【出雲神政国家連合】 古代出雲5/6 日本神話のスサノオ

◇神話の比較

江戸時代までは官選の正史として記述された『日本書紀』の方が重要視され、『古事記』はあまり重視されていなかった。江戸中期以降、本居宣長の『古事記伝』など国学の発展によって、『日本書紀』よりも古く、かつ漢文だけでなく日本の言葉も混ぜて書かれた『古事記』の方が重視されるようになり、現在に至っています。
今日では、意図的な改変や創作がかなり加えられてはいるものの、そのようなものの見方をする古代の人たちがいたことに注目する文化的背景を考察する考え方が主流となっています。

『古事記』と『日本書紀』を併せて『記紀』といいますが、『日本書紀』のある天地開闢(てんちかいびゃく)は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られ物語ははじまりますが、天皇の史書『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたときであり、天地がいかに創造されたかを語っていません。『古事記』は、「高天原」「国産み」「神生み」からはじまります。

『古事記』は、開闢神話から高天原神話、そして有名な出雲神話の「イザナギとイザナミ」「スサノオ」「ヤマタノオロチ」やオオクニヌシノカミ(大国主神)の「因幡の白うさぎ」「国造り」「国譲り」など、そして日向神話の「天孫降臨」し、神武が大和に東征するが多く占めています。

また、記紀神話で描かれる出雲神話の「ヤマタノオロチ退治」「国譲り」は、『出雲国風土記』には記載されず、逆に「国引き神話」は、『出雲国風土記』だけに記された神話なのです。

「風土記」は「記紀神話」とは異なり、その土地ならではの神話・伝承を伝えています。 『播磨風土記』はアメノヒボコト伊和大神の話し、『出雲国風土記』は、唯一ほぼ写本で残り、総記、意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原の各郡の条、巻末条から成る。各郡の条には現存する他の風土記にはない神社リストがある。神祇官に登録されている神社とされていないものに分けられ、社格順に並べられていると推察される(島根郡を除く)。大和の史官たちの手の入らない古代出雲人が伝承してきた純粋なものとして、出雲地方の言い伝えを正確に残しています。

記紀での日本神話には、イザナギとイザナミが国つくり・神つくりをして、アマテラスとスサノオの天岩戸やヤマタノオロチなど出雲神話に続きます。それから、スサノオの子孫である大国主はスサノオの娘と結婚し、スクナビコナと葦原中国の国づくりを始めました。出雲神話とはいうものの、これらの説話は『出雲国風土記』には収録されていませんが、神々の名は共通するものが登場するのです。

大国主の子である事代主・タケミナカタが天津神に降ると、大国主も大国主のための宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束します(葦原中津国平定・国譲り)。この宮殿は後の出雲大社です。

そして出雲の話から、アマテラスと高木神は、アマテラスの子であるアメノオシホミミに、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」としてアメノオシホミミは、「天降りの準備をしている間に、子のニニギが生まれたので、この子を降すべきでしょう」とと答え、ニニギに葦原中国の統治を委任し、天降りを命じます。が筑紫の日向(ヒムカ)の高千穂に天孫降臨し、神武東征へと移ります。

■日本神話のスサノオ

スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)は、日本神話に登場する一柱(はしら)の神です。
『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記されています。

伊邪那美命(いざなみのみこと)━━━┳━━━伊邪那岐命(いざなきのみこと)
伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)    ┃     多賀神社/白山比咩神社

[三貴神]  ┏━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━┓
須佐之男命      月読命       天照大御神
(すさのおのみこと)   (つくよみのみこと)  (あまてらすおおみかみ)
海を支配         月の神、夜を支配    日の神、高天原を支配
●須佐神社/八重垣神社        ●伊勢神宮(皇大神宮)
氷川神社/八坂神社/日御碕神社など
■スサノオ系図

『古事記』青は男神、赤は女神

『古事記』では三貴子の末子に当たります。また、日本においてはインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)と素戔嗚尊(以下スサノオ)と習合し同一視されることもあります。しかしながら、スサノオの与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神(あまてらすおおみかみ)、月を神格化した月夜見尊(つくよみのにこと)とは少々異なっており、議論の的となっています。

