因幡國八上郡の式内社

延喜式神名帳には、現在の鳥取県東部である因幡國には50座が記されており、そのうち大社1、小社49である。座というのは御祭神のことで1つの神社に主祭神が2座3座祀られている社もあり神社数ではない。但馬一宮出石神社など、伊豆志坐神社8座(並名神大)(出石神社)、夜夫坐神社5座(名神大2座、小3座)養父神社)と記されている例もある。

延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは、延長5年(927年)にまとめられた律令や格の細則『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた平安京が定めた日本最古の社格でそれを与えられた全国の神社一覧である。

「式内社 ○○神社」と書かれているのは、延喜式神名帳の小社を表す。式内大社はとくに「名神大」と記される。

山陰道神 560座 大 37座(就中一座月次新嘗。)小 523座で、式内社の数では、出雲187座、但馬131座、丹波:71座、丹後:65座、因幡:50座、石見:34座、隠岐:16座、伯耆:6座となっている。

因幡國:50座 大1小49。その郡別は、

・巨濃郡[コノ]:9座並小 (今の岩美郡)
・法美郡[ハフミ]:9座大1小8 (今の鳥取市千代川東岸部)
八上郡[ヤカム]:19座並小 (今の八頭郡)
・邑美郡[オフミ]:1座小  (今の鳥取市南部)
・高草郡[タカクサ]:7座並小 氣多郡に併合して消滅し気高郡になった。(今の鳥取市千代川西部)
・氣多郡[ケタミ]:5座並小 高草郡と合併して気高郡になった。(旧気高郡青谷町・鹿野町・気高町今の鳥取市西部)

因幡國のうち、八上(ヤカム)郡は今の八頭郡で鳥取県南東部にあたり、19座並小となっており、因幡国式内社50座の約4割弱にあたる19座が旧八上郡にある。

八上郡とは律令制度の古代因幡國の郡名で、『和名抄』には若桜、丹比(たじひ)、刑部(おさかべ)、亘理(わたり)、日部(くさかべ)、私部(きさいべ・きさいちべ)、土師(はじ)、大江(おえ)、散岐(さぬき)、佐井、石田、曳田(ひけた)の12が記されており、因幡国内で最大規模の郡であった。

以上のように、八上郡は群を抜いて式内社が多い。

また日本海よりも内陸部の八上郡が式内社が多いと言うことは、都(朝廷)からみてそのころの勢力図がどうだったのかといえば、大国主を祀る神社の代表は出雲大社(島根県出雲市)で、大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓した後に守護神として鎮まったとされる能登国一宮気多大社(大己貴神)や、国作大己貴神が円山川を切り開いて沼を開墾したと祀られる小田井神社(豊岡市)など、沿岸部は出雲を筆頭に石見、伯耆、因幡北部、但馬、丹後、若狭、越前、能登、越中の日本海沿岸部は出雲系のスサノオ(素戔男尊)、オオナムチ(大己貴神・大国主の若い頃の名前、『日本書紀』本文によるとスサノオの息子)、オオクニヌシ(大国主)や別称の葦原色許男神をそのまま祭神とする神社が多い。

そうした日本海沿岸一帯は出雲国家連合のような勢力圏が成立していてヤマト朝廷に併合されていったようである。

神社の特性として、勧請システム(他地域に引っ張ってくる)により、信仰エリアの拡大を図っていることから、オリジナルの神社が強いエリアというのは、逆に、他の信仰が入りにくいのではと考えることもできます。それは、神社が多い地域にも同様の事が伺え、新潟県、兵庫県、愛知県、福岡県といった米所として有名な産業地域若しくは、交易の中心地といった文化よりも産業発展が著しい地域の方がその数が多いという傾向を強めております。それは、こうした土地が、人と情報の流動性が激しいことの表れとみることも可能ではないかと考えられるのです。

ただ、これもあくまで指標のひとつに過ぎないので、先ずは、皆さんのご協力の元、神社人でも、こうした神社情報の体系化を進め、究極の日本の文化・歴史マップの完成に臨みたいと思っております。(神社人より)

八上郡といえば売沼神社の八上比売(八上姫)だ。式内社ではないが八頭郡には各所に八上比売の神社が大変多い。

オオクニヌシ(大国主)が因幡のヤガミヒメ(八上比売)を娶る、新羅の王子アメノヒボコ(天日槍)が但馬でアカルヒメ(阿加流比売神)を娶り但馬に住む、日本書紀においてはアカルヒメ(阿加流比売神)が結婚したのはアメノヒボコでなく、意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)とされている若狭・越前一宮気比神宮と似た神話や日本書紀に記されているのも偶然ではないだろう。全く作り話なら同じような伝承が偶然にしても残るはずはないからだ。

大江神社三座「大己貴命、天穗日命、三穗津姫命」(八頭郡八頭町橋本)
都波只知上神社二座「素盞嗚尊、櫛名田比賣命」(鳥取市河原町佐貫)
塩野上神社二座「彦火火出見命、鹽土老翁」(八頭郡八頭町塩上)
都波奈弥神社二座「素盞嗚尊、櫛名田比賣命」(鳥取市河原町和奈見)
伊蘇乃佐只神社二座「神直毘神、大直毘神」(八頭郡八頭町安井宿)
多加牟久神社二座「大己貴神、事代主神」(鳥取市河原町本鹿)
意非神社「天饒日尊」(八頭郡若桜町屋堂羅)
売沼神社「八上比賣神」(鳥取市河原町曳田)
和多理神社「左留陀比古神」(八頭郡八頭町郡家殿)
久多美神社「伊弉諾尊、伊弉册尊 配 鹽土老翁」(鳥取市河原町谷一木)
布留多知神社「素盞嗚尊」(八頭郡八頭町重枝)
美幣沼神社「太玉命 合 瀬織津姫神、保食神」(八頭郡八頭町篠波)

平安時代末期に同郡東部が八東郡として分離し、『和名抄』にみえる土師、大江、散岐、佐井、石田、曳田の6が中世以降の八上郡を構成した。

各神社の内容はこちら
神社拾遺

コメントする

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください