古事記 上巻「神話編」6 スサノオの追放

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)に命じられ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原を、月読命(つくよみのみこと)は夜の世界を治めておりました

しかし建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)だけが、命令を無視して海原を治めようとしませんでした。
顎に鬚が生えて、しかもそれがいくつも塊になって胸に至るまで伸びるくらい長い間、激しく泣いていました。

その激しさはすさまじく、青々と緑に満ちていた山が枯山になり、川や海の水がことごとく枯れてしまうほどでした。
しかも、建速須佐之男命の鳴き声に反応して悪神の騒ぐ声が、まるで田植えの頃の蠅のように辺り一面に満ち溢れ、様々な物の怪達による被害が相次ぎました。

伊邪那岐神は建速須佐之男命に
「どうして言われた通りに海原を治めず、泣いてばかりいるのか。」
と尋ねました。

建速須佐之男命は、
「僕は妣(はは)の国である根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと思っているのです。それで、泣いているのです。」
と答えました。

根之堅洲国は地底の片隅の国という意味ですが、これは黄泉の国を現しているという説がありますが、どこなのかは明確に分かってはいません。

建速須佐之男命の言葉を聞いて、伊邪那岐神は大変怒りました。

そして
「それならば、お前はこの国に住むな。」
と言って、建速須佐之男命を即刻追放致しました。

伊邪那岐神はその後、淡海(おうみ)の多賀(たが)に鎮座いたします。

淡海の多賀とは、一説には滋賀県犬上郡多賀町多賀の多賀大社のことだといわれています。
ですが日本書紀には「淡路の幽宮(かくれみや)」に鎮座したとあり、現在では淡海は淡路の誤記ではないかという説が有力です。

実際、兵庫県淡路市多賀には伊弉諾神宮があり、そこには伊邪那岐神の御陵(お墓)が現存しています。

国生み、神生みを終え、妻と別れ、沢山の神々と三柱の尊い神を出現させた後。
伊邪那岐神は最初に生んだ淡路島に鎮まり、そこで最期を迎えられたのだといわれています。

天地初発神々が出現し、沢山の神々が誕生した日本神話の草創期は、こうして終わります。

日本神話はこの後、天照大御神と建速須佐之男命を中心として展開されてゆきます。
建速須佐之男命の子孫にあたる大国主神(おおくにぬしのかみ)による、日本の国作りと国譲り。
そして、初代天皇誕生へと続いていくのです。

古事記 上巻「神話編」5 三貴子の誕生

三貴子の誕生

イザナギは、続いて左の目を洗った。
すると、天にましまして照りたもう、アマテラス(天照大御神・あまてらすおおみかみ)が出現した。

次に右の目を洗った。
すると、ツクヨミ(月読命・つくよみのみこと・つきよみともいう)が出現した。

最後に、鼻を洗った。
すると、スサノオ(建速須佐之男命・たけはやすさのをのみこと)が出現した。

イザナギは、「私は子供を本当に沢山生んできたけれど、最後に三柱の貴い子を得ることができた。」
と、大変喜んだ。

それで、自分の首にかけていた連珠の首飾りを外して、これをゆらした。
珠同士が触れ合って、しゃらしゃらと美しい音が響いた。

イザナギは、この首飾りをアマテラスに授けて、
「お前は、高天原を治めなさい。」
と命じた。

剣と同じくこの首飾りにも名前があって、御倉板拳之神(みくらたなのかみ)という。
こちらは、神聖な倉の棚に宿る神様。

稲を実らせる稲霊の神は、かつて棚の上に祀られていた。
だからこそこのような名前なのだろう。

また、御倉板拳之神もまた穀物の神の1柱といえる。
そのためこのような神が宿る首飾りを身に着けることで、アマテラスもまた、穀霊の性格が加算されることになった。

次に、イザナギはツクヨミに
「お前は、夜の世界を治めなさい。」
と命じた。

最後にスサノオに
「お前は、海原(うなばら)を治めなさい。」
と命じた。

このようにしてイザナギは、三柱に高天原・夜・海の分治を命じた。

中でもアマテラスは、神々が住まう高天原を統治することになったので、とても重要な神様といえる。
この後、アマテラスは、私達が住む地上を自分の孫に治めさせることにした。
アマテラスの孫が、高天原から地上に降りたことを、「天孫降臨」という。

