し中世以 降総社気多大明神と仰ぎ鎌倉時代社領として大般若田、三十講田其他の神領田を有し たりき明治三年社名を現在の通りに改め同六年十月郷社に列せらる。

■賀陽(かや)郷 (豊岡市)

旧気多郡賀陽や丹後に加悦町がありますが、この「かや」は、
朝鮮伽耶か?「カイ・ア」、KAI-A(kai=eat,quantity,fulfil its proper function;a=drihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gife,collect,well)、「浸食された土地が・集まっている(地域)」 、または「カ・イア」、「集落(群)」 の転訛と解します。
土渕(ひじうち)「ピヒ・チヒ」、PIHI-TINI(pihi=begin to grow,sprout;tini=summit,top)、「(峰の)頂上まで・木が生える」(P音がF音を経てH音に変化して「ヒヒ」となり、「チヒ」とともにH音が脱落して「ヒチ」から「ヒジ」となった)
「フチ・ノペ」、HUTI-NOPE(huti=pull up;nope=constricted)、「引き上げられて圧縮された(土地)」

の転訛と解します。
引野(ひきの)

「ヒ・ク」、hi-ku(hi=raise,draw up;ku=silent)、「静かに・引き上げる(引く)」

佐野(さの)
清冷寺(せいれいじ)
木内(きなし)

「キヒ」、KIHI((Hawaii)edge,tip,sharp point of a leaf)、「(葉の)先が鋭く尖っている(野菜。ねぎ)」

井上夢間さんの「夢間草廬(むけんのこや)-ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」

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