たじまる 地方自治-4

日本の政治との比較

目 次

  1. 国と地方の統治関係
  2. 日本の政治との比較
  3. 日本との行政区画比較

1.国と地方の統治関係(官治と自治)

地域社会(いわゆる「ムラ」)の統治については古代より、国家の成立以前から行われているところであるが、これは現代の国家においても国家全体の統治構造の基礎となっている。

国が地方を統治する方法としては官治(国が国の機関において直接運営すること)及び自治(意味合いは既述)のふたつの方法があり、中央集権型国家においては官治、地方分権型国家においては自治に重点が置かれた統治がなされます。

しかしながら、個別具体的かつ複雑な地方の統治、運営を全国的な視点をも踏まえつつどちらか一方の方法によりのみ行うことには限界があり、それぞれの国においては官治、自治をそれぞれの国の実情に応じてバランスを保ちながら統治構造を構築している。日本国憲法

日本の地方自治については日本国憲法第8章において定められている。

  • 憲法第92条において「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」こととしており、地方自治の原則を示している。なお、ここでいう地方自治の本旨とは、住民自治及び団体自治を指すとされます。
  • 憲法第93条において「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。」こととし、また、「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」としている。これは、地方自治の実施主体である地方公共団体について、首長制による統治機構の構築と統治に携わる者の選任を規定することにより、地方自治における民主主義の確保を図っている。
  • 憲法第94条において「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」こととしており、地方公共団体が地方に係る財産権、行政権(公権力を持つもの)及び立法権を保有することを規定している。
  • 憲法第95条において「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」こととしており、国に対する地方公共団体の独立性を確保し、これにより地方自治制度そのものを担保している。

    2.日本の政治との比較

    日本は、立憲主義に基づく国家であると言えます。しかし、日本の国制(国家の形態)もしくは政体は、立憲君主制(立憲君主国)であるか、共和制(共和国)であるか、議論があります。
    立憲君主制であることの根拠は、次の3つに集約されます。

    • まず第一に、公選の大統領などを置かないことから共和制であるとは言えないこと。
    • 第二に、世襲君主たる天皇を持つこと。
    • 第三に、近代的意味の憲法を持つことから専制君主制ではないこと。
      以上から、日本は立憲君主制を採る立憲君主国であるとします。一方、共和制であるとすることの根拠は、君主に措定された天皇が、国政に関する権能を有していないことを最大の根拠とします。現に、政治上の権力を行使するのは、司法部を除き、公選された者を中心として構成され、共和制に準じる体制を採ります。さらに、法律によって首相公選制が施かれた場合には、大統領を置く共和制とほぼ変わりなくなるからです。以上から、日本は共和制を採る共和国であるとするものです。他方、君主制、民主制といった区分によるよりも、民主主義国家と呼ぶのが実態に沿っているとの立場もあります。

      1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法では、立法機関(天皇が有する立法権の協賛機関、5条)として帝国議会を置き、帝国議会は衆議院と貴族院の二院からなりました。民選(公選)議員のみからなる衆議院に対して、貴族院は皇族議員、華族議員、勅任議員(帝国学士院会員議員、多額納税者議員など)によって構成されました。

      しかし、1946年(昭和21年)に公布された日本国憲法は、立法機関として国会を置き、国会は衆議院と参議院の二院からなる。衆議院および参議院はいずれも民選議員のみによって構成され、衆議院議員および参議院議員(国会議員)は「全国民を代表する選挙された議員」と定められた(43条1項)。GHQの示した憲法改正案(マッカーサー草案)では、衆議院のみの一院制にする予定で、日本側の反発によっては取り引き材料としての譲歩も考慮に入れていた。果たして、日本側の松本烝治は二院制の意義を説き強く反発したため、GHQ側は第二院を第一院(衆議院)同様、民選議員のみにすることを条件に、二院制の存続を認めた。こうして成立したのが参議院でした。

      内閣総理大臣の指名は両院とも行えますが、参議院で衆議院と異なった議決をした場合において両院協議会を開いても意見が一致しないとき、または参議院が衆議院の議決から一定期間内に議決しないときは、衆議院の議決が国会の議決となる(衆議院の優越)。予算の議決、条約の承認についても同様であります。また予算は先に衆議院に提出され審議されます。
      衆議院で可決した法律案について参議院がこれと異なりました議決をした場合、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再可決したときは法律となる。

      日本(現在)日本(改正案)イギリスフランスアメリカ
      宮内庁王室フランス大統領大統領官邸
      首相官邸首相官邸首相官邸
      内閣府内閣事務局
      総務省(旧総務庁・郵政省・自治省)総務庁内務省

      • 緊急災害対策局
      • 刑務局
      • 首都圏警察本部など電信電話局
      郵便・電気通信

      内務省

      電話管理局(ART)

      フランス・テレビジョンなど

      内務省
      公共事業地方分権省
      文化省文化省文化省
      ラジオ放送局
      文部科学省教育省教育雇用訓練省教育・研究・技術省教育省
      青年・スポーツ省
      科学技術庁貿易産業省
      経済産業省貿易産業省科学技術庁経済・財政・産業省

      宇宙科学センター(CNES)

      原子力エネルギー供給局

      商務省
      エネルギー省
      ガス・電力市場管理局
      水道局
      防衛省国防省国防省国防総省Defense
      住宅都市開発省
      厚生労働省厚生省保健省雇用省保健社会福祉省
      労働省社会保障省労働省
      農林水産省環境食糧省農務水産省農務省
      法務省法務省法務省司法省
      外務省外務省外務省国務省
      環境省国土環境省環境食糧省地域計画環境省

      • 林野局(ONF)
      • 水利国際局
      • 水道局
      • 環境エネルギー管理局
      国土交通省交通省交通省設備・運輸・住宅省運輸省
      財務省財務省財務省
      退役軍人省
      消費者製品安全委員会
      連邦緊急時管理庁 (FEMA)
      環境保護庁
      国際開発省