アマテラスの孫であるニニギ(邇邇藝命)の玄孫が、初代天皇である神武天皇です。
その後、万世一系で引き継がれ、現代の第125代今上天皇へと続いています。

父側の家系を辿ると、神武天皇にいきつくことを「男系」と言います。
世界でひとつの男系がずっと続いて、且つ王朝が変わることなく約2000年以上も続いている国は、世界で日本以外どこにもありません。

日本は、現存する世界最古の国なのです。

古事記 上巻「神話編」4 黄泉の国

そしてイザナキは妻のイザナミに会いたいとお思いになって黄泉の国に後を追って行かれた。
そこでイザナミが御殿の閉まった戸から出迎えられたときに、イザナキは「いとしいわが妻よ、私とあなたで作った国はまだ作り終わっていません。だから帰るべきです」と仰せになった。

イザナミはこれに答えて「残念なことです。早く来ていただきたかった。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。されどもいとしいあなたが来てくださったことは恐れ多いことです。だから帰りたいと思いますので、しばらく黄泉の国の神と相談してきます。その間私をご覧にならないでください」と仰せになった。

こういってイザナミは御殿の中に帰られたが、大変長いのでイザナキは待ちかねてしまった。
そこで左の御角髪(ミミズラ)に挿していた神聖な櫛の太い歯を一つ折り取って、これに火を点して入って見ると、イザナミの身体には蛆がたかってゴロゴロと鳴き、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、女陰には{さく}雷、左の手には若雷、右の手には土雷、左の足には鳴雷がいて、右の足には伏雷がいた。
併せて八つの雷が身体から出現していた。

これを見てイザナキは怖くなり、逃げ帰ろうとしたとき、イザナミは「私に恥をかかせましたね」と言って、すぐに黄泉の国の醜女を遣わしてイザナキを追わせた。
そこでイザナキは黒い鬘を取って投げ捨てると、すぐに山葡萄の実がなった。醜女がこれを拾って食べている間にイザナキは逃げていった。しかし、なお追いかけてきたので右の鬘に刺してあった櫛の歯を折り取って投げると、すぐに筍が生えた。醜女がこれを抜いて食べている間にイザナキは逃げていった。

 

その後、イザナミは八つの雷に大勢の、黄泉の国の軍を付けてイザナキを追わせた。そこでイザナキは佩いていた十拳の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げていった。

しかし、なお追ってきたので黄泉の国との境の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)のふもとに至ったとき、そこになっていた桃の実を三つ取り、待ち受けて投げつけると、すべて逃げ帰った。
そこでイザナキは桃の実に「お前が私を助けたように、葦原中国のあらゆる人たちが苦しくなって、憂い悩んでいるときに助けてやって欲しい」と仰せられて、桃にオオカムヅミ(意富加牟豆美命)という名を賜った。

最後にはイザナミ自らが追ってきた。
そこで千人引きの大きな石をその黄泉比良坂に置いて、その石を間に挟んで向き合い、夫婦の離別を言い渡したとき、イザナミは「いとしいあなたがこのようなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人絞め殺してしまいましょう」といわれた。
そこでイザナキは「いとしいあなたがそうするなら、私は一日に千五百人の産屋を建てるでしょう」と仰せになった。こういうわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が産まれるのである。

そこでイザナミを名付けて黄泉津大神(ヨモツ)という。またその追いついたことで道敷大神(チシキ)ともいう。また黄泉の坂に置いた石を道返之大神(チガヘシ)と名付け、黄泉国の入り口に塞がっている大神とも言う。なおその黄泉比良坂は、いま出雲国の伊賦夜坂(イフヤサカ)である。

このようなことでイザナキは
「私はなんと醜く汚い国に行っていたことであろうか。だから、我が身の禊ぎをしよう」
と仰せになり、筑紫の日向の、橘の小門の阿波岐原(アワキハラ)においでになって、禊ぎをされた。
生まれた12柱の神様は、陸路と海路に関わる神である。

