丹後の古墳 網野銚子山古墳

【概要】

京丹後市網野町は、旧竹野郡(たかのぐん)で、日本海に注ぐ福田川と鳴き砂の浜で有名な琴引浜などの海水浴場、京都府下で一番広い湖である離湖(はなれこ)があり、古くは離湖と西の池があって福田川が流れ込んで日本海に注いでいたといわれている。

木津温泉は京都府内でももっとも古い温泉で、別名「しらさぎ温泉」とも呼ばれています。奈良時代の僧侶行基が、しらさぎが傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っています。城崎(きのさき)温泉もコウノトリが癒していたのを見て発見された伝承があります。また、日本の文献で最初に柑橘が登場する記紀では、田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされ持ち帰った非時香菓(ときじくのかぐのみ)は、その後田道間花といわれ省略されて「たちばな」となり、橘と書くようになりました。その後橘が伝来した土地として、橘を「キツ」と読み現在の「木津」になったともいわれています。

網野銚子山古墳

写真:京丹後市

日本海沿岸部では最大規模の前方後円墳 網野銚子山古墳

網野町では、網野銚子山古墳があります。日本海に注ぐ二級河川福田川の下流右岸の丘陵にも連なる台地上に築かれています。築造時期は、古墳時代前期末~中期初頭(4世紀末~5世紀初)と推定され、日本海沿岸部の前方後円墳で最大の規模を誇ります。隣りの弥栄町にも黒部銚子山古墳(全長100m) という古墳があり、これと区別するために網野銚子山古墳と呼ばれることが多いです。

この古墳は、崇神天皇の時代、四道将軍の一人としてこの地に遣わされた丹波道主命の墓ともいわれています。しかし、丹波道主命の墓は、弥栄(やさか)町の黒部銚子山古墳にも伝承が残っています。
近くには、日子坐王(ひこいますおう・水江日子坐王)、住吉大神、浦嶋子神などを祀る網野神社があります。

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