古事記によれば、「むかしむかし、出石(いずし)の里に、出石乙女(いずしおとめ)という、美しくて心のやさしい女神が住んでいました。
出石乙女は天之日樫(あめのひぼこ)の娘で、美しさも家柄も良かったので、多くの若い神々が競って結婚を申し込んだのでした。
ところで、秋山之下氷夫(あきやまのしたびおとこ)と春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)という二人の兄弟神も、この土地に若い二人の兄弟神がいました。
あるとき兄神が、弟神に向かって、
「私は出石乙女に求婚したが駄目だった。お前はどうだ?」
と、尋ねました。
「あはははっ、出石乙女といっても、ただの女です。このわたしがその気になれば、簡単なことですよ」
と、弟神が言ったので、兄神は笑いながら、
「そうか。もし成功したら、私の背と同じ高さの瓶(かめ)に一杯の酒と、山海の珍味をすべてやろう」
と、約束したのです。
弟神は、さっそくこの事を母神に話すと、母神は山から藤の葛(かずら)を取ってきました。
そしてそれで衣服を織り上げて、弟神にそれを着させると、乙女の家に行かせました。
すると不思議なことに、弟神が乙女の前に出ると着ていた衣がいっぺんに藤の花に変わり、ついに弟神は乙女の心を得ることができたのです。
やがて二人は夫婦となり、毎日幸せに暮らしていました。
ところがこれをねたんだ兄神は、約束した品物を弟神に贈らなかったのです。
さあ、この様子をすべて見ていた父神は、
「兄とはいえ、弟との約束を破るとは何ごとだ!」
と、約束を破った兄神に呪文をかけたのです。
そのため、兄神は日増しにやせ細って、病の床につくようになりました。
そしてそれから八年もの間、兄神は父神に泣いて許しをこうたのです。
そこで父神はこれを許して呪文もとかれたので、やがて兄神も元気になって、その後は平穏な日々が続きました。
今でも出石町桐野(いずしちょうきりの)には、出石乙女を祭ったといわれる御出石神社(みづしじんじゃ)が残っています。」
註…津田左右吉は、『古事記』独自説話はほとんど皇室になんらかのかたちで関係する説話であるのに、この出石乙女の話はまったく皇室とは関係ない説話として登場していることを不思議がっている。