投げ捨てた杖にツキタツフナト(衝立船戸神)
つぎに投げ捨てた帯にミチノナガチハ(道之長乳歯神)
つぎに投げ捨てた袋にトキハカシ(時量師神)
つぎに投げ捨てた衣にワヅラヒノウシノ(和豆良比能宇斯能神)
つぎに投げ捨てた袴にチマタ(道俣神)
つぎに投げ捨てた冠にアキグヒノウシノ(飽咋之宇斯能神)

つぎに投げ捨てた左手の腕輪にオキザカル(奥疎遠神)、つぎにオキツナギサビコ(奥津那芸佐毘古神)、つぎにオキツカヒベラ(奥津甲斐弁羅神)である。
つぎに投げ捨てた右手の腕輪に生まれた神の名は辺疎遠神(ヘザカル)、つぎに辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコ)、つぎに辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラ)である。

身に付けていた物を脱いだことによってイザナギはすっかり裸になった。
そして禊祓(みそぎはらえ)をするため、いよいよ水の中へと進んでいった。

「川の上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」
といって、そこで中流の瀬に沈んで身を清められた時に、ヤソマガツヒ(八十禍津日神)、つぎにオオマガツヒ(大禍津日神)が生まれた。この二柱の神は汚らわしい黄泉の国に行ったときの汚(けが)れから生まれた神である。
ヤソマガツヒは、沢山の災禍の神様
オオマガツヒは、偉大な災禍の神様
2柱は、あらゆる災いについての神様である。

ヤソマガツヒとオオマガツヒという、あまりに恐ろしい神様ができてしまったので、つぎにその禍いを直そうとして神様が生まれた。

カムナホビ(神直毘神)、つぎにオオナオビ(大直毘神)、つぎにイヅノメ(伊豆能売)の3柱である。

カムナホビは、曲がったことを正しく直すことの神様
オオナオビは、正しく直すことの偉大な神様
イヅノメは、厳粛で清浄な女性、という意味である。名前に「神」がつかないので巫女の起源となる存在といわれている。

イザナミがさらに念入りに、川底、川中、水面と三か所で、体をすすいだ。
三か所でそれぞれ2柱ずつ、次の神様が生まれた。

川の底で禊ぎをしたときに、ソコツワタツミ(底津綿津見神)、つぎにソコツツノヲ(底筒之男命)
川の中程で禊ぎをしたときに、ナカツワタツミ(中津綿津見神)、つぎにナカツツノヲ(中筒之男命)
水面で禊ぎをしたときに、ウハツワタツミ(上津綿津見神)、つぎにウハツツノヲ(上筒之男命)

この3柱の綿津見神は、海の神様。
これら3柱の綿津見神は、阿曇連(アズミノムラジ)らの祖先神として祀られている神である。
そして阿曇連らはそのワタツミの子の、宇都志日金析命(ウツシヒカナサク)の子孫である。
日本神話では神々がやがて人になっていったので、日本国民の誰もが何らかの神々の子孫といえるかもしれません。

また三柱の筒之男命は、何を神格化した神様なのか諸説あるが、船の筒柱の神様ではないかといわれていえう。住吉神社に祀られている住吉大神(住吉三神)である。

黄泉比良坂

古事記 上巻「神話編」3 島産みと神産み

この二神は、大八島(おおやしま)を構成する島々を生み出していった。

最初にお生みになった子は、淡路島である。

淡路国一宮  伊弉諾神宮

つぎに、伊予之二名島(四国)をお生みになった。この島は体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があった。そこで、伊予の国をエヒメ(愛比売)といい、讃岐の国をイヒヨリヒコ(飯依比古)といい、阿波の国をオオゲツヒメ(大宜都比売)といい、土佐の国をタケヨリワケ(建依別)という。

つぎに三子の隠岐の島をお生みになった。またの名はアメノオシコロワケ(天之忍許呂別)という。

つぎに筑紫島(九州)をお生みになった。この島も体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があった。
そこで筑紫の国をシラヒワケ(白日別)といい、豊国をトヨヒワケ(豊日別)といい、肥の国をタケヒムカヒトヨクジヒネワケ(建日向日豊久士比泥別)といい、熊曾の国をタケヒワケ(建日別)という。