『古事記』によれば、神産みにおいてイザナギが黄泉の国(よみのくに)から帰還し、日向橘小門阿波岐原(ひむかのたちばなのをどのあはきはら)で禊(みそぎ)を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする。『日本書紀』ではイザナギとイザナミの間に産まれたとしている。

天照大神は高天原を、月夜見尊は滄海原(あおのうなばら)または夜を、スサノオには夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこでスサノオは根の国へ向う前に姉の天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大神はスサノオが高天原に攻め入って来たのではと考えて武装してスサノオに応対し、スサノオは疑いを解くために誓約を行う。誓約によって潔白であることが証明されたとしてスサノオは高天原に滞在するが、そこで粗暴な行為をしたので、天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。そのため、スサノオは高天原を追放されて葦原中国へ降った。

スサノオの神社

雲国一の宮熊野大社(くまのたいしゃ)
島根県松江市八雲町熊野2451
式内社 出雲國意宇郡 熊野坐神社(名神大)
旧國幣大社
出雲國一宮
祭神 神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)と尊称し奉る
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭祀奉る

熊野大神櫛御気野命の御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別神名である。
古来出雲国一の宮として知られる熊野大社は松江市の中心から南に約15㎞、車で約30分の山間の地に鎮座している。神社の前には清らかな意宇川が流れ、お参りにはそこに架けられた朱塗りの八雲橋をわたり手水舎で心身を清め石段を上る。やがてそこに境内の全景が見えてくる。 当社は神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)を主祭神として境内中央正面の御本殿にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別神名である。 ほか、境内には右手に御后神の稲田姫をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊邪那美命をお祀りしている伊邪那美神社、また荒神社や稲荷神社がある。ほかに、随神門、鑽火殿、舞殿、環翠亭(休憩所)などさまざまな建物がある。 特に鑽火殿は当社独特の社殿であり、萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が奉安されている。毎年の鑽火祭(さんかさい)や出雲大社宮司(出雲國造)の襲職時の火継式斎行の大切な祭場になる社殿である。 「今中」の今に至るまでに熊野大神のミハタラキによって人の世の豊楽幸栄のムスヒを蒙っている。

雲国二の宮佐太神社(さたじんじゃ)

島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
式内社 出雲國秋鹿郡 佐陁神社
旧國幣小社

祭神 正殿:佐太大神(さだのおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)
北殿:天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)
南殿:素盞鳴尊(すさのおのみこと) 秘説四柱の神

佐太神社は松江市の北、鹿島町佐陀宮内に鎮座する出雲二宮である。出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社ともあり、大社造りの本殿が三殿並立する。 このような社殿構えが成立したのは中世の末ごろであったようである。現在の御社殿は文化年間の造営であるが、その様式は元亀(げんき)年間に造営されたものを踏襲してきたもののようである。現在は国・県の指定する文化財も多数有している。 三殿に十二柱を祀るが、主神佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古(さるたひこ)大神は日本海に面した加賀の潜戸(かかのくけど)で御誕生され、導きの神、道開の神、交通・海上安全、長寿の神として信仰れている。 祭りの主なものは、5月3日の猿田三番ノ舞(さださんばんのまい)が獅子舞をおこなう直会(なおらい)祭。 9月24日の御座替(ござかえ)祭、25日の例祭には、国の重要無形文化財に指定されている佐陀神能(さだしんのう)を演舞する。11月20日から25日まで八百万神が集う神在祭がある。この祭には神々の参集の先触として龍蛇(りゅうじゃ)が現れるということがある。これは火難、水難をはじめ一切の災厄を除き、豊作、商売、魚漁を守護する霊物として信仰されている。

素鵞社(すがしゃ)

出雲大社式内社
大国主の父(または祖先)の素戔鳴尊を祀る。 大国主大神を祀る出雲大社本殿の正奥に座する荒垣内摂社

須佐神社(すさじんじゃ)

