【出雲神政国家連合】 山陰の弥生時代を塗り替えた鳥取県の歴史

『「出雲抹殺」の謎』関裕二氏

近年、考古学史上の最大級の発見が相次いだ。吉野ヶ里遺跡(佐賀県)や三内丸山遺跡(青森県)などがよく知られている。だが、日本海側の出雲では西谷古墳群についで、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡などの大発見は、古代出雲王国が実在した可能性を浴びているが、鳥取県でも二つの遺跡、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町青谷)と妻木晩田遺跡(米子市淀江町・大山町)の発見も同等かあるいはそれ以上の意味を持っている。

二つの遺跡は、これまでの古代史観を根底から覆すほどの意味を持っていた。二つの遺跡共に日本海に面し、天然の良港を持ち、朝鮮半島から出雲、そして越へという流通の要にあったこと、邪馬台国や大和建国の直前、弥生時代後期に繁栄を誇っていたことである。これらの遺跡は、弥生後期の山陰地方の交流が、「出雲」という点から、日本海づたいに「線」でつながっていたことを今に伝えている。

さらには、青谷上寺地遺跡から大量の傷ついた遺骸(殺傷人骨)が出土し、しかもこれが、『魏志』倭人伝などに記される「倭国乱」の時代にあたることがわかった。つまり、鳥取県周辺で何かしらの争乱が起きていた可能性が出てきたのである。
鳥取県は、これまで古代史の空白地帯といっても過言ではなかった。

大仙の麓に位置する妻木晩田遺跡はとにかく広大である。邪馬台国ではないかと一時騒がれた佐賀県の環濠集落・吉野ヶ里遺跡の1.3倍という日本最大の弥生集落である。標高100~150mの丘陵地帯全体に、ありとあらゆる遺跡が散らばっている。眼下には、かつて日本海から潟が入り込んだ地形が広がっていた。つまりこの地も、交易を主体とした可能性が強いのである。そして妻木晩田遺跡でも青谷上寺地遺跡同様、200点以上という大量の鉄器が発見されている。

鉄器は農具や工具が中心で、朝鮮半島や北部九州のものや、この地でつくられたものが混じっていた。これほどの鉄器を保有し生産していた地域は、この当時、北部九州を除いて考えられず、山陰地方の特殊性を明らかにする遺跡となったのである。

島根県の西谷墳墓群、そして鳥取県の両遺跡の出現は、ひとつの事実を示している。三つの遺跡が、これまで「なにもない」と信じ込まれてきた出雲やその周辺の地域から出てきたこと、そして繁栄の時期が弥生後期の「倭国乱」の時代と重なっていたことである。

大和建国の前夜、「出雲」は、たしかに「そこにあった」のであり、記紀神話を単純な絵空事と切り捨てるのではなく、その裏に、何かしらの史実が隠されていたのではないかという好奇心を、もう一度もつ必要があるということである。

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