つぎに壱岐の島をお生みになった。またの名はアメヒトツバシラ(天比登都柱)という。
つぎに対馬をお生みになった。またの名はアメノサデヨリヒメ(天之狭手依比売)という。
つぎに佐度の島をお生みになった。
つぎにオオヤマトトヨアキツ(大倭豊秋津島・本州)をお生みになった。またの名はアマツミソラトヨアキヅネワケ(天御虚空豊秋津根)という。
そこでこの八つの島を先にお生みになったので大八島国(おおやしま)という。

その後、帰られるときに吉備の児島をお生みになった。またの名はタケヒカタワケ(建日方別)という。
つぎに小豆島をお生みになった。またの名はオオノデヒメ(大野手比売)という。
つぎに大島をお生みになった。またの名はオオタマルワケ(大多麻流別)という。
つぎに女島をお生みになった。またの名はアメノヒトツネ(天一根)という。
つぎに知訶島をお生みになった。またの名はアメノオシヲ(天之忍男)という。
つぎに両児島をお生みになった。またの名はアメフタヤ(天両屋)という。

イザナキとイザナミは国を生み終えて、さらに多くの神をお生みになった。

そして生んだ神の名はオオコトオシヲ(大事忍男神)、つぎにイハツチビコ(石土毘古神)を生み、つぎにイハスヒメ(石巣比売)を生み、つぎにオオトヒワケ(大戸日別神)を生み、つぎにアメノフキヲ(天之吹男神)を生み、つぎにオオヤビコ(大屋毘古神)を生み、つぎにカザモツワケノオシヲ(風木津別之忍男神)を生み、つぎに海の神、名はオオワタツミ(大綿津見神)を生み、つぎに水戸の神、名はハヤアキツヒコ(速秋津日子神)、つぎに女神のハヤアキツヒメ(速秋津比売神)を生んだ。

このハヤアキツヒコ、ハヤアキツヒメの二柱の神が、それぞれ河と海を分担して生んだ神の名はアワナギ(沫那芸神)、つぎにアワナミ(沫那美神)、つぎにツラナギ(頬那芸神)、つぎにツラナミ(頬那美神)、つぎにアメノミクマリ(天之分水神)、つぎにクニノミクマリ(国之水分神)、つぎにアメノクヒザモチ(天之久比箸母智神)、つぎにクニノクヒザモチ(国之久比箸母智神)である。

つぎに風の神、シナツヒコ(志那都比古神)を生み、つぎに木の神、ククノチ(久久能智神)を生み、つぎに山の神、オオヤマツミ(大山津美神)を生み、つぎに野の神、カヤノヒメ(鹿屋野比売神)を生んだ。またの名はノズチ(野椎神)という。

このオオヤマツミ、ノズチの二柱の神が、それぞれ山と野を分担して生んだ神の名は、アメノサズチ(天之狭土神)、つぎにクニノサズチ(国之狭土神)、つぎにアメノサギリ(天之狭霧神)、つぎにクニノサギリ(国之狭霧神)、つぎにアメノクラト(天之闇戸神)、つぎにクニノクラト(国之闇戸神)、つぎにオオトマトヒコ(大戸或子神)、つぎにオオトマトヒメ(大戸或女神)である。

つぎに生んだ神の名はトリノイハクスフネ(鳥之石楠船神)、またの名は天鳥船という。つぎにオオゲツヒメ(大宜津比売神、または大気津比売神)を生んだ。

つぎにヒノヤギハヤヲ(火之夜芸速男神)を生んだ。またの名は火之炫毘古神(ヒノカガビコ)といい、またの名はヒノカグツチ(火之迦具土神)という。

ところが、この子を生んだことで、イザナミは女陰が焼けて病の床に臥(ふ)してしまった。

このとき嘔吐からカナヤマビコ(金山毘古神)が生まれ、つぎにカナヤマビメ(金山毘売神)が生まれた。
つぎに糞からハニヤスビコ(波邇夜須毘古神)が生まれた。つぎに尿からミツハノメ(弥都能売神)が生まれた。つぎにワクムスヒ(和久産巣日神)。この神の子はトヨウケビメ(豊宇気毘売神)という。

