8 第八巻・二方郡故事記 現代語

素盞鳴尊スサノオノミコトは、大山祇オオヤマツミ命の娘、神大市姫カムオオイチヒメ命を妻にし、
大年オオトシ命・蒼稲魂ウカノミタマ命をお生みになる。

大年神は、神活産霊カムイクムスビ神の娘、五十姉姫イソネヒメ命を妻にし、
(*1)大国魂オオクニタマ命・河原カワラ命・園墾ソネリ命・向日ムカヒ命・霊知ヒジリ命を生む。

また(*2)蒼稲魂命の娘、香用姫カヨヒメ命を妻にし、
大香山富オオカグヤマトミ命・御年ミトシ命を生む。

また(*3)火産霊ヒムスビ命の娘、天照瑞姫アメノミヅヒメ命を妻にし、
澳津彦オキツヒコ命・澳津姫オキツヒメ命・大山咋オオヤマクイ命・庭津日ニワツヒ命・阿須波アスハ命・波比伎ハヒキ命・香山富カグヤマトミ命・瑞山冨ハヤマトミ命・庭高津日ニワタカツヒ命・大地主オオツチ
を生む。

素盞鳴尊は、大年命・蒼稲魂命に勅して、フタアガタ(布多県)国を開かせる。(のち但馬国二方郡)
大年命は、蒼稲魂命とともに布多県国に至り、御子を督励して、田畑を開き、その地を称して、大田庭という。いま大庭オオバという。(美方郡新温泉町浜坂の岸田川西岸は旧大庭郷)

大年命は井久比宮に坐し、(今の居組、式内大歳神社:美方郡新温泉町居組字宮ノ前615)
阿須波命は葦屋宮に坐し、(今の芦屋)
澳津彦オキツヒコ命・澳津姫オキツヒメ命・火産霊ヒムスビ命は釜屋宮に坐し、(今の釜屋、村社三柱神社:美方郡新温泉町釜屋1)
庭津日ニワツヒ命は大木本宮に座す。(今の三谷。村社木本神社:美方郡新温泉町三谷59-2)

瑞山富命は、蒼稲魂命の娘、大食津姫命を娶り、
若山咋命・若年命・若草苗女命・瑞牧命・夏高津日命・秋高津日命・久々年命・久々伎・若室葛根命
を生む。
瑞山富命宇多中宮に坐し、(今の美方郡新温泉町歌長、村社歌長神社:美方郡新温泉町歌長804)
大食津姫命は御食津宮に坐し、(今の 〃 高山、村社美気津神社:美方郡新温泉町歌長(高山)2233)
若年命は波多茅原宮に坐し、(今の 〃 千原 村社若一神社:美方郡新温泉町千原字大畑790)
若山咋命は大前宮に坐し、(今の 〃 前 若一神社:美方郡新温泉町前320)
大山咋命は日枝宮に坐す。(今の美方郡香美町村岡区柤岡1 村社日枝神社
みな開国の祖神なり。
御年命は、瑞山富命の娘、若草苗女命を妻にし、久々伎若年命を生む。

第1代神武天皇5年(前656年)8月 瑞山富命の子・穂須田大彦命を布多県国造とする。穂須田大彦命は、久々年命の娘・萌生比売メバエヒメ命を妻にし、刀岐波彦命を生み、宇多中宮において国を治める。(美方郡新温泉町に歌長あり)

第3代安寧天皇10年(前539年)春3月 刀岐波彦トキワヒコ命を(2代)布多県国造とする。刀岐波彦命は刀岐波宮に坐して国を治める。(村社常磐神社:美方郡新温泉町中辻304)

第5代孝昭天皇元年(前475年)夏4月 刀岐波彦命の子・布伎穂田中フキホノタナカ命を布多県国造とする。布伎穂田中命は、黒杉大中彦命の娘・千々津比売命を娶り、糠田泥男ヌカダヒジオ命を生む。布伎穂田中命は、志波山シワヤマ宮にて国を治める。

(刀岐郷の地名に今の塩山に相当する鹽(塩)シオ山あり)(池田神社:美方郡新温泉町塩山字池田202)

第8代孝元天皇56年(前159年)春3月 布伎穂田中命の子・糠田泥男命を布多県国造とする。糠田泥男命は、磐山飯野命の娘・豊御食姫トヨミケヒメ命を娶り、宇津野真若ウツノマワカ命を生む。糠田泥男命は、泥男宮にありて国を治む。

(磐山飯野 今の美方郡新温泉町飯野。村社巖山神社:美方郡新温泉町飯野300-5)
(泥男は今の藤尾または辺地だろう。村社藤尾神社:美方郡新温泉町藤尾439-9、村社三柱神社:美方郡新温泉町辺地57)

人皇十代崇神天皇3年(前95年)秋7月 糠田泥男命の子宇津野真若命を布多県国造とする。宇津野真若命は波多大多類彦命の娘、真若毘売命を妻にし、高末真澄穂タカスエノマスホ命をを生む。

