【丹国の歴史】(11) 徐福伝説と浦島太郎

丹後と徐福伝説

京都府北部の丹後半島は、若狭湾の西端に張り出した日本三景の一つ「天橋立」の近く、「舟屋」で有名な京都府与謝郡伊根町に浦嶋太郎と徐福にかかわる次の伝説が残っています。

日本海を対馬海流にのって北上した徐福(じょふく)の船は丹後半島にたどり着きました。

海上に浮かんでいるように見える冠島。常世島(とこよしま)とも呼ばれており、ここに生える黒茎の蓬(くろくきのよもぎ)や九節の菖蒲(しょうぶ)が徐福の求めた不老不死の仙薬と言われています。佐賀にもフロフキが自生しており不老不死がなまってフロフキとなったといわれています。

冠島は「天火明命」(あめのほあかりのみこと)の降臨地といわれており、「天火明命」は伊勢神宮の元になったとされている元伊勢籠(この)神社(宮津市)の祭神ともなっています。徐福の一行はこの島で仙薬を見つけ、丹後半島へ上陸したといわれています。

丹後半島では岩が浸食されてできた地形が至るところで見られます。徐福は「ハコ岩」と呼ばれるところに漂着しました。丹後半島の先端に近い京都府与謝郡伊根町新井の海岸に「秦の始皇帝の侍臣、徐福着岸の趾」と碑が立つ場所があります。大きな岩で囲まれた洞穴のようになった場所で、現在の海水面からはやや高い位置にあります。

「秦の始皇帝の侍臣、徐福着岸の趾」

「ハコ岩」から山の斜面を登ると新井崎(にいざき)神社があります。この神社には、医薬・天文・占い・漁業・農耕など多くの知識や技術などを伝えた徐福が産土神として祀られ、今も土地の人たちが大切にしているそうです。徐福は「仙薬が少なくて故国の都に帰ることができない」と言って、ここに住みついたと伝えられているのです。新井崎神社を童男童女宮(とうなんかじょぐう)とも呼びますが、徐福に同行した3000人の童男童女にちなんだ名だと思われます。実際、ご神体は男女二体の木像であるらしいのです。

霊亀(れいき)は、古代中国の神話等に登場する怪物の一種とされ、四霊の一つにあげられている。 中国神話等では、背中の甲羅の上に「蓬莱山(ほうらいざん)」と呼ばれる山を背負った巨大な亀の姿をしており、蓬莱山には不老不死となった仙人が住むと言われている。

浦嶋太郎と亀に共通するものですが関係あるのか。

2009/08/28

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「【丹国の歴史】(11) 徐福伝説と浦島太郎」への2件のフィードバック

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