第1章 2.出石神社 八種ものご神宝の謎

出石神社のご祭神の不思議 「なぜ8種ものご神宝が、天日槍より先に祀られているのか?」

神社(神道)はもともと自然信仰からはじまっている。山や岩、水、雷、火など自然の神を擬人化したものから始まり、やがて皇統に由来する天津神、皇統以外の豪族や偉大な人物を国津神として祀った。ところが、ヒボコよりも先に出石神社では神宝をヒボコと同等に祭神に祀っている。このような例はあまりなく、人物神ではなく神宝を神とする。しかも八種もの神宝は多すぎる。出石神社には、なぜ八種ものご神宝が祭神として祀られているのか?

出石神社の「伊豆志八前大神」

出石神社御祭神

  • 伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)
  • 天日槍命(あめのひぼこのみこと)

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における社号は、名神大 伊豆志坐神社八座とし、座は祭神の数を意味し8座。

但馬国一宮出石神社の主祭神は、「伊豆志八前大神」・「天日槍」となっていて、「天日槍」よりも「伊豆志八前大神」が先にあげられている。

「伊豆志八前大神」とは八種の神宝のことであるが、

『日本書紀』別伝 八種の神宝

  1. 葉細の珠(はほそのたま)
  2. 足高の珠(あしたかのたま)
  3. 鵜鹿鹿の赤石の珠(うかかのあかしのたま)
  4. 出石の刀子(いづしのかたな)
  5. 出石の槍(いづしのほこ)
  6. 日鏡(ひのかがみ)
  7. 熊の神籬(くまのひもろき)
  8. 胆狭浅の大刀(いささのたち)

と八種が記されているのに、本記『日本書紀』垂仁天皇3年3月条は七種の神宝である。

  1. 羽太の玉(はふとのたま) 1箇
  2. 足高の玉(あしたかのたま) 1箇
  3. 鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇
  4. 出石の小刀(いづしのかたな) 1口
  5. 出石の桙(いづしのほこ) 1枝
  6. 日鏡(ひのかがみ) 1面
  7. 熊の神籬(くまのひもろき) 1具

『日本書紀』別伝には胆狭浅の太刀はあるが、垂仁天皇3年3月条では7物で、槍や太刀は含まれていないのである。これをどう理解すればいいのであろう。

『古事記』(応神天皇記)でも次の7種で、矛または刀などの武器類はない。

  1. 珠 2貫(たま2個)
  2. 浪振る比礼(なみふるひれ)
  3. 浪切る比礼(なみきるひれ)
  4. 風振る比礼(かぜふるひれ)
  5. 風切る比礼(かぜきるひれ)
  6. 奥津鏡(おきつかがみ)
  7. 辺津鏡(へつかがみ)

つまり八種の神宝としているのは、『日本書紀』別伝のみで、はじめて武器らしい「胆狭浅の大刀(いささのたち)」が加わることで「八種の神宝」。となる。

天日槍の槍・矛=“武器”を表しているとするなら、『日本書紀』垂仁条や『古事記』(応神天皇記)には槍や矛・刀類は持参していないことになるのをどう説明できるのであろうか。

日槍は八種の神宝に由来しているとするならば、『日本書紀』はなぜ七種しか記述がないのか?

『日本書紀』別伝にようやく、胆狭浅イササ太刀タチを加えた八種を記述している。垂仁天皇3年3月条では7物で、太刀は含まれていないではないか。と思うだろう。私も最初はそう思った。

出石の小刀(垂仁3月条)、出石の刀子(別伝)とあるが、脇差のような短刀というより、これは武器ではなく削る工具だと考えるという。武具ではないので日槍というから槍や矛から勇ましい武神を連想させられるがそうではない。

『国史文書 但馬故事記(第五巻・出石郡故事記)は天日槍について詳細に記している貴重な史料であるので引用する。これは『日本書紀』垂仁天皇88年条を引用したものであろうか。

 

4.天日槍を鉄の神・武神とイメージを持っていないか?

『古代日本「謎」の時代を解き明かす』長浜浩明氏は、

真弓氏は「三世紀代よりの、天日槍の名で象徴される帰化系技術者(韓鍛冶)の渡来によって技術革新がなされ、されに大量の鉄挺(金偏に廷・鉄の素材)も輸入される…」

だが、彼(アメノヒボコ)は技術者ではなく、日本に憧れ、玉、小刀、鉾、鏡、神籬を持って来た王子だった。『三国史記』と照らし合わせると、天日槍は但馬出身の新羅王(=倭人)の子孫だからこそ、彼は日本語を話し、神籬を持って故郷へやって来た可能性も否定できない。

としている。

字の意味にこだわって本質を見誤ってはしないか?「天日槍」または「天之日矛」から戦いのイメージを抱くことだろう。そこから鉄や武神と思い込み、但馬に何故か多い兵主神社が多いことを、鉄や武神のイメージからアメノヒボコと関わりある神社だと錯覚している人達が歴史家の中にもいる。兵主神社はヒボコの出石神社とは創建時期も祭神も全く別であることは、他所に書いているのでご参考に。


 

『国史文書 但馬故事記 註解』の吾郷清彦氏は、出石郡故事記の巻末に「天日槍の出自と倭韓一国説」を取り上げている。

本郡記(出石郡故事記)は、まことに神功皇后すなわち息長帯比売命の母系先祖との関係、および稲飯命の子孫と称せられる新羅王の系譜についても相当詳しい叙述を行っている。

(中略)稲飯命の子孫と伝える記録を事実とすれば、これは血族の里帰りというべきであろう。

なぜ、崇神・垂仁、神功皇后の条になると、但馬がにわかに記紀に登場してくるのだろうか。また、出石はそれまで出雲系の県主が出石を治めていたのに、天日槍が突如登場し、しかも初代多遅麻国造になって丹波から分立して但馬国が出来る。脈略がつながらず人為的である。


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