コウノトリ保護増殖センター


兵庫県豊岡市野上

初めて訪ねた「附属飼育施設 コウノトリ保護増殖センター」。  というのも、こないだ長浜を訪れた際にシャトルバスの運転手さんが「コウノトリは玄武洞の方ですね?!」と言っていたのはここの記憶ではないか思う。

但馬地域に生息したコウノトリを人工飼育により保護・増殖するために、昭和38年に計画され、昭和40年に「コウノトリ飼育場」として開設した施設。 平成3年には、「コウノトリ保護増殖センター」に改称。 平成11年4月1日から、兵庫県立コウノトリの郷公園(祥雲寺)が完成し、その附属飼育施設となった。飼育・繁殖ケージを、11基備えている。平成11年11月1日から公開はされていない。

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ドクターWEST


(JR江原駅 2008.8./3 6:00頃撮影)

早朝6時10分頃、JR江原駅上りホームに、ラッキーなことに見かけない電車が入ってきた。この時間に電車があったかな?定期的に走っている事業用車らしい。保線の安全点検をしている車両だ。 調べてみた。 JR西日本キヤ141系気動車 最高速度 100km/h 最大寸法(長/幅/高) 21,750×2,951×4,050 (mm) 質量 89.2t(2両編成) 機関出力 450PS × 2 / 両 駆動方式 液体式 変速段 変速1段・直結4段台車形式 ブレーキ方式 機関ブレーキ併用電気指令式ブレーキ 保安装置 ATS-SW/ATS-P キヤ141系気動車(キヤ141けいきどうしゃ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の事業用気動車である。 2006年2月に2両編成2本4両が新潟トランシスで落成し、2007年現在2編成とも京都総合運転所に配置されている。ただしキヤ141・キクヤ 141-2は山口鉄道部車両管理室(新山口駅)に常駐する。東海道新幹線に「ドクターイエロー」があるが、こちらの愛称はドクターWEST。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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【たじまる】 和田山駅機関庫

朝来市和田山町和田山駅(電車の中から撮影したのでスモークガラス)

1912年(明治45年)に機関庫と給水塔、転写台、引き込み線などが建設された。 1991年(平成3年)まで約80年にわたり蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理のための施設として利用された。現在は、倉庫として利用されている。 但馬の現存する鉄道施設として最古のひとつではあるが、山陰本線施設当初から一緒に歩んできた建物だけに利用されないまま朽ち果てるだけであればかわいそうだといつも思う。

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豊岡市商工会館(旧日高町商工会館)

1935年(昭和10年)頃に旧日高町役場として建設。
1982年(昭和57年)まで利用され、新庁舎移転に伴いその役目を終えて、日高町商工会館として使われています。
歴史を感じる階段、会議室の照明、昇降エレベーターが今も動いています。
たぶん日高町内で最古の近代建築物です。
 国道バイパス完成後は車の通行量は減りましたが、日高町の中心に位置し、特急バスも前に停車します。青年部時代はよく通いました。なつかしいです。

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グンゼ日高工場跡

但馬はかつて養蚕が盛んで、京都府綾部市に本社を置く(現在は大阪市)グンゼ製糸(株)の工場が但馬にも多くありました。
山陰本線沿いに、梁瀬工場、養父工場、八鹿工場、そして日高工場です。それらの工場は梁瀬を除き平成になって閉鎖されました。

最近まで事務所棟が残っていましたが、赤煉瓦の貯水施設のようなものだけ残っています。

日高町商工会館

1935年(昭和10年)頃に旧日高町役場として建設。1982年(昭和57年)まで利用され、新庁舎移転に伴いその役目を終えて、日高町商工会館として使われています。歴史を感じる階段、会議室の照明、昇降エレベーターが今も動いています。グンゼ日高工場の事務所棟もなくなり、たぶん日高町内で最古の近代建築物です。

国道バイパス完成後は旧国道は車の通行量は減りましたが、日高町の中心に位置し、特急バスも前に停車します。商工青年部時代はよく通いました。なつかしい場所です。

祢布(にょう)城山

豊岡市日高町祢布

当店の国道482号交差点北側に、いかにも城山らしい頂上が平坦な小山があります。東西南北が見渡せる位置にあり、楯石神社があります。垣屋氏の宵田城が南に向かい合い、国分寺城が東にあります。

私はここにお城があったことを最近まで知りませんでした。というか但馬では入り組んだ地形のためか至る所に山城跡があります。

城主は高田次郎貞長という 南北朝期
城主は高田氏ですが、旧名は高田郷といったのでこの領地の地方豪族だったと思われる。創建時期からすると垣屋氏が勢力を強める以前の城ではないだろう。

麓には、かつて但馬国府が置かれた好立地で、但馬国府国分寺館があります。

但馬国分寺址

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豊岡市日高町国分寺


石碑には昭和七年と記してあるので、それ以前から発見されていたものでしょう。
付近は復元に向けて整備が進められつつあります。

遺物などは但馬国府国分寺館に展示してあります。

但馬国分尼寺址

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豊岡市日高町山本(日高東中前)

日高東中校門前に国分尼寺の礎石があります。通っていた頃から知っていたがその頃はそんなに興味はなく、、、。
伊能忠敬が測量した時には7個の礎石が確認できたと記してありますが、現在は1個のみが残っています。