原爆記念式典も大事だが靖国参拝をわすれてはならない

外遊演説やテレビ出演、講演より、もいま麻生総理がやるべきことは、まず8月15日の靖国神社公式参拝です。
それは多くの識者がみんなそういっています。

日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本」 世界宗教のいいところを取り込んだ「日本教」 2009/07/24

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=4

日本はどうして立派な国になったのか。それは、世界宗教を取り入れて、真面目に勉強し、真面目に実行したからだと思う。世界中を見回しても、そんな国は他にない。普通に言う世界宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、それから儒教、道教である。日本の神道は違う。

日本の神道は、いいものは何でも取り入れてしまう宗教である。日本は何でもいいところを取る。悪いところは取らない。すべてを総合して飲み込んで、丸く角が取れた日の丸にする。

仏教や儒教、キリスト教など、世界宗教にはいずれも変な「角」が付いている。そういう「角」は取り入れず、日本は「日本教」ともいうべき思想をつくった。それをきちんと実行している。世界宗教のあとに出てきた世界思想、たとえばギリシャ哲学やローマ哲学、ドイツ哲学、フランス哲学、イギリス経験論哲学などについても、日本人は真面目に勉強して、いいところは取り入れて実行している。

神道、あるいは俗信、民間信仰など、文字で遺されていない日本人特有の思想は、1万年くらい前からあった。そこに、外国から伝わってきた儒教や道教、仏教、キリスト教などの思想が、みんな取り込まれた。

日本人は、赤ん坊のときは神社にお参りして、結婚するときはキリスト教で、死んだときは仏教で葬式を行う。そんな日本人を「おかしい」「曖昧だ」と批判する向きもあるが、批判する人は、外国かぶれの人である。日本人は、多様な思想を吟味して、それぞれのいいところを取り込む。首尾一貫が尊いという考え方は、日本教にはない。

日本では、融通無碍のほうが尊い。首尾一貫していないからあの総理大臣はおかしいとか、日本人はいいとこ取りをするからダメだとか、そんな批判の方がおかしいのである。世界ではだまし合いばかりやっているのに、他国には首尾一貫を要求している。

日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=3

では、日本人はどうなるのか。貯金はしない、借金はする、若い人はぜんぜん働かない、勉強もしない、遊んでばかりいる。かつての米国人にそっくりである。日本と米国が逆転しているが、長い間付き合っていると、そうなるものなのだ。

米国は今や平和国家になってきた。もう戦争はしない。北朝鮮に喧嘩をふっかけない。もうアフガニスタンの話などしない。オバマ大統領は世界から核兵器を廃絶しようと言い始めた。

日本は逆に、戦争国家になりかけている。田母神俊雄さんが人気者となり、「日本人は戦争をするくらいの覚悟を持て」などと言っている。それを聞いて大拍手が起こる。日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる。日米すれ違いである。

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戦争と日本(4) 原爆記念式典も大事だが靖国参拝をわすれてはならない

 外遊演説やテレビ出演、講演より、もいま麻生総理がやるべきことは、まず8月15日の靖国神社公式参拝です。
それは多くの識者がみんなそういっています。

日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本」 世界宗教のいいところを取り込んだ「日本教」 2009/07/24

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=4

 日本はどうして立派な国になったのか。それは、世界宗教を取り入れて、真面目に勉強し、真面目に実行したからだと思う。世界中を見回しても、そんな国は他にない。普通に言う世界宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、それから儒教、道教である。日本の神道は違う。

 日本の神道は、いいものは何でも取り入れてしまう宗教である。日本は何でもいいところを取る。悪いところは取らない。すべてを総合して飲み込んで、丸く角が取れた日の丸にする。

 仏教や儒教、キリスト教など、世界宗教にはいずれも変な「角」が付いている。そういう「角」は取り入れず、日本は「日本教」ともいうべき思想をつくった。それをきちんと実行している。世界宗教のあとに出てきた世界思想、たとえばギリシャ哲学やローマ哲学、ドイツ哲学、フランス哲学、イギリス経験論哲学などについても、日本人は真面目に勉強して、いいところは取り入れて実行している。

 神道、あるいは俗信、民間信仰など、文字で遺されていない日本人特有の思想は、1万年くらい前からあった。そこに、外国から伝わってきた儒教や道教、仏教、キリスト教などの思想が、みんな取り込まれた。

 日本人は、赤ん坊のときは神社にお参りして、結婚するときはキリスト教で、死んだときは仏教で葬式を行う。そんな日本人を「おかしい」「曖昧だ」と批判する向きもあるが、批判する人は、外国かぶれの人である。日本人は、多様な思想を吟味して、それぞれのいいところを取り込む。首尾一貫が尊いという考え方は、日本教にはない。

 日本では、融通無碍のほうが尊い。首尾一貫していないからあの総理大臣はおかしいとか、日本人はいいとこ取りをするからダメだとか、そんな批判の方がおかしいのである。世界ではだまし合いばかりやっているのに、他国には首尾一貫を要求している。

日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090724/169746/?P=3

 では、日本人はどうなるのか。貯金はしない、借金はする、若い人はぜんぜん働かない、勉強もしない、遊んでばかりいる。かつての米国人にそっくりである。日本と米国が逆転しているが、長い間付き合っていると、そうなるものなのだ。

 米国は今や平和国家になってきた。もう戦争はしない。北朝鮮に喧嘩をふっかけない。もうアフガニスタンの話などしない。オバマ大統領は世界から核兵器を廃絶しようと言い始めた。