      3.日本との行政区画比較

       日本よりも早く州と県の行政区分を取り入れ、北と南に長いイタリアは、中央集権国家的で日本とよく似た特徴があります。

      日本
      現行

      • 単位系:市・町・村都・府・県<中央政府:二層制

      道州制が導入された場合

      • 単位系:市・町・村都・府・県州(道)<中央政府:三層制

      参考:イタリア

      • 単位系:コムーネレジオーネ(県)<連邦政府:三層制

      面積:総計 377,835km(2)(60位

      人口:総計(2008年) 127,288,419人(10位)

      人口密度:337人/km2

      GDP(MER) 合計(2007年) 4兆3,459億ドル(2位)

      GDP(PPP) 合計(2007年) 4兆3,460億ドル(3位)

      1人当り:34,023ドル

      建国 紀元前660年2月11日(記紀において神武天皇が即位したとされる日)

      但し、建国時期を示す明確な記録はない。
      「日本」という国号が成立した時期は、7世紀後半から8世紀当初までの間と考えられている。具体的には、天武天皇治世において成立したとする説と、701年(大宝元年)の大宝律令成立前後に成立したとする説が有力視されている。

      イタリアと日本の比較

      日本の山陰地方と似た例としてイタリアの州をみてみると、

      • プーリア州 面積 19,000 km2、人口 4,000,000 人、人口密度 210 人/km2
      • カンパニア州 面積 13,595 km2、人口 5,701,931 人、人口密度 419.4 人/km2
      • ヴァッレ・ダオスタ州 面積 3,262 km2、人口 119,548人、人口密度 37 人/km2
      • バジリカータ州 面積 9,992 km2、人口 597,768人、人口密度 60人/km2、県:2:マテーラ, ポテンツァ、コムーネ数:131、州都:ポテンツァ 人口 68,051人
      • カラブリア州 2,011,466人、州都:カタンザーロ、面積 15,082 km2、人口 2,009,506人、人口密度 132人/km2
        県:5:ヴィボ・ヴァレンツィア、カタンザーロ、クロトーネ、コゼンツァ、レッジョ・カラブリア、コムーネ数 409
      • 鳥取県 面積 3,507.26km2、総人口 594,661人、(推計人口、2008年12月1日)、人口密度 170人/km2
      • 島根県 面積 6,707.78km2、総人口 724,727人、(推計人口、2008年12月1日)、人口密度 108人/km2
      • 計      10214km       1319388人また、中国地方では、財界では、中国地方5県で一組の州とする「中国州」を提唱している。鳥取県においては鳥取市の経済界を中心に「関西州」への編入を求める声も上がってきている。一方で県西部の米子市などでは道州制導入に際し、島根県松江市などと合併して「中海市」を設ける考えが以前から存在しており、鳥取県の東・中部と西部の間で意見のずれが生じている。また、平井伸治鳥取県知事は近畿ブロック知事会への参加を表明、2008年6月6日、正式に加入が認められたことから県内の道州制論議に何らかの進展をもたらす可能性があります。▲ページTOPへ

たじまる 地方自治3

ヨーロッパの地方分権

目 次

  1. イギリスの概要
  2. イギリスの政治
  3. 第三の道
  4. ドイツ連邦
  5. イタリア
  6. 日本との比較
  7. 中華人民共和国
  8. 主要国概要

1.イギリスの概要

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国首都:ロンドン 7,172,091人
面積:総計 244,820km2(76位)
人口:総計(2006年) 60,270,708人(21位)
人口密度:246人/km2
GDP(MER) 合計(2007年) 2兆7,773億ドル(5位)
GDP(PPP) 合計(2007年) 2兆1,374億ドル(6位)
1人当り:35,134ドル

建国 1801年グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国建国。1927年に現在の名称に変更。
イギリスは四つの非独立国 ― イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドよりなる。これらの非独立国は一般に「国」(あるいは country) と言われる (但し北アイルランドにも用いるかどうかは論争がある)。この構成はかつての主権国家であるイングランド王国 (征服されたウェールズ公国を含む) とスコットランド王国との1707年の連合法によるグレートブリテン王国 (1707年-1800年)の形成と、それに続くグレートブリテン王国とアイルランド王国との1800年の連合法に基づくグレートブリテンおよびアイルランド連合王国の形成という政治的連合によって構築された。1922年のアイルランド自由国の独立ならびにアイルランド分割により、現在のグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国となりました。

イングランドおよびウェールズは様々な目的で、特に法律を共有しているという点から一体のものとして扱われるが、スコットランドと北アイルランドは独自の法体系を有している (スコットランド法を参照)。

2.イギリスの政治

イギリスの政治(Politics of the United Kingdom)は単一国家と立憲君主制を基本としています。ウエストミンスター・システムとも呼ばれるこの統治形態は、カナダ・インド・オーストラリア・ニュージーランド・シンガポール・ジャマイカなどでも取り入れられています。 憲法は1つの成典にはなっておらず、制定法と判例法及び慣習法など様々な要素を合わせて憲法とみなされています。

イギリス議会は王国の立法機関です。議会を構成するのは国王、上院(貴族院)、下院(庶民院)です。王国の4つの地域であるイングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドはいずれも議会に代表を持つ。

国家元首はイギリス国王であるが、権力は首相と内閣とによって行使される。憲法を構成する慣習法の一つに、国王について、「君臨すれど、統治せず」とあり、伝統の中に築かれた民主主義が見て取れる。憲法を構成する法律は、他の法律と同様、議会で修正が可能なため軟性憲法と呼ばれる。

イギリスの議会は、上院(貴族院)と下院(庶民院)の二院制です。明治新政府における日本なども採用する政治形態の議院内閣制が発祥、発達した国であり、行政の長である首相は通常慣例に従って下院第一党党首を国王が任命、閣僚は議会上下両院の議員から選出される。下院は単純小選挙区制による直接選挙で選ばれるが、上院はその正式名称の通り貴族が議員となっているので直接選挙は無い。近年、従来右派の保守党と左派の労働党による二大政党制化して来ましたが、近年では第三勢力の自由民主党(旧自由党の継承政党)の勢力も拡大しています。

