銅鐸の形状と紋様
[/wc_box]銅鐸のかたち
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館) によりますと、銅鐸は、つり手「鈕」(ちゅう)とバケツをひっくり返したような「身」(み)、つり手から身にかけて張り出した「鰭」(ひれ)から成り立っています。
銅鐸は本来、内面に振り子「舌」を下げたベルです。銅鐸内面の末端付近には、断面形が台形や蒲鉾形(かまぼこがた)の突帯(とったい)がめぐっています。内面に舌を取り付け、つり手を揺することで舌がこの突帯部分に触れあい共鳴します。古い銅鐸には、青銅製や石製の舌を伴って出土したものがあり、内面上部に舌を下げるため「環」(かん)を取り付けた銅鐸(有環銅鐸)もあります。また、内面突帯(ないめんとったい)が舌との摩擦によって磨り減った銅鐸も認められます。
鈕(ちゅう)は、銅鐸をつり下げる部分で、本来は断面形が菱形をした半環状のものでしたが、後に装飾が加わり兜形(かぶとがた)から小判形(こぱんがた)に変化します。古い銅鐸には鈕と結んだ紐とが摩擦した痕跡をとどめるものがあり、木の枝などに銅鐸を紐(ひも)でつり下げて使用していたと考えられます。
身(み)は、扁平(へんぺい)な筒形を呈しています。身の上面と上半・末端の左右には各々両面に孔があります。この孔は銅鐸を鋳造する際に、二枚の外型と内型を固定するために生じるもので「型持孔」(かたもちあな)と呼んでいます。銅鐸が大形化すると身も裾(すそ)開きの円筒形のものへと変化します。 鰭(ひれ)は、鈕から身の末端付近まで連なる板状の装飾部分で、銅鐸を鋳造する際、二枚の鋳型からはみ出した甲張(こうばり)が装飾化したものと考えられます。
佐原真氏の型式分類(佐原編年)によると、現在主として鈕の形態の変化により編年され、全部で4形式に分類されています。
菱環鈕式(最古式、I式)、外縁付鈕式(古式、II式)、扁平鈕式(中式、III式)、突線鈕式(新式、IV式)です。この他に福田型銅鐸と呼ばれる銅鐸があります。
紋様の種類
・横帯紋銅鐸
・袈裟襷紋銅鐸(6区以外)
・6区袈裟襷紋銅鐸
・流水紋銅鐸
に分けられます。加茂岩倉銅鐸を紋様の種類によって分類すると、石の鋳型で造られた古い段階の銅鐸群は、四区袈裟襷紋と二区及び三区流水紋のグループに分けられます。これに対して、土の鋳型で造られた新しい段階の銅鐸群は、四区袈裟襷紋と六区袈裟襷紋のグループに分かれます。さらにこの四区袈裟襷紋銅鐸には、区画内に絵画を持つものと持たないものがあります。
古い段階の銅鐸群のうち、流水紋銅鐸は全て横型流水紋と呼ばれるものに属します。この横型流水紋は、畿内南部(河内南部・大和・和泉)の弥生時代中期初頭の土器に施紋されていた横型流水紋様の影響を受けたものと見られ、この時期の銅鐸群のほとんどは畿内南部の工房で製作されたと考えられています。ただ、四区袈裟襷紋の加茂岩倉12号鐸には、畿内南部で造られた銅鐸には見られないいくつかの特徴があります。こうした特徴を持つ銅鐸の鋳型が大阪府東大阪市の鬼虎川遺跡から出土していることから、この段階の銅鐸群の中には、河内北部の工房で造られた銅鐸もあることがわかってきましました。
新しい段階の銅鐸群で特に注目されるのは、袈裟襷紋の上の区画内にトンボ・シカ・イノシシなどの絵画を配し、下区に四頭渦紋が鋳出された18号鐸・23号鐸・35号鐸です。描かれた図像に違いはありますが、鈕や鐸身の紋様構成は極めて似通っています。例えば、一般的な袈裟襷紋銅鐸は縦帯に対し横帯が優先して施紋されますが、これらの銅鐸は袈裟襷紋の縦・横帯が切り合っており、袈裟襷紋の中に施紋された斜格子紋様の充填方法を見ても横帯優先となっていません。また、縦帯の幅が身の上部では狭く、下部へ向かうほど広くなっており、これに対応するように、充填された斜格子紋が上部ほど密で下部ほど粗となっています。こうした特徴は、同じ時期の畿内系銅鐸にはあまり見られないもので、これらの銅鐸が出雲で造られたとされる理由のひとつに挙げられています。
これらの銅鐸に描かれた絵画にも、これまで各地で出土した絵画銅鐸にはない特徴が見られます。そのひとつは、18号鐸・35号鐸に鋳出されたトンボが、複線で写実的に描かれていることです。これまで知られている絵画銅鐸のトンボは単線で描かれており、抽象的な表現に留まっていますが、これらの銅鐸の場合は、頭部・胸部・腹部の境がくびれ、各部位が明瞭に区別されています。翅は4本線で描かれ、前翅・後翅の縁が表現されています。さらに18号鐸B面上右区のトンボには、眼を表現したと見られる小さな点も2つ認められ、工人の細かな観察力と表現力が感じられます。
このほかにも鈕にカメを描いた10号鐸、同じく鈕の頂部に人面を描いた29号鐸など、特色のある絵画を持つ銅鐸があります。これらはいずれも六区袈裟襷紋銅鐸で、袈裟襷紋の区画内・鈕や鰭の鋸歯紋帯の無紋部分に研磨の痕跡が認められます。8号鐸・20号鐸も六区袈裟襷紋銅鐸ですが、10号鐸・29号鐸と同様の研磨が施されており、こうした研磨は、いわゆる「見る銅鐸」としての効果を狙った技法と考えられます。また10号鐸には表面に水銀朱が塗布されていることも確認されています。これらの銅鐸からは「見る銅鐸」に込めた弥生びとの想いが伝わってくるようです。
2009/08/28
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