イザナキ、イザナミの二柱の神が共に生んだ島は全部で十四島、神は三十五柱である。
そしてイザナミは火の神を生んだことが原因でついにお亡くなりになった。

そこでイザナキは「いとしいわが妻を、ひとりの子に代えようとは思わなかった」と仰せになって、すぐにイザナミの枕元に臥し、足下に臥して泣き悲しまれた。その涙から成り出た神は、香久山の丘の、木の本におられるナキサワメ(泣沢女神)である。

そして亡くなられたイザナミを出雲国と伯伎国の境にある比婆の山に葬り申し上げた。

そしてイザナキは差していた十拳の剣とつかのつるぎを抜いて、ヒノカグツチの首をお斬りになった。
するとその剣先に付いた血が飛び散ってそこから生まれた神の名はイハサク(石拆神)、つぎにネサク(根拆神)、つぎにイハツツノヲ(石筒之男神)である。

つぎに御剣の本に付いた血が飛び散ってそこからミカハヤヒ(甕速日神)が生まれた。つぎにヒハヤヒ(樋速日神)、つぎにタケミカヅチノヲ(建御雷之男神)、またの名はタケフツ(建布都神)、またの名はトヨフツ(豊布都神)である。

つぎに御剣の柄にたまった血が、指の間から漏れ出たなかからクラオカミ(闇淤加美神)、つぎにクラミツハ(闇御津羽神)が生まれた。

以上の石拆神から闇御津羽神まであわせて八柱の神は御剣によって生まれた神である。

また殺されたカグツチの頭からマサカヤマツミ(正鹿山津美神)が生まれた。
つぎに胸からオドヤマツミ(淤縢山津見神)が生まれた。
つぎに腹からオクヤマツミ(奥山津美神)が生まれた。
つぎに陰部からクラヤマツミ(闇山津美神)が生まれた。
つぎに左の手からシギヤマツミ(志芸山津美神)が生まれた。
つぎに右の手からハヤマツミ(羽山津美神)が生まれた。
つぎに左の足からハラヤマツミ(原山津美神)が生まれた。
つぎに右の足からトヤマツミ(戸山津美神)が生まれた。

そしてイザナキがお斬りになった剣の名はアメノヲハバリ(天之尾羽張)といい、またの名はイツノヲハバリ(伊都之尾羽張)という。

『古事記』 はじめに

日本神話『古事記』

いまさらいうまでもないけれど、『日本書紀』とともに日本最古の歴史書。

しかし、これより以前にも実は歴史書はあった。

 

乙巳の変、壬申の乱などにより、天皇家の歴史書『天皇記』『国記』『帝紀』『旧辞』等が焼失してしまった。

天武天皇の命を受けて、奈良時代の和銅5年(712年)に、稗田阿礼(ひえだのあれ)という『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられた暗記力抜群の28歳の天才青年が語る暗誦を、太安万侶(おおのやすまろ)が編纂し、元明天皇に献上された。国内向けに天皇家の神格化のために使われたと考えられている。日本神話をもとにした。

これより8年あと、舎人親王らが天武天皇の命を受けて、『日本書紀』が養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを書いている。『日本書紀』は、日本の正史として、大和朝廷の権威付けのために作られたと考えられている。文章が漢文で書かれてることから、中国への外交上の目的があったと考えられている。『古事記』とは違い、伝説的な要素はなく事実とされるもののみを集め、異聞も併記している。