2007年3月7日、貴族院に選挙制導入を求める決議案が庶民院で可決され、数年のうちに全議員もしくは大半の議員が、選挙で選ばれた者によって構成される見通しが出てきた。この決議案に基づき政府が貴族院改革法案を提出して成立すれば、貴族のみで構成されていた貴族院は700年の歴史に幕を閉じる可能性があります。ただし、トニー・ブレア首相、デービッド・キャメロン保守党党首はともに可決された決議案には反対しており、また貴族院では全員任命案以外は否決されたため、改革の行方がどうなるかはまだ不透明です。

イギリスの地方行政区画 (subdihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifisions of the United Kingdom) は複雑、重層的、不均質で、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのそれぞれで異なる。現在の構造に到達するの数百年かかっています。

最近は、伝統的に最も重要な層であるカウンティ (county) とパリッシュ (parish)、スコットランドの場合はカウンティとバラ (en:burgh) からシティ、ディストリクト、あるいは欧州連合の影響を受けたリージョンといった他の行政区画への移行が顕著です。
さらに、英連邦王国は、自国の国王として英国王を戴く国家形式、また該当するオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、バハマ、ジャマイカなどの16の国家があります。いずれも国家共同体(英連邦)に属します。英国以外の英連邦王国は、かつて英国の植民地であったが、今日では英国に従属しない独立国です。

3.第三の道

第二次世界大戦直後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げましたが、階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しみました。

1980年代にマーガレット・サッチャー首相が経済再建のために急進的な構造改革(民営化・行政改革・規制緩和)を実施し、大量の失業者を出した。地方経済は不振を極めたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長した。1990年代、政権は保守党から労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになりました。このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、文化政策に力が入れられるようになりました。第三の道(だいさんのみち、英語:The Third Way)とは、新自由主義的な経済路線の保守党政権に対抗するために、新自由主義的な経済路線を大幅に取り入れた、旧来の社民主義の「大きな政府」路線でも、サッチャー流の市場原理主義路線でもないもう一つの道を目指すべきとして、イギリスの社会学者ギデンズなどによって主張され、主にヨーロッパの社会民主主義勢力が取り入れた政治路線の総称。イギリス労働党のブレア政権(1997年5月2日 – 2007年6月27日)が最も有名です。

サッチャーとその後継メージャーの保守党政権による新自由主義政策の下で、政府による富の集権的再配分によって積極的な福祉政策と弱者救済を行うという福祉国家のモデルは次第に解体されつつあった。保守党政権は市場原理を最重要視し、経済政策への政府による介入は減らされ、民営化と規制緩和が盛んに行われた。結果として、長く続いた「イギリス病」は概ね克服され、イギリスの経済構造は大きく改革・改善された。一方で、経済格差が広がり、公共サービスを受けられない層が増大していた。しかし、労働党は従来の産業国有化方針を脱却できず、グローバリゼーションによる市場化の波には対応できないままであった。ブレア労働党は、保守党の市場化一辺倒、労働党の市場化への適応不足という袋小路に陥った状況を乗り越える路線として、市場の効率性を重視しつつも国家の補完による公正の確保を指向するという、従来の保守-労働の二元論とは異なるもう一つの新しい路線を目指すと主張した。これが、イギリスにおける「第三の道」です。

この第三の道における公正は、伝統的社民主義の哲学が提示する結果の平等ではなく、教育の充実などの政策に立脚した上での、機会の平等に重きを置いています。これにより、移民政策にも通じる多様な文化的「差異」を前提としてグローバリゼーションへの対応を指向します。

具体的に行われた政策としては、保守党が重視してきた所得税や法人税の軽減などを継承する一方で、より社会の下層に配慮し公正を目指す就労支援や公立校改革などを展開すること、また、弱者を手当て(ネガティブウェルフェア,依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を支援(ポジティブウェルフェア,自立型福祉)すること、そして、公共サービスでのPPP(Public-Prihttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifate Partnership)による官民連携、さらに、サッチャーによる中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促す地方分権(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド各地方へ地方議会の設置)などがあります。また、1999年には、英国では初となる最低賃金法を導入した。

ブレア政権の成功はヨーロッパ各国の社会民主主義政党に影響を与え、90年代末のヨーロッパ主要国では中道左派-第三の道路線の政権が相次いで誕生した。2005年まで続いたドイツ社会民主党のシュレーダー政権の政策も旧来福祉国家からの改革を唱えるなど第三の道の影響を受け「新たな中道(die neue Mitte)」を唱えるようになりました。英国では既に保守党時代に徹底した福祉国家の解体を終えていたことから公正の面がより強調されたが、他の国の第三の道では効率にまず重点が置かれる傾向があった。このためリベラル(自由主義)や社会自由主義との差異は小さいものとなり、むしろ中道左派として共通することとなりました。

否定的な見解

「第三の道」は新自由主義でも旧来の社民主義でもない新たな思想・新たな政治路線であると一般的に考えられているが、この考え方に対しては新保守主義・新自由主義を肯定する右派からは「小さな政府」の仮面をかぶった「大きな政府」路線と揶揄され、左派からも「労働組合の切り捨て」「社民主義への裏切り」などの批判も根強く、先駆者のブレア政権でも実際バッシングは多かった。例えば、ビル・エモットは、現在の英国(およびその影響を受けたドイツ)では、誰もこの思想を話題にはしておらず、ブレア自身も政権の途中からこの言葉を使わなくなった、理由はそんな思想など元々存在しなかったからだ、と主張しています。彼によれば、「第三の道」は左派政党が支持者に対して「右派の政策を採択することによって左派を裏切ろうとしているのではない」ことを説得する方便にすぎないからだとしています。

ブレア政権は確かに福祉・教育予算を拡充し、サッチャー政権下で荒廃した病院や教育を立て直すことを目指したが、充分に成功したとは評価されていない。理念として提示した社会的公正の実現もさほど成功しなかったと分析しています。

政策を実行する上では有権者の強い支持を得ることができ、政権運営の役に立ったが、保守政権の政策を基本的に踏襲した政策の実情はブッシュ政権の唱えた「思いやりのある保守主義」と呼ぶべきものであり、また、「第三の道」が新たな政治路線ではなく、「思いやりのある保守主義」であることに有権者が気づいたことも、2度連続して総選挙に大勝したブレアが辞任に追い込まれた理由の一つである、と主張しています。