通称 須佐大宮

島根県出雲市佐田町須佐730
式内社 出雲國飯石郡 湏佐神社
旧國幣小社
御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)稲田比売命(いなたひめのみこと)、足摩槌命(あしなづちのみこと)、手摩槌命(てなづちのみこと)
須佐之男命が諸国を開拓し須佐の地にこられ、最後の国土経営をされ、「この国は小さいけれどよい国なり、我名を岩木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田、を定められたので須佐と言う、と古書に見えています。 須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地。

須我神社

(すがじんじゃ) 通称 日本初宮(にほんはつのみや)
島根県雲南市大東町須賀260
御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
簸の川上に於いて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮った。
天照大神の弟神。簸の川上にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、 須賀の地に至り、宮造をした勇猛な神。

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)

島根県出雲市大社町日御碕455
式内社 出雲國出雲郡 御碕神社
旧國幣小社
御祭神 日沈宮(ひしずみのみや) 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神の宮(かみのみや)   素盞嗚尊(すさのおのみこと)
出雲の国造りをなされた素盞嗚尊は、根の国にわたり熊成の峰に登ると、「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せられ、柏の葉を投げ、占いをされた。すると柏の葉は風に舞い、やがて日御碕の現社地背後の「隠ヶ丘」に止った。これにより素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)はここを素盞嗚尊の神魂の鎮まる処として斎き祀ったといわれています。日御碕神社の神紋、三ツ柏もこれに由来し、神域の付近からは柏の葉を印した「神紋石(ごもんせき)」と称される化石も出土しています。

八重垣神社(やえがきじんじゃ)

島根県松江市佐草町227
式内社 出雲國意宇郡 佐久佐神社
旧県杜
祭神 素盞嗚尊(すさのをのみこと)・稲田姫命(いなたひめのみこと)
八岐大蛇退治で名高い素盞嗚尊と、国の乙女の花と歌われた稲田姫命の御夫婦が主祭神である。
当地は素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した時、稲田姫命を佐久佐女の森(現境内、奥の院、鏡の池がある森。小泉八雲は神秘の森と称している)の大杉を中心に八重垣を造って稲田姫命を隠された避難地の中心とも言われている。 八岐大蛇を退治された後、須賀の里よりさらに稲田姫命の避難地であった当地にも宮造りされ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」との御歌の八重垣をとって八重垣の宮とされ、此処で御夫婦生活を始められた所であり、我が国の縁結びの大祖神、家庭和楽、子孫繁栄の大神、和歌の祖神とし、また一面災難除け、国家鎮護の守護神として、第六十四代円融天皇の御代には全国に三十の社を選定され三十番神と称して崇敬された。 御神階も四回昇叙の社は出雲では当社を含め三社しかなく、他に類例のない格別の社で、白河天皇承暦四年六月社司に中祓の儀を命ぜられるなど、朝廷の御祟敬社で、爾来出雲国司代々神領を寄進され、社頭の宏大、結構、近郷に比類なしと当時の古書「懐橘談」にも記されている。

美保神社(みほ じ ん じ ゃ)

島根県松江市美保関町美保関608
式内社 出雲國嶋根郡 美保神社
旧國幣中社
御祭神 三穂津姫命(みほつひめのみこと)
高天原の高皇産霊神の御姫神、大國主神の御后神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
須佐之男命の御子孫、大國主神の第一の御子神

三穂津姫命(みほつひめのみこと)は大國主神の御后(おきさき)神で、高天原から稲穂を持ち降り耕作を導き給うた農業及び子孫繁栄の守り神。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大國主神の第一の御子神(みこがみ)で、「ゑびすさま」すなわち漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰され、美保神社も全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきた。

古来、「ゑびすさまは鳴り物がお好き」との信仰があり、海上安全をはじめ諸処の祈願とともに、夥(おびただ)しい数の楽器が奉納され、その内846点が現在、国の重要有形民俗文化財に指定され、日本最古のアコーディオンや初代萩江露友(おぎえろゆう)が所有していた三味線など、名器、珍品もその中に含まれている。
当社の本殿は「美保造(みほづくり)」と称し、大社造(たいしゃづくり)の本殿を左右二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝(こうはい)を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式として、また屋根についても桧皮葺(ひはだぶき)の共皮蛇腹(ともがわじゃばら)で国の重要文化財に指定されている。

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