宇津野真若命は浜阪宮にて国を治める。(村社宇都野神社:美方郡新温泉町浜坂2456-4)

第11代垂仁天皇10年(前20年)春2月 宇津野真若命の子・高末真澄穂命を布多県国造とする。高末真澄穂命は、熊野狭津見クマノノサヅミ命の娘・飯依毘売イイビメ命を妻にし、弥栄滝田彦ヤサカノタキタヒコ命を生む。高末真澄穂命は、高末宮にありて国を治む。
(村社松上神社:美方郡新温泉町高末308)熊野は熊野郷熊野で現在の熊谷。国司文書別記 但馬郷名記抄』に「熊野連在住の地なり。故に味饒田ウマシニギタ命を斎き祀り、これを久麻神社と称しまつる。熊野・桧尾・伊角・香椎・金屋」(村社香椎神社:美方郡新温泉町熊谷字川竹原山665)

第12代景行天皇2年(72年)春3月 高末真澄穂命の子、弥栄滝田彦命を布多県国造とする。弥栄滝田彦命は、滝田宮にて国を治める。弥栄滝田彦命は、遷狛一奴ウカツクヌ命の娘、安来刀売ヤスギノトメ命を妻にし、美尼布ミネフ命を生む。(滝田は今の対田。『国司文書別記 但馬郷名記抄』では滝田村がある。また同記に「宇津野真若命の孫、八阪彦根命が遷狛一奴ウカツクヌ命の娘、安来刀売ヤスギノトメ命を妻にし、美尼布ミネフ命を生む。」とある。弥栄滝田彦命と八阪彦根命は同一人物と考えられる。『国司文書 但馬故事記』の場合でも、人名は所在地を姓として名があとにくるので、滝田命が名前とすれば、弥栄は滝田以前の当地の地名であったのかも知れない。(村社弥栄神社:美方郡新温泉町対田1009)

人皇13代成務天皇5年(135年)秋8月、出雲国造の同祖遷狛一奴命の孫美尼布命を二方国造とする。美尼布命は、田井宮にありて国を治む。大清富オオキヨトミ命の娘・美保津姫命を妻にし、二方開咋彦アキクイヒコ命を生む。(美方郡新温泉町に田井・清富あり)

神功皇后7年(207年)初2月 美尼布命の子、二方開咋彦命を二方国造とする。二方開咋彦命は、(天日槍5世孫 第5代)多遅摩国造天清彦の娘、須賀嘉摩比売スガノカマヒメ命を妻にし、宇多中大中彦命を生む。

二方開咋彦命は、田井宮にありて国を治む。(新温泉町田井)

人皇15代応神天皇六年(275年)春3月 二方開咋彦命の子・宇多中大中彦命(又の名は須賀大中彦命)を二方国造とする。宇多中大中彦命は、前原大珍彦命の娘・多久津毘売命を娶り、陽口開別ヤクノヒラキワケ命を生む。

人皇16代仁徳天皇十年(322年)春3月 宇多中大中彦命の子・陽口開別命を二方国造とする。陽口開別命は、井上湧津玉命の娘・井上滝流姫命を娶り、千原大若伊知命を生む。(陽口郷は、『国司文書別記 但馬郷名記抄』陽口郷に、壇岡村・切畑村・細機村・陽口村・桐岡村とあり、南から順にいうと細機村は多子、陽口村が丹土ではないかと思う。榛原公照来の頃からこの地区を照来となったのだろう。井上 新温泉町の地名にはないので井土の誤記では?)

人皇18代反正天皇三年(408年)秋7月 陽口開別命の子・千原大若伊知命を二方国造とする。千原大若伊知命は、千谷聖中津彦命の娘・千谷若子比売命を娶り、前原真若伊知命を生む。(村社若一神社:美方郡新温泉町千原字大畑790)

人皇21代雄略天皇22年(478年)夏6月 千原大若伊知命の子・前原真若伊知命を二方国造とする。前原真若伊知命は、戸田大弓臣ヘダノオオユミノオミ命の娘・清澄姫命を妻にし、伊角大若彦イスミノオオワカヒコ命を生む。(村社前原神社:美方郡新温泉町桐岡84)

人皇26代継体天皇24年(530年)秋7月 前原真若伊知命の子・伊角大若彦命を二方国造とする。伊角大若彦命は、宇多上大中彦命(又の名は須賀狭津男命)の娘・宇志賀毘売命を妻にし、檜尾真若彦ヒノキオノマワカヒコ命を生む。

第29代欽明天皇30年(568年)秋7月 伊角大若彦命の子、檜尾真若彦命を二方国造とする。檜尾真若彦命は、黒杉太立彦命の娘・黒杉太立姫命を妻にし、真弓射早彦命を生む。(黒杉は切畑に村社黒杉神社があり、切畑だろう。『国司文書別記 但馬郷名記抄』陽口郷にすで切畑村が載っているから、切畑より黒杉が呼称としては通っていたのかも知れない。)