4.ドイツ連邦

  • 単位系:ゲマインデクライス<連邦政府:三層制

面積:総計 357,021km^(2)(61位)
人口:総計(2004年) 82,424,609人(14位)
人口密度:231人/km2
GDP(MER) 合計(2007年):3兆3,222億ドル(3位)
GDP(PPP) 合計(2007年):2兆8,097億ドル(5位)
1人当り:34,181ドル
形成 843年 統一(ドイツ帝国) 1871年
連邦共和国成立 1949年5月23日 東西統一 1990年10月3日

ドイツ連邦共和国という名称にもあるように、十六の州(ラント)が強い自治権を持った連邦制であり、地方分権の進んだ国家といえます。州は独自の憲法と法体系を持ち、独自の行政権を持ち、司法権も州の権限が強い。 また、地方制度に関する統一法典はなく、地方自治体の組織や運営については、各州が制定する法律によって、それぞれ異なる制度が設けられています。 なお、バイエルン州などに見られるように、州都への一極集中が起こっている州も存在します。

ゲマインデ(基礎自治体)は独自性も比較的強いが、(小さな)基礎自治体同士の広域連合体として、クライス(郡)が結成されている所もあります。また、州政府の出張所(下部行政区画)をクライス(県)と呼ぶ州も存在します。
歴史的に見ると、ドイツは小国家(バイエルン王国、ハノーファー王国など)が分立していた期間が長く、ドイツ帝国時代も地方分権の気運が強かったのです。ヴァイマル共和政時代も地方分権制だったが、ナチ政権の時代になると州議会は解散させられ、州の行政権も中央に移されて強力な中央集権・中央主権体制が敷かれ、アドルフ・ヒトラーの独裁政権を作りました。
戦後のドイツ連邦共和国で地方分権が進んだのは、ナチ政権の再来を防ぐ意味と、ドイツの大国化を避けたい連合国の思惑もありました。

5.イタリア

  • 単位系:コムーネレジオーネ<連邦政府:三層制

面積:総計 301,230km^(2)(69位)
人口:総計(2004年) 58,057,477人(23位)
人口密度:193人/km2
GDP(MER) 合計(2007年:2兆1,047億ドル(7位)
GDP(PPP) 合計(2007年):1兆7,864億ドル(10位)
1人当り:30,448ドル

伝説では紀元前753年にローマ建国 エトルリア人も12の都市国家による都市連合の王政を築いていた。
伝承に、紀元前509年にローマ人パトリキ(貴族)がエトルリア人の王を追放し共和制開始。サムニウム戦争(紀元前343年 – 紀元前290年)などにより紀元前272年にイタリア半島を制圧。

1861年2月、イタリア王国を建国(イタリア統一1861年3月17日)

正式名はイタリア共和国(Repubblica Italiana)。大戦終結後に共和制に移行。イタリアは現在20の州(Regione)から構成される。 通常の州に先がけて設置された、5つの特別自治州(autonoma a statuto speciale)は通常の州より大きな地方自治権を有します。そのうち、シチリア、サルデーニャ、トレンティーノ=アルト・アディジェ、ヴァッレ・ダオスタ、が1948年に、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州は1963年に制定された。通常州は、1972年に制定された。各州はそれぞれ県 (Prohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifincia) に分割(州よりも歴史が古いため、州が県の集まりともいえる)され、県はコムーネ(自治体)の集合体から構成されています。最も人口が多いのはロンバルディア州(州都ミラノ:1,299,633人[2位])で、9,032,554人、面積:23,861 km2、次いでカンパニア州(州都ナポリ:973,132人[3位])で、5,701,931人、面積:13,595 km2、3番目はラツィオ州(州都ローマ:2,718,768人[1位])5,112,403人、面積:17,203 km2、ヴェネト州(州都ヴェネツィア)4,527,694人、面積:18,264 km2、ピエモンテ州(州都トリノ:908,263人[4位])で、4,214,677人、面積:25,400 km2の順。最も少ないのは、ヴァッレ・ダオスタ州(州都アオスタ)で、119,548人、面積 :3,262 km2。

イタリア全土で110の県(アオスタ県を含む)があり、最も狭い県であるトリエステ県は、面積順で100位のコムーネよりも狭い。3ッの県が2009年に分離の実施が予定されているなど増殖傾向にあります。2001年時点のイタリアのコムーネの数はイタリア国立統計研究所によると8,101です。

イタリアは1861年に統一に成功しイタリア王国を建国しました。大戦終結後に行なわれた共和制移行を問う国民投票の結果を受け、1946年にウンベルト2世が退位し、サヴォイア家による王政が廃止され、大統領制によるイタリア共和国となりました。両議院の選挙制度は、上下院ともに完全比例代表制で、イタリア国民の選挙に対する関心は高く、2006年、2008年にそれぞれ行われた総選挙では投票率は80%を超えています。

しかし、イタリアは伝統的に中央集権の流れが強く、ファシスト政権時代には徹底的に地方分権が押さえ込まれました。戦後もシチリアなど本土から離れていたり、南チロルなど多民族が共生する地域に設置された特別州を除けば、(周辺国であるドイツやスペインに比べて)地方分権には否定的でした。1972年の改革により漸く州政府の設置が認められますが、財政面や法律運用など重要な部分は中央政府の統制化に置かれています。各州はそれぞれ県 (Prohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifincia) に分割(州よりも歴史が古いため、州が県の集まりともいえる)され、県はコムーネ(自治体)の集合体から構成されています。各県に独自の議会、評議会、知事 (presidente) が存在し、政府に任命された役職の官選知事 (prefetto) もいます。県は日本語に訳される際しばしば、「市]と訳されることがあります。