 日本は逆に、戦争国家になりかけている。田母神俊雄さんが人気者となり、「日本人は戦争をするくらいの覚悟を持て」などと言っている。それを聞いて大拍手が起こる。日本は戦争国家になり、米国は平和国家になる。日米すれ違いである。

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歴史の両側(3) 終戦記念日と靖国神社

 八月十五日、終戦記念日。国の公式行事として英霊に対して天皇陛下、首相など国を代表して靖国神社に参拝し、12時のサイレントともに戦没者に黙祷を捧げ、武道館で戦没者追討慰霊式典が行われる。
評論家、西村 幸祐氏は
 
 一部のマスコミがほとんどが安直な戦犯合祀批判と神道の多神教的な柔構造とアミニズム的許容性を無視した形で問題にするのである。国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰、追悼すべき聖域から、ほど遠い卑小な世界に引きずり出した。

 元来信仰とはイデオロギーではなく、世俗的な風習であり、あえていうならば神道は、聖書や経典「宗教」でもなかった。クリスチャンの大平首相が参拝を行っていたように。

 意外にも、最近の神道研究によれば、アメリカの戦後占領政策が“国家神道”を必要としていたといっても過言ではないようだ。GHQは大東亜戦争の原因を軍国主義的に過激な国家主義によるものだと規定し、再び日本国民が戦争を起こさないように、国家と神道神社の繋がりを解消し、断罪して天皇と神道の存在を認めたくないために利用したのである。神社と国家の間の政教分離を図った。翌1946年に制定された宗教法人法に基づき、靖国神社は同年9月に宗教法人となったことで自ら国家護持体制からの離脱を明確にした。

 経済力を着実に付けてきた中国と1991年に国連加盟を果たした韓国が、靖国参拝を問題視して外交カードに使用してきた背景には、間違いなく日本の反日勢力の動きにリンクしていた。共産主義の末路を目にした日本の左翼勢力が、時代遅れになった仮面を脱ぎ捨て、新たな「反日運動」として「従軍慰安婦」「靖国戦犯合祀問題」「沖縄集団自決」というテーマを捜し出し、自らの存在意義をかろうじて守ろうとしているだけだ。

 私もいつか靖国神社に参拝したいと思っています。靖国神社と全国各県にある護国神社は、国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰する国家施設でした。神道国家である日本、日本人は神社に参拝することの本質は、もっと素直な気持ちである。政教分離といわれ、キリスト教だけでないアメリカでも大統領就任式に聖書に手を当てて誓う。おかしいではないかと中国・韓国がいうだろうか。政治的に理屈だてて行ってはいない。
 天皇陛下がカナダとハワイの国立墓地を訪問された。訪問された慰霊の施設をご訪問されることは国際的な礼儀です。カナダもアメリカも軍の幹部が随行することは最大の礼です。

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戦争と日本(3) 終戦記念日と靖国神社

 八月十五日、終戦記念日。国の公式行事として英霊に対して天皇陛下、首相など国を代表して靖国神社に参拝し、12時のサイレントともに戦没者に黙祷を捧げ、武道館で戦没者追討慰霊式典が行われる。
評論家、西村 幸祐氏は
 
 一部のマスコミがほとんどが安直な戦犯合祀批判と神道の多神教的な柔構造とアミニズム的許容性を無視した形で問題にするのである。国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰、追悼すべき聖域から、ほど遠い卑小な世界に引きずり出した。
 元来信仰とはイデオロギーではなく、世俗的な風習であり、あえていうならば神道は、聖書や経典「宗教」でもなかった。クリスチャンの大平首相が参拝を行っていたように。
 意外にも、最近の神道研究によれば、アメリカの戦後占領政策が“国家神道”を必要としていたといっても過言ではないようだ。GHQは大東亜戦争の原因を軍国主義的に過激な国家主義によるものだと規定し、再び日本国民が戦争を起こさないように、国家と神道神社の繋がりを解消し、断罪して天皇と神道の存在を認めたくないために利用したのである。神社と国家の間の政教分離を図った。翌1946年に制定された宗教法人法に基づき、靖国神社は同年9月に宗教法人となったことで自ら国家護持体制からの離脱を明確にした。
 経済力を着実に付けてきた中国と1991年に国連加盟を果たした韓国が、靖国参拝を問題視して外交カードに使用してきた背景には、間違いなく日本の反日勢力の動きにリンクしていた。共産主義の末路を目にした日本の左翼勢力が、時代遅れになった仮面を脱ぎ捨て、新たな「反日運動」として「従軍慰安婦」「靖国戦犯合祀問題」「沖縄集団自決」というテーマを捜し出し、自らの存在意義をかろうじて守ろうとしているだけだ。
 私もいつか靖国神社に参拝したいと思っています。靖国神社と全国各県にある護国神社は、国難に殉じ、身を捧げた英霊を顕彰する国家施設でした。神道国家である日本、日本人は神社に参拝することの本質は、もっと素直な気持ちである。政教分離といわれ、キリスト教だけでないアメリカでも大統領就任式に聖書に手を当てて誓う。おかしいではないかと中国・韓国がいうだろうか。政治的に理屈だてて行ってはいない。
 天皇陛下がカナダとハワイの国立墓地を訪問された。訪問された慰霊の施設をご訪問されることは国際的な礼儀です。カナダもアメリカも軍の幹部が随行することは最大の礼です。
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