そのため、『古事記』は物語が一本で比較的分かりやすい、『日本書紀』は脈絡がなく、時代ごとにあちこちの伝承を集めているため、分かりにくい。

『記』と『紀』の字の違い

『古事記』は「記」なのに、なんで『日本書紀』は「紀」なの。実は私もそこまで考えていなかった。調べてみた。

「記」は、文章を書き「しるす」という意味がある。日記,記録,記事といった熟語からもわかるように、出来事やあったことなどをそのまま書き残しているときに使う字。

「紀」は、すじみちを立てて示したものやルール。紀行・世紀・風紀と言った熟語からもわかるように、流れや規則を表す時に使われる字。

そういう意味では、『古事記』は伝説的な事実ではない神話を含んでいるので記はふさわしくありません。しかし作られた目的が「天皇の神格化」ということを考え、「記」を使ったと考えれています。

ここでことわっておくけど、このころまだ「天皇」という言葉は使われていなかった。「天皇」という呼び名が定まったのは、おそらく天武天皇(大海人皇子)の時代か、后がその後を継いで持統天皇となってからである。ここでは便宜上天皇とする。

さて、いちおう予備知識はこれくらいにして、本章からは現代語でショート風に書いてみた。


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古事記 上巻「神話編」1 天地の始まりと神々の誕生

臣下の安万侶が申し上げます。
そもそも、万物万象の初め、混沌とした大本の部分はすでに固まっていたが、まだ生命も形も現われなかったころのことは、名もなく、また動きもなく、誰もその形を知りようがなかった。

上巻 創世編

1 天地の始まりと神々の誕生(天地開闢てんちかいびゃく

しかしながら、天と地が初めて分れて、高天原たかまがはらという神様が住む場所に、アメノミナカヌシ(天之御中主神)が最初の神様が現れた。長いのでミナカヌシ。独神。すぐに姿が見なくなった。

その名の通り、天の中心にいる神様。

次にタカミムスビ(高御産巣日神)、次にカミムスビ(神産巣日神)の独神が現れたが、またすぐに姿が見えなくなった。

高御産巣日神・神産巣日神は、対になって男女の「むすび」を象徴する神で、「産巣」という字は、苔むすといった時の「むす」を意味していて、「日」は霊的な働きを意味する言葉で、この二柱は生命が生まれる神秘的な力が神格化した神様。

この三柱の神は、造化の三神ぞうかのさんじんという。三柱は出現したと思ったら、すぐに姿が見えなくなってしまうが、いなくなったわけではなく、目には見えない状態になっただけで、タカミムスビなどは、この後も度々登場して大活躍する。

三柱の神(造化の三神)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 至高の神
高御産巣日神(たかみむすひのかみ) 生産・生成の「創造」の神
神産巣日神(かみむすひのかみ) 生産・生成の「創造」の神

別天津神(ことあまつかみ)

続いて、海に浮かぶクラゲのような国土が形作られて、二柱の神が現れた。

宇摩志阿斯訶備比古遅神うましあしかびこひつぢにかみ天之常立神あめのとこたちのかみ

この二柱の神もまた独神で、すぐにそのまま身を隠してしまった。

宇摩志阿斯訶備比古遅神は、葦の芽のようにすくすくと育つ生命力の神様で、この上が出現したことで、世界は生命力に満ち溢れた。

生命力が満ち溢れることで「天」を作るだけのパワーが生まれた。
こうして天之常立神が現れ、「天」が永久的に出来上がることになったのだ。

この五柱の神は独神ひとりがみで、独神といっても独身の男女ではない。性別はなく、姿かたちもないふわ~っとした神様。これ以降、表だって神話には登場しませんが、根元的な影響力を持つ特別な神。そのため造化の三神とこの二柱の神を合わせてた五柱の神は、別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれる。

これからたくさんの神様が登場するが、日本神話の神様は、海外の神話と違って全知全能でない。実に人間らしい(人間ではないが…)というか、八百万といわれるほど多くの神様がおりながら、最高神となる神様はいない。それぞれ欠点もありながら、助け合って国つくりをしていくのが日本神話。そこが日本という国柄のポイントかも。

高天原で、国之常立神(くにのとこたちのかみ)と豊雲野神(とよぐもぬのかみ)という神様が生まれた。

この二柱の神もまた独神で、すぐにそのまま身を隠してしまった。

国之常立神が現れたことで、今度は「地」が永久的に出来上がる。
これで「天」と「地」と揃ったことになるが、この時は「天」と「地」が今のような「天」が上で「地」が下でという風に定まっていなかった。

