播但線沿革 |
1876年(明治9年) | 現在の姫路市飾磨(しかま)~生野(いくの)銀山間には日本初の高速道路というべき「生野鉱山寮馬車道」が整備 |
1887年(明治20年)11月5日 | 内藤利八、浅田貞次郎ら生野飾磨間馬車鉄道敷設願を知事に提出 |
1888年(明治21年)5月31日 | 馬車鉄道認可 |
1889年(明治22年)10月18日 | 飾磨~生野間の蒸気鉄道敷設を出願 |
1893年(明治26年)3月8日 | 鉄道敷設の仮免許 |
〃 5月30日 | 測量が完了し、鉄道敷設の免許出願 |
〃 6月30日 | 鉄道敷設の本免許 |
〃 7月 | 播但鉄道会社設立 |
1894年(明治27年)2月 | 飾磨~生野敷設工事開始 |
〃 7月 | 生野~和田山間の仮免許 |
〃 7月26日 | 姫路~寺前間開業 |
1895年(明治28年)4月17日 | 長谷~生野間、姫路~飾磨(後の飾磨港)3M31C開業 |
1896年(明治29)年5月23日 | 生野~和田山の敷設本免許 |
1897年(明治30年)8月25日 | 和田山~津居山間の本免許 |
〃 10月30日 | 生野~和田山間の本免許 |
1901年(明治34年)8月29日 | 生野~新井間開業 |
1902年(明治35年)3月10日 | 和田山~津居山間の工事竣工期間経過により免許返納 |
1903年(明治36年)5月31日 | 播但鉄道解散 |
1903年(明治36年)6月1日 | 山陽鉄道による営業開始 |
1906年(明治39年)4月1日 | 新井~和田山間開業、播但線全線開通 |
〃 12月1日 | 山陽鉄道国有化 |
1952年(昭和27年) | 大阪駅~城崎駅(現:城崎温泉駅)間を播但線経由で運転する臨時快速列車「たじま」が設定される。 |
1953年(昭和28年) | 大阪駅~城崎駅間を播但線経由とする臨時快速列車「ゆあみ」の運転を開始する。 週末運転で下りは金曜日、上りは日曜日運転であった。 |
1955年(昭和30年) | 「たじま」定期列車化。 |
1956年(昭和31年) | 「たじま」上り始発駅を香住駅に変更。 |
1958年(昭和33年) | 「たじま」浜坂駅まで運転区間を延長。また、臨時列車「ゆあみ」を準急列車化。 |
1959年(昭和34年)4月6日 | 生野 – 長谷間で蒸気機関車牽引の回送列車が脱線転覆。播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故。 |
1960(昭和35)10月 | 但馬地方と姫路・京阪神を結ぶDC準急「但馬(たじま)」号が生まれた。同時に運転区間も大阪駅~鳥取駅間に変更。 |
1960年(昭和35年) | 「たじま」準急列車に昇格。 |
1961年(昭和36年) | 「たじま」名称を漢字書きの「但馬」に変更。 |
1962年(昭和37年) | 「但馬」に姫路駅発着列車が設定される。 |
1965年(昭和40年) | 「ゆあみ」の名称を「但馬」に変更。また、1往復増発され、「但馬」4往復での運転となる。 但し、大阪駅発着は2往復のままで、運転区間も従来の「たじま」・「ゆあみ」を踏襲する形で運転。 |
1966年(昭和41年) | 準急列車制度の変更により「但馬」 急行列車に昇格。 |
1971年(昭和46年) | キハ80系を使用し、臨時特別急行列車「ゆあみ」が秋季、「はくぎん」が冬季のそれぞれ週末に運転され、臨時ながら初めて播但線で特別急行列車運転。「はまかぜ」登場前の慣らし運転的意味あいも兼ねていたとされる。 |
