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平安時代
概要 | ||
| 平安時代(へいあんじだい、794年-1185年/1192年頃)とは、794年に桓武(かんむ)天皇が平安京(京都)に都(首都)を移してから、鎌倉幕府の成立までの約390年間を指す日本の歴史の時代区分の一つ。 王朝国家体制期は、通常古代の末期に位置づけられるが、分権的な中世の萌芽期と位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されています(日本文学史研究においては「中古」という表現も用いられています)。 794年、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上の唯一の中心だったことから平安時代と称します。平氏政権が成立した11世紀後期からは、中世に移行したと考えてよいようです。 また、平仮名・片仮名の発明により、日本語の表記が容易になったことによる、和歌・日記・物語文学の隆盛、官衣束帯の登場(官服の国風化)、寝殿造の登場などがあります。 |
蝦夷(えみし)戦争 |
平安京遷都と並んで、東北の蝦夷(えみし)と呼ばれた東北地方に住む内民化していない人々を服属させるための軍事的な征東政策が進められました。 古代において東北地方は、七世紀半ば以降着々と律令国家の勢力下がすすめられました。出羽では秋田城を中心としながら、太平洋側では、神亀元(724)年、多賀城(宮城県多賀城市)を造営し、陸奥国府が置かれました。各地に行政拠点として城柵を配置して、東国(関東)から移住させた柵戸によって開拓が進められていました。古代国家の蝦夷対策は、決して軍事一辺倒ではなく、一方で帰順した蝦夷に対しては禄を給うなどの優遇策をとりながら、他方で帰順しない蝦夷に対しては軍事的制裁を行うという「アメとムチ」の二面をもっていました。すでに光仁天皇の時代から、東北地方には不穏な状況があり軍勢が派遣されていましたが、多賀城陥落による軍事的制圧など38年間にわたって戦争が続いていました。桓武天皇は、坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、延暦21(802)年、立派な胆沢城(岩手県水沢市)を築き、ついに蝦夷の族長 阿弖流為(あてるい)は五百余人を率いて坂上田村麻呂に帰順しました。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他 ▲ページTOPへ |
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