豊雲野神は、物事が次第に固まることを神格化した神様。
この神様が生まれたことでそれまでふわふわと頼りなかった「天」と「地」が、今のような上に「天」・下に「地」という状態に固定された。

「天」が下で「地」が上になったり、あるいは「天」と「天」の間に「地」になったり、ということになりかねないような、大分混沌とした世界。

このあとの代の五組の神々はそれぞれ男女の対の神々である。
どろどろした固まりだった宇宙は、天と地に分かれ、神様たちが住んでいる天を、「高天原(たかまがはら)」という。国産み(くにうみ)とは日本の国土創世譚を伝える神話である。

あるとき、神様たちが高天原から見下ろしてみますと、下界はまだ生まれたばかりで、ぜんぜん固まっていません。海の上を、何かどろどろ、ふわふわとした、くらげのようなものがただよっているというありさまでした。

ここから先は兄と妹の男女ペアで神様が出現し、兄と妹で結婚する。

神様の世界では、兄と妹が結婚するのは理想的な結びつきとされていた。
神様でないと兄妹で結婚出来ないので、だからこそ神様でない者が兄妹で結婚をすることはタブーとされているのだろう。

男女ペアで最初に出現したのが、泥土と砂土の神様。

泥土の神が兄のウヒヂニ(宇比地邇神)で、砂土の神が妹のスヒヂニ(須比智邇神)。
地の位置が定まったので、地表を覆う土や泥の神様が出現したのだ。

次に境界線の神様が出現した。
兄がツノグイ(角杙神)で、妹がイクグイ(活杙神)。

今度は、固まった大地の神様が出現した。
兄がオホドノヂ(意富斗能地神)で、妹がオホトノベ(大斗乃弁神)。
ふわふわした大地では生活が出来ない。
そのため、このような神様が出現することで、地面に生活することが出来るくらいの強度が生れたのだ。

このように神様が生まれるたびに、世界はどんどん形成され、神々が住むことが出来るくらいの土台が造られていった。

余談だけど、地球や日本列島誕生のことを神様にたとえて勝ったいるみたいだ。

ウヒヂニ(宇比地邇神)からオホトノベ(大斗乃弁神)の6柱は兄と妹であったが、男女の象徴を持つ神様ではなかった。まだ男女という性が確固として定まっていない神様同士、結婚していたのである。

ここで初めて、男女の象徴の神様が出現する。

兄がオモダル(於母陀流神)で、妹がアヤカシコネ(阿夜訶志古泥神)。

日本の神様は事が起こる前に事そのものが神格化した神が出現し、神様が出現することで事が行われる。
オモダル(於母陀流神)とアヤカシコネ(阿夜訶志古泥神)という男女の象徴の神様が出現したことで、初めて「男」「女」という性別が各々の役割をもって定まったのだ。

そうして、これらの神々の最後に生まれてきたのが、イザナギ(伊邪那岐神)とイザナミ(伊邪那美神)の兄妹。
他の神々と違って、精神的にも肉体的にもはっきり「男」と「女」の区別がなされた神様だ。

このような神様が出現したことで初めて、神様同士まぐわいが出来ることになりました。
まぐわいが出来るということは、神様同士で夫婦の契りを交わして、子供を生むことが出来るようになったということです。

これまでは自然と「出現」していた神様ですが、この2柱の神様のまぐわいによって神々が「誕生」することになります。
だからこそ伊邪那岐神と伊邪那美神は、夫婦の祖神(最初の神)とされているのです。

男女のペアとなっている神は、二柱で「一代」(ひとよ)と呼びます。
国之常立神と豊雲野神、五代の五組十柱の神々を合わせて、神代七代(かみよななよ)と呼ぶ。

リストでは、左側が男性神、右側が女性神。

男性神女性神
宇比地邇神(うひぢにのかみ)須比智邇神(すひぢにのかみ)
角杙神(つのぐひのかみ)活杙神(いくぐひのかみ)
意富斗能地神(おほとのじのかみ)大斗乃弁神(おほとのべのかみ)
於母陀流神(おもだるのかみ)阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)