1972年(昭和47年) | 福知山線経由の特急「まつかぜ」の補完列車として、キハ80系を使用し無煙化(ディーゼル車)、新大阪駅・大阪駅~鳥取駅・倉吉駅間を播但線経由となる特別急行列車「はまかぜ」の運転を開始。「はまかぜ」は播但線内を無停車で運転されたため、急行である「但馬」との差別化は計られていた。 |
1975年(昭和50年) | 「はまかぜ」倉吉行を米子駅行きに変更し、鳥取・米子~小郡間に新設された特急「おき」との共通運用を開始。 |
1976年(昭和51年) | 「おき」の使用車両がキハ181系に変更された為、米子行きを倉吉行きに再変更。 |
1982年(昭和57年) | 「やくも」電車化に伴う余剰車両を割当てる形でキハ181系に車両変更。 |
1984年(昭和59年)2月1日 | 飾磨港 – 飾磨間の貨物営業廃止。 |
1985年(昭和60年) | 「はまかぜ」全列車鳥取駅発着となる。 |
1986年(昭和61年) | 福知山線電化に伴い特急「まつかぜ」の運転が終了。これをカバーする目的で倉吉駅・米子駅発着列車を運転開始。また、「但馬」については大阪駅~豊岡駅間運行の列車と姫路駅~浜坂駅間の2往復に減少する。 |
1986年(昭和61年)11月1日 | 飾磨港 – 姫路間 (5.6km) が廃止。 |
1987年(昭和62年4月1日 | 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。姫路 – 和田山間の貨物営業廃止。 |
1989年(平成元年) | 「但馬」 大阪駅乗り入れを臨時列車に格下げ。定期列車は全列車姫路駅発着となる。 |
1991年(平成3年)11月1日 | ワンマン運転開始。 |
1992年(平成4年) | 客車列車全廃。北陸地区より転属したキハ58系初期型を改造したキハ58系5500番台車(オールロングシート改造車)投入。 |
1993年(平成5年) | 全列車大阪駅発着となる。 |
1994年(平成6年) | 智頭急行智頭線開業。特急「スーパーはくと」運転開始により、運転区間を大阪駅~浜坂駅・鳥取駅間と短縮。3往復から2往復へ減便し、大阪駅~浜坂駅間、大阪駅~鳥取駅間各1往復とする。 |
1995年(平成7年) | 阪神大震災の影響により1月17日より3月31日まで全便全区間運休。 |
1996年(平成8年) | 姫路駅発着で同区間を運転していた急行「但馬」2往復のうち1往復を大阪駅まで延長の上、「はまかぜ」に格上げして城崎駅(多客期に限り香住駅)発着とし、残りの1往復は廃止とする。これによって「但馬」は定期列車としての運行を終了することとなり、大阪駅乗り入れの臨時「但馬81・82号」も「はまかぜ81・82号」として特急に格上げ。 それまで播但線内無停車であったが、この時より播但線内の福崎駅及び寺前駅に停車、特急料金も大阪駅~浜坂駅に関しては急行廃止の救済も兼ねて割安なB特急料金が新たに導入されることとなった。また、このころより「はまかぜ」の性格も兵庫県内移動が主体となる。 |
1998年(平成10年) | 姫路~寺前間電化。「はまかぜ」播但線内の停車駅に生野駅を追加。 |
2006年(平成18年) | 山陰本線余部鉄橋架け替えに伴う記念事業「鉄橋サミット」開催に伴う輸送列車として姫路駅~浜坂駅間を運行する急行列車「あまるべ」が運行。 使用車両は、キハ58・キハ282両一組の4両編成。金沢総合車両所・越前大野鉄道部所属車の国鉄色を用い、全車座席指定席で運行された。 |
2006年(平成18年)4月1日 | 姫路 – 和田山間の全通100周年記念セレモニーが和田山駅で行われ、特製ヘッドマーク掲出運転や様々な記念関連イベント開催。 |
2008年(平成20年)12月22日 | 姫路駅付近(約1.3km)が高架に切換予定。 |