こうした中央集権の強い現状への批判から自治運動が盛んな北イタリアを中心にロンバルディア同盟などの地方議会の権限強化を望む地域政党が成長し、1991年には他の州の地域政党が連合して北部同盟が結成されました。彼らは「連邦制か、さもなくば独立か」をスローガンに、移民者排斥などの過激主張や中央政府の南部優遇政策への批判を展開、タンジェントポリにより既存政党が衰退していた事もあって飛躍的に党勢を伸ばしました。
その後は独立騒動による支持者の離反によって低迷しますが、不法移民への反感の高まりを背景にイタリア中部・南部の左派票を獲得して復活を果たしました。現在、南部でも「自治という選択」などの地域政党が成長しており、中央政府がこの動きにどう対応するかが注視されています。
全土で110の県(アオスタ県を含む)があり、増殖傾向にあること、最も狭い県であるトリエステ県は、面積順で100位のコムーネ(最小自治体)よりも狭く増加傾向にあります。

7.中華人民共和国

中華人民共和国はチベット(西蔵自治区、青海省など)や内モンゴル(内蒙古自治区)、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)、満州(遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内蒙古自治区の東部など)などを中華民国から継承しましたが、これらの地域は法制(中華人民共和国憲法の民族自治規定等)上は完全に他の中華人民共和国省区、内地と同格であり、法制度の上では植民地とは言えないものです。

これらの地域では現在問題となっているような民族元来の文化、宗教、思想の弾圧が行われており、特に東トルキスタン、チベット、内モンゴルにはその傾向が強いです。さらにチベット民族の政治的・労働的劣位が明かであることがにされています(米国務省「世界の人権状況」2002年次報告)。もともと、1950年に中国共産党軍がチベットを武力侵略した狙いは、チベットの豊富な鉱物資源だったといわれ、実際に鉱物資源を輸送する青蔵鉄道の建設、大規模な採掘事業など、チベット鉱物の開拓は中国の国策として着実に進められています。また中国政府が推進する「チベット地域支援政策」によって、大量の漢民族が社会的・経済的優位が保障されるチベット自治区に流入し、現在の自治区人口比では漢民族がチベット民族を凌駕しています。さらに前述の政治的・労働的優位性のもとに、漢民族がチベット民族を低廉な賃金で就労させている現状が米国務省報告に記載されており、資源の搾取、原住民族の労働力化などが行なわれており、東トルキスタン亡命政府、チベット亡命政府、内モンゴル人民党などの独立や自治を目指す諸団体は「中華人民共和国の植民地支配」という表現を使用することが多いようです。

8.主要国概要

日本

面積:総計 377,835km2(60位)
人口:総計(2008年) 127,288,419人(10位)
人口密度:337人/km2
GDP(MER) 合計(2007年) 4兆3,459億ドル(2位)
GDP(PPP) 合計(2007年) 4兆3,460億ドル(3位)
1人当り:34,023ドル
建国 紀元前660年2月11日

フランス

面積:総計 675,417km2(47位)
人口:総計(2008年) 64,473,140人(20位)
人口密度:114人/km2
GDP(MER) 合計(2008年) 2兆8431億ドル(5位)
GDP(PPP) 合計(2008年) 2兆4,858億ドル(8位)
1人当り:33,188ドル
形成 843年

中華人民共和国(中国)

面積:総計 9,596,960km2(3位)
人口:総計(2008年) 1,324,424,000人(1位)
人口密度:140人/km2
GDP(MER) 合計(2007年) 2兆4662億ドル(4位)
GDP(PPP) 合計(2008年) 12兆9,886億ドル(2位)
1人当り:5,869ドル
建国  統一王朝 紀元前221年
民国成立 1911年10月10日
人民共和国成立 1949年10月1日

註1: 香港、マカオを含まない。
註2: 中華人民共和国と面積順位第3位とされるアメリカ合衆国の面積は非常に近く、それぞれの国土の定義によっては、順位が入れ替わることがあります。

インド共和国

面積:総計 3,287,590km2(7位)
人口:総計(2005年) 1,131,043,000人(2007年)人(2位)
人口密度:324人/km2
GDP(MER) 合計(2005年) 7,719億ドル(11位)
GDP(PPP) 合計(2005年) 3兆6330億ドル(4位)
1人当り:3,100ドル
独立 イギリスより 1947年8月15日

  • 順位 国 2007年推計人口
  • 1 中華人民共和国 1,336,317,000
  • 2 インド 1,169,016,000
  • 3 アメリカ合衆国 310,252,000
  • 4 インドネシア 231,627,000
  • 5 ブラジル 191,791,000
  • 6 パキスタン 163,902,000
  • 7 バングラデシュ 158,665,000
  • 8 ナイジェリア 148,093,000
  • 9 ロシア     142,499,000

出典:ウィキペディアなど

たじまる 地方自治2

アメリカの地方分権

概 要

目 次

  1. アメリカの地方分権
  2. 連邦制度と地方制度
  3. アメリカの自治体
  4. アメリカの自治体の特徴

1776年に独立した世界史的に見て比較的新しい人造国家(非自然発生的国家)の1つである。市民革命により1783年に独立したアメリカ合衆国や、1789年のフランス革命によって生まれたフランスの共和国が、近代的な共和制のモデルとなり、19世紀以後、世界中に広まった。

1.アメリカの地方分権

アメリカ合衆国

  • 単位系:シティ・タウン・ヴィレッジ郡(カウンティ)・独立市<連邦政府:三層制

面積:総計 9,372,615km2(4位)
人口:総計(2006年) 300,007,997人(3位)
人口密度:31人/km2
GDP(MER) 合計(2007年):13兆8,438億ドル(1位)
GDP(PPP) 合計(2007年):13兆8,438億ドル(1位)
1人当り:45,845ドル

独立 イギリスより 宣言 1776年7月4日 承認 1783年9月3日

アメリカ合衆国は、連邦政府の力が弱く、州が大きい自治権を持つ地方分権国家である。二度の世界大戦と、戦間期の不況やニューディール政策期を経て、連邦政府の権限と影響力は大幅に拡大したものの、なお州が独自の立法権を持ち、それぞれ憲法や軍を所持しており、連邦政府の管轄は合衆国憲法で定められた分野に限定され、合衆国憲法の改正に州議会の承認が必要になるなど、各州が高い独自性と決定権を持つことに変わりはない。また、地方制度の構築に関する権限は、基本的に州に与えられており、具体的にどのような種類の地方団体が設けられるかは州およびその地域ごとに異なっている。独立市は日本の都道府県から独立した政令指定都市と同様だが、州の下位行政区分として郡と同等に扱われる。