 


『古事記』

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古事記 上巻「神話編」2 国産み

イザナギ・イザナミ

国産み

「このままではいけない」
そう話し合った高天原のえらい神様たちは、最後に生まれたイザナギとイザナミという男女の神様に、「漂っている地をまとめて、ひとつの大地として固めなさい」

といって、きれいな玉で飾られた天沼矛(あめのぬぼこ)という大きな矛をあたえた。

イザナギとイザナミは、高天原から地上へとつながる天浮橋(あめのうきはし)に降り立った。

そうして一緒に天沼矛を持って海に差し入れて、海水を「こおろ、こおろ」と鳴らしながら掻きまわして、矛をそっと引きあげた。

矛の突先からぽたりぽたりと海水が滴り落ちて、その海水の塩が積み重なって固まり、島が出来上がった。

この島を、淤能碁呂島(おのごろじま)という。
淤能碁呂島はひとりでに固まってできあがった島、という意味。

古事記には実在の地名が沢山出てくる。おのころ島については、どの島がそうなのか、今でも正確なところはまだ分かっていない。

 

イザナギとイザナミは、さっそくおのころ島へと降りていった。そこに天之御柱(あめのみはしら)と呼ばれる大きな柱と八尋殿(やひろどの)と呼ばれる大きな神殿を建てた。

そうしてイザナギはイザナミに、
「あなたの体は、どうなっているの?」

イザナミ「ちゃんとしてはいけど、一箇所だけくぼんだところがあるの。」

イザナギ「私の体もちゃんとしてはいるけれど、一箇所だけ出っ張っているところがあるよ。」

「私はこの出っ張っているところを貴女の窪んでいるところに差し入れてフタをして、国を作ろうと思っているんだ。どう?」

イザナミ「そうしましょう。」

イザナギ「じゃあ、この天之御柱の周りをお互い別々の方向から回っていって、会ったところで結婚しましょう。」

こうしてイザナギとイザナミは、結婚することが決まり、そのための儀式にとりかかった。
日本初の結婚式だ。

ふたりは、さっそく柱の前に立った。

イザナギ「キミは右から、ボクは左から、それぞれ柱を回ろう。」

イザナミはうなづいて、ふたりは天之御柱をぐるっと回った。
柱の反対側で、お互い顔を見合わせた。

するとまずイザナミが「ああ、なんて好い男なのでしょう!」

続いてイザナギが「ああ、なんて好い女なのでしょう!」

お互いがお互いをほめたたえたあと、イザナギは考え深げに
「女の方から言うのはよくないのではないでしょうか。」
と言った。

ともかく気を取り直し、ふたりは寝所にこもって夫婦の契りを交わしました。

しかし、生まれた子供は手足の無いヒルのような水蛭子(ひるこ)だった。
ふたりは悲しみに暮れながら、葦の舟にこの子を入れて流した。

次に生まれた子供は淡島で、泡のように小さく頼りない島だった。
水蛭子と淡島は、子供として数えないことにした。

なかなかちゃんとした子供が生まれないので、イザナギとイザナミは困って話し合った。

その結果、天にいる神々に相談する、ということにした。

すぐにふたりは、高天原にのぼり、天の神々の意見を求めた。

天の神々は太占(ふとまに)で占い、
「女から先に声をかけたのがよくなかったようだ。今からまた地上に戻って、初めからやり直しなさい。」
といった。
太占とは、鹿の骨を焼いてそのヒビの入り方で吉兆を占う占いのことだ。

天の神々のアドバイスを受けて、伊邪那岐神と伊邪那美神はもう一度おのころ島に戻った。

さっそくイザナミは右から、イザナギは左から、柱をぐるっと回り、反対側で顔を見合わせた。

そうして今度はイザナギから「ああ、あなたはなんて好い女なのでしょう!」

続けてイザナミが「ああ、貴方はなんて好い男なのでしょう!」
といった。

このようにして、お互いをほめたてるところから結婚の儀式をやり直したのだ。
そうして改めて、ふたりは寝所にこもって夫婦の契りを交わした。

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