2.連邦制度と地方制度

アメリカ合衆国は、50の州 (state)、1の地区 (district)で構成されるが、その他に、プエルトリコなどの海外領土(事実上の植民地)を有する。 独立当時、13の植民地にそれぞれ州が置かれた。1959年にハワイ州が州に昇格されるまでの間、各地方の割譲、侵略、買収、併合を経て、現在は50州を持つ。なお、星条旗の帯は独立当時の13州を、星は現在の50州を示している。また、連邦政府直轄地としてワシントンD.C.(正式名称はワシントン・コロンビア特別区)がある。

アメリカでは連邦制度と地方制度がある。本来的な主権は州にある。連邦政府の有する権限は非常に強大である。広大な国土に画一的・統一的な地方制度を確立することは不可能であったと思われる。合衆国憲法は地方自治について一切触れていない。各州が独自の立法機関を設置し独自の憲法と州法を有する。

連邦法は全州にわたって効力を有するものとして上位に位置するものではあるが、各州の自治が歴史的に尊重されていたこともあり、日本における地方自治体の条例に比べると、各州法の地位はかなり高く、「United States」の名のとおり、独立国にも比する強大な自治権を認められている。

合衆国憲法により、連邦法を制定することができる分野は、国家としての対外的な規律に関わる問題や、州をまたぐ通商に関連する事項等に限定されていることから、会社法や刑法などの一般的法律も州法において規定されている。これらの影響により現在も禁酒法がところにより残っている。

アメリカ合衆国の50の州(state) は連邦政府とは主権を共有しながらも独立した準国家統治体である。州は連邦政府の設置によるものではなく自立的に作られた統治体で、その自律性は非常に高い。(アメリカ合衆国の州を地方行政区画、あるいは地方自治体に準じた見方をするのは誤りである。詳しくは「アメリカ合衆国の州」を参照。)個別の州毎に憲法を持ち、州内の自治体設立も州の権限でおこなっている。

各州の地方行政体系・自治構成単位の構成・構造はかならずしも同一ではないが、基本的に州憲法で地域で分割した行政単位として郡(county、ルイジアナ州はparish、アラスカ州はborough)が設置されている。郡は日本の都道府県庁に似た機能をもつ実体的な地方行政組織である。デラウェア州が3郡、テキサス州が254郡を有するといった幅があるが50州で計3,100ほどの郡がある。郡の行政機関は郡政府と日本語訳される。

3.アメリカの自治体

通常自治体

通常自治体(Municipal Gohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifernment)は、州法下で自治体法人として結成される自治体で、20,000ほどある。日本の市町村に近い形態で、市(city)、区(borough)、町(town)、村(http://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifillage)、ハムレット(hamlet)に分けられることが多い。
通常は郡内に市が存在する「郡、市」の形となるが、市が発展し「郡=市」となったり、極端な例では複数の郡が市に取り込まれた。日本のように、市になれば郡に属さないのは例外で、郡から独立し、どの郡にも属していないのは、43ある独立市(independent city)だけである。

タウン/タウンシップ

Town Gohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifernmentやTownship Gohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifernmentは、15,000ほどある。これらは通常自治体と重なり合って存在する場合もある。
コネチカット、メイン、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、ロードアイランド、バーモント、ニューヨーク、ウィスコンシンの各州ではタウン、そのほかの州ではタウンシップと呼ばれることが多い。また、メイン州ではPlantation、ニューハンプシャー州ではLocation Gohttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifernmentと呼ばれることもある。

インディアン居留地

Indian Reserhttp://kojiyama.net/history/wp-content/uploads/2014/12/turuhikou1.gifation、アメリカ合衆国内務省BIA(インディアン管理局)の管理下にある、インディアン(アメリカ州の先住民族)部族の領有する土地。リザベーションという呼び名が一般的だが、有力な民族のものは自治権が強く1つの国家にも等しい力を持つとされ、ネイション(国家)とも呼ばれる。同様にインディアンやエスキモーが先住するカナダにも同種の領域が存在する。

4.アメリカの自治体の特徴

アメリカの地方自治を参考させていただくと、各州には郡とは別の地方行政区画として各種の自治体があり、これらは日本における市町村レベルの機能とほぼ同等で、合衆国全体で計84,400ほどある。しかし、アメリカ合衆国の自治体は州によって区画されて成立したものでなく、住民によって結成され州憲法に定める手続きによって承認されるものであり、自治体が設置されていない地域(未編入地、未組織地域)が国土面積の大半を占めている。連邦政府は地方団体の確立に関する権限は有さず、それは各州の基本的な留保権限である。また、アメリカで地方団体というとき、その中に州は含まれない。各州は地方団体の「創造主」であり、地方団体そのものではないのである。日本の県がアメリカの州と姉妹州県を結ぶことがよくあるが、そもそも県と違って州は地方団体ではないのである。各州はいかなる地方団体制度を確立しようと自由であり、連邦政府が制限を加えることはない。従って、地方制度は各州により千差万別であって、日本のように地方自治法により全国画一的に規定されているのとは全く異なる。市町村といってもその性格は州によって大きく異なり、市町村とも存在する州もあれば、市と町、市と村、あるいは市しかない州もある。

アメリカの地方団体数は、現在、総数で約8万で減少傾向にあるが、これは、学校区の合併によるものである。郡の数は変化がない。タウン(タウンシップ含む)は古い自治形態で減少傾向にある。日本の市町村に相当する「自治体」は約2万で微増している。特別行政区の数は激増している。日本の郡は、今や町村を含む地理的な名称に過ぎないが、アメリカの郡は、地方行政機関として実際に広範な機能を有している。郡は町・村ばかりでなく、市をも含む。例えば、ジョージア州には159の郡がある。これはテキサス州の254に次ぐ多さである。平均面積は943km2(富山県の約4分の1、新川地方とほぼ同面積)で、ケンタッキー州と並んで全米で最も小さい。州憲法は郡政府の数を159までに限定している(このような規制は郡に対してのみであり、市政府に対してはない)。平均人口は45,000人で、最大はアトランタ市を含むフルトン郡の70万人から、最小はタリアフェロ郡の 1,800人まで、かなりのばらつきがある。45の郡で人口が1万人に満たない。アメリカには県はないので郡が相当する。

アメリカの地方自治体の特徴

アメリカの地方自治で日本と最も異なる点は、地方自治体というものは、国から与えられ又は国の出先機関として存在するのではなく、住民自らの意思により創出されたものであるということである。すなわち、一定地域での人口集中があり、州や郡(州の出先機関)が提供する以上の公共サービスが必要になったとき、住民自らの要求があってはじめて州議会を経て自治体が設立(法人化)されるのである。従って、アメリカには自治体のない地域(非法人化地域)も相当あり、アメリカ国民の2割がどこの自治体にも属していない。「法人化」されてはじめて設立される自治体は、反対に廃止することも可能である。

自治体を設立するには、「自治憲章」を制定し、州政府がこれを承認し、「法人格」が与えられなければならない。自治憲章とは、日本の地方自治法に当たるような自治体の権限や職制を規定した自治体の基本法であり、各自治体自らが有している。これは、行政形態、公務員の名称・資格及び選出方法、財政、行政サービスの内容、各部局の編成などに関する規定が盛り込まれた行政運営の基礎である。

また、アメリカの自治体には、「地域のことは、地域において決定し、実行する」という「ホーム・ルール」の思想がある。すなわち自治憲章の制定に際しては、州政府の規定した一般的な範囲内であれば、住民が自由に規定できる。また、具体的な個別の政策に関しても州政府が禁止していない範囲内で裁量が認められるべきであるという考え方である。

以上のように、アメリカの地方自治体は正に「地方の住民が自ら治める団体」なのであって、日本の地方公共団体とは歴史的にも性質を異にするのである。

シティー「市」

市とは、一定の地域に一定の人口の集中があり、その結果、従来タウンの住民だった人がタウンが提供する一般的な行政サービス以上のサービスを求めるとき、自ら自治憲章を制定し州がそれを承認したときに、タウンの一部又はタウンの境界を超えて組織される強力な権限を持った地方自治体である。市が組織された場合、市はタウンの管轄から離れる。現在州内には62の市(人口は2,800人~700万人)が存在する。

市になれば、起債が認められるほか、他の地方団体に認められている固定資産税以外に所得税、消費税及び物品税を課すこともできる。所掌事務は警察、消防、上下水道、図書館、公営住宅、公園、都市計画、廃棄物処理など住民生活に密着したものが多い。ニューヨーク市に限っては、これに加えてカウンティーの全ての事務も行う。

市の機構は、各々の市の自治憲章により様々な形態があるが、大半の市が公選の議会を持ち、また市長は公選されるか議会によって任命され、裁判組織も独自に保有し、明確な三権分立が確保されている。代表的な市の機構は次に記述するとおりである。

①支配人型(Manager System)

任命された専門の行政職が行政のトップになる。議会が政策の決定機関であり、市長は儀礼的な存在。支配人は行政部局の長の任命権を持ち、予算の編成権を有するが、議会の決定を覆す権限はない。州内19市がこの形態を採っている。

②強力市長型(Strong Mayor System)

公選市長が行政部門の長であり、議会は政策決定機関である。市長は部局の長の任命権と予算の編成権を持ち、しかも広範な拒否権を有する。日本の市町村長は形式的にはこの形態に一番近いと思われる。

③非力市長型(Weak Mayor System)

市長は儀礼的な存在である。議会は政策の決定に加え、委員会形式で行政も行う。また、議会は行政部局の長の任命権を持ち、予算の編成権も有する。市長には拒否権はない。②③併せて州内40市がこの形態を採っている。

④委員会型(Commission)

委員は個別行政部門の責任者として公選され、各委員からなる委員会が政策を決定する。委員のうち1人が儀礼的な市長役を務めることがある。州内3市がこの形態を採っている。

近年の傾向

州の下部組織として設置されたカウンティーとタウンは、近年では、自治憲章の採択により、市や村同様の自治権を持つ地方自治体としての権限を州から与えられ、州の業務に加えて、従来市や村が行ってきたような独自の住民サービスを提供するようになってきた。従って、特にカウンティーと域内市町村の間でしばしば提供されるサービスに重複が見られ、行政コストや責任の不明確化といった問題が起こっている。
出典:ウィキペディアなど
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地方自治-1

日本の国家と地方自治

目 次

  1. 日本の国家としての歴史
  2. 日本の政府
  3. 君主制と共和制
  4. 連邦制と単一国家
  5. 立憲主義

3.君主制と共和制

君主制(英:Monarchy)は君主が支配する統治形態(政体)です。君主政とも言います。連邦は、複数の国家、またはそれに相当する強い行政上の権限を有する政府によって統治される州の集合であり、それらが1つの上位政府によって統治される国家様態です。中央政府から距離を取り連邦制を主張または擁護する立場を連邦主義といいます。
これに対して、共和制(英:republic)は、国家に君主を置かない政体。君主制に対置される概念です。共和政ともいいます。共和制を取る国家のことを共和国といいまう。また、共和制を国家のあるべき姿だとする思想のことを「共和主義」といいます。一般に共和制では、国家の元首は君主ではなく、国民により選出されます。

4.連邦制と単一国家

地域間の民族的相違や国家の大きさなどを考慮して権力を分立させる考え方であり、その現実の形が「連邦制」です。州(アメリカ合衆国)、ラント(ドイツ連邦共和国)、共和国(ロシア連邦)などと呼ばれるいくつかの支分国が集まり、一つの主権国家を構成しますが、その際に中央政府への過度の権力集中を防止するために、中央政府と地方政府との間の合意に基づいて、憲法において両者の間の権限分配に関して明確に規定しています。ただし中央政府と地方政府との間で権力の衝突があるような場合には、中央政府が優越するという原則があります。

主権が中央政府と政治的構成単位(州や地方など)との間に分割され、多くの場合連邦と呼ばれる体制を形作るような政体。とりわけ広大な国家や多民族国家など、地域的、民族的、また歴史的な多様性が見られる場合には、連邦制は対外的統一性と、国内的な分権性という両立させることができる制度であると考えられるため、採用されることが多いもの。対外的な、主として外交・国防部門での強固な統一性と、国内的な、主として民政部門での各構成単位の確固とした独立性の留保が、矛盾なく両立されることが目指されます。アメリカ合衆国、アラブ首長国連邦、ドイツ連邦共和国など、連邦制を敷いている国家は、地方分権的傾向が大きいとされています。また広義では現在のヨーロッパ連合(E.U.)の強い連邦政府(中央政府)と弱い国家政府を指します。

比較的領土の大きな国や、歴史的に数多くの君主国や都市国家が並立していた時代が長かった(ドイツなど)、革命の過程で誕生した多民族国家が統合したソビエト連邦などなどで(ソビエト連邦はロシア連邦に)、他には2つの主権国家が統合して1つの国家となったアラブ連合共和国、英国の植民地であった13州が統合したアメリカ合衆国など、連邦国家には幾多もの成り立ちがあります。ただし、国によっては連邦制が形骸化している場合があります(アルゼンチンなど)。このような連邦制では、基本的に国家としての立法権や執行権及び司法権はすべて中央政府に集中されており、それに対して、場合によっては中央政府の意志として国家機能の一部が地方政府に委譲されているような国家を「単一国家」と呼びます。例としてはイギリスやフランスであり、日本もそのような単一国家として分類されます。
歴史的には連邦国家においても中央政府の権力の拡大という現象が見られました。しかし今日では連邦国家か単一国家かに関わらず、参加民主主義への指向や各地方の住民のニーズの多様化、行政の効率化などに対応する形で、地方分権の流れが一般的となっています。

5.立憲主義

民主化の程度の高い国においては、統治に当たる者の権力行使を防止し、国民の権利と生活を守るための仕組みとして、代議制を駆動させる両輪として、選挙制度と政党があります。この他にも権力行使を抑制する制度としてまず、近代国家の最も基本的な仕組みが立憲主義です。憲法をはじめとした法による制限を通じて、統治者による権力行使を防止し、個人の権利や自由を擁護しようというものです。立憲主義の歴史は、1215年、イギリスで制定されたマグナカルタにはじまるとされています。それ以降、世界で最初の現代的民主国家であるアメリカ合衆国の独立宣言(1776年)や絶対王政を打倒したフランスの人権宣言(1789年)などによって、民衆によって選出された指導者によるワンマンな権力行使を抑制する近代的な立憲主義が確立していきました。

さらに、権力を分立させて相互に抑制と均衡の役割を担わせる仕組みが。いわゆる「三権分立」です。国家の主要な統治機構としての立法府、行政府、司法府の三つですが、それぞれ異なった人間や党派に担当させることによって、多数派による少数派に対する横暴を防ごうという狙いもあります。

立法府は国権の最高機関ですが、世界の多くの国は「一院制」であり、日本のように「二院制」を採用している国の2倍弱の約120ヶ国です。
フランス革命の指導者の一人であるアベ・シェイエスは、1789年に二院制を否定する言葉を残しています。

「第二院は何の役に立つか。もし第二院が第一院に一致するならば、それは無用な存在であり、第一院に反対するならば有害な存在である。」
というものです。平民である第三身分の立場を擁護するシェイエスにとって、第三身分こそがすべてであったのであり、人民主義を代表する議員に対しては何らかの抑制も加えられるべきではないと考えていたからです。

しかし、立法府を二つの院で構成することにも一定の合理性があります。モンテスキューも立法府を二院制で構成することを主張しました。優れた少数派としての貴族と多数派としての人民といった階級的な差異を反映した二院制によって、少数者に対する多数者による権力濫用に対して一定の抑制を施す仕組みということで、今日このイギリスの「貴族院型」と呼ばれる、選挙によって選ばれる代表によって構成される庶民院(下院)の方の権限が、王による勅撰で選ばれる議員によって構成される貴族院(上院)よりも強い。

この貴族院型に対して、権力の濫用防止といった観点だけでなく、慎重な審議や第二の見解の用意といった観点から第二院が存在している場合もあります。これを「参議院型」と呼び、両院の議員が国民の直接選挙で選ばれる場合には、その権限は比較的に対等です。日本がその例です。衆議院の優越がいわれていますが、予算案の決議、条約の批准、首班指名を除いて通常法案においては両院はほぼ対等な関係にあります。
二院制はさらに連邦制型と呼ばれる形態も存在します。アメリカがその典型で、国民を代表する院が下院であり、各州の利益を代表する院が上院です。

2.日本の政府

日本は天皇を君主とし議院内閣制の立憲君主国になります。国家に君主を置かず、国家の元首は国民から選ばれる(大統領など)政体である共和制国家とは異なります。対外的な、主として外交・国防部門での強固な統一性と、国内的な、主として民政部門での各構成単位の確固とした独立性の留保が、矛盾なく両立されることが目指されます。

地方分権とは、特に政治や行政において、国家権力を地方自治体に移して分散させる体制を指す。政治・行政以外の組織体では、分権組織と呼ぶ場合もある。対義語は中央集権。

日本において中央集権国家が成立した時期は、律令制の時代や明治維新の時代が代表的です。
律令制によって朝廷は中央集権化を目指しましたが、荘園制度の崩壊から平安時代の終わりころには国府は衰えて守護大名が台頭支配しています。
江戸時代の日本は、幕府という中央政府は存在するが、藩という「地方王国」に権限が下ろされていました。ただし、藩の大名は、参勤交代による江戸への出張や、幕府の公共事業への強制的な出費や参加も命じられており、半ば中央統制的な面も有していました。明治維新で廃藩置県が実施されると、強固な中央集権体制を作り上げ、135年が経った現在も変わっていません。2000年施行の地方分権一括法では、機関委任事務が廃止され、国家と地方公共団体が名目上では対等な関係とされています。しかし、中央政府主導で基礎自治体を合併させるなど、上から強制する姿勢で、「地方自治」と相容れない現象も起きています。