人皇34代舒明天皇12年(640年)春3月 檜尾真若彦命の子、真弓射早彦マユミノイハヤヒコ命を二方国造とする。真弓射早彦命は、磐山野中彦命の娘・和田毘売命を妻にし、和田佐中命を生む。(真弓は陽口郷マユミ岡、今は香美町村岡区ケビ岡。「気多郡故事記」に「真弓氏は二方国真弓射早彦命の子で、真弓岡に徴し壇を作る。壇岡は多遅麻タヂマ国造の山公峯男が領行する所なり。」とあるので、気多郡の軍団はじめ、但馬の他の郡に置かれた軍団も、ここから真弓を頒布していたのかも知れない。真弓は壇とも書く。真弓(壇)で作った丸木の弓を真弓といい、用いる木によって、真弓・槻弓・梓弓・桑弓・拓弓等があった。)

人皇36代孝徳天皇2年(646)5月 二方国造真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑カッチュウおよび弓矢を広い場所に収め、兵庫ヤグラ(*4)を作り、軍団を設けさせる。

物部連武田折命の末裔、湯母竹田連面沼メヌマ大穀ダイキ(*5)とし、
天道根命の孫、彦真倭命の末裔・大家首高志を小穀(*5)とし、
二方国造・須賀大中彦命の子、須賀狭津男サヅオ命の末裔・須賀美津男・須賀須寿男スズオおよび二方国造の子、和田佐中彦を校尉(*5)とし、
前原須賀流スガル・金屋都賀男ツカオ・葦屋与志以ヨシイ・釜屋与志男・熊野賀都与カツヨ・角鹿佐波治サキジを旅師(*5)とし、
伊角力・伊角牛・伊角真・伊角了・千原広・千原武・和田佐猪知・和田鶴井・金屋由・金屋堅を隊正(*5)とする。
(註:美方郡新温泉町に竹田・釜屋・金屋・和田・伊角・千原あり。須賀は、須賀神社がある宮脇の古名、大家は大家神社がある二日市)

およそ兵士の軍行においては、
弓一張・征矢ソヤ50隻・太刀一口・一火
駄馬6頭・一隊の駄馬30頭・一旅の駄馬400頭・革鼓カクコ2面、軍穀(*5)がこれを掌り、
大角2口、校尉これを掌り、
小角4口、旅師これを掌り、
努弓イシユミ2張、隊正これを掌る。
これを当国の軍制とする。

当国の大穀・竹田連面沼は、
葦田首道雄を召して、刀剣鉾鏃ホコヤジリを鍛えさせ、
楯縫連美佐雄を召して、楯を縫わせ、
矢作ヤハギ媒鷹オタカを召して、弓矢を作らせる。
その物が完成すると兵庫に収める。これにおいて、兵主神を祀り、軍団の守護とする。これを射所兵主神社という。(竹田とその周辺に二方の軍団の兵庫と兵主神社は置かれたと考えるので、射所は現存せず、『国司文書別記 但馬郷名記抄』に井土はないので、射所が井土ではないかと思う。村社二柱神社:美方郡新温泉町井土937)
またその祖・武田折命を兵頭丘に祀り、面沼神社と称えまつる。(式内面沼神社:美方郡新温泉町竹田1)
小穀・大家首高志は、その祖・天道根命の孫・彦真倭命を大庭丘に祀り、大家神社と申しまつる。(式内大家神社:美方郡新温泉町二日市字谷垣558-1)
校尉・須賀美津男は、その祖・須賀狭津男命を波多丘に祀り、須賀神社と申しまつる。(式内須賀神社:美方郡新温泉町宮脇193)

時は大化3年(647年)秋7月である。

これにならい、葦田首道雄は、その祖・天目一箇アメノマヒトツ命を細田丘に祀り、葦田神社と称えまつる。(八十矛神社:美方郡新温泉町細田)

楯縫連美佐雄はその祖彦狭知ヒコサシリ命を楯谷丘に祀り、楯縫神社と称えまつる。
矢作連媒鷹はその祖経津主命を矢作丘に祀り矢作神社と申しまつる。

第40代天武天皇白凰12年(683年)閏4月 文武官に軍事を教習させ、兵馬器械を具え、馬を持っている者は騎兵とし、馬無き者を歩卒とし、適時検閲する。牧場場を当国の刀伎波トキハ村に設け、刀伎波兵主神を祀り、兵馬の生育を祈らせる。
村社常磐ときわ神社 美方郡新温泉町中辻304)

第42代文武天皇庚子4年(700年)春3月 二方国を廃し、但馬国に合わせ、二方郡とする。

従七位上・榛原ハイバラ公照来(*6)を二方郡司と為し、郡衙グンガを端山郷に置く。
大宝元年秋9月 榛原公照来は、その祖大山守命を春木山に祀り、春来神社と申しまつる。(春来神社・式内春木神社:美方郡新温泉町春来827)

人皇45代聖武天皇の天平19年(747)冬9月、二方軍団を廃し、健児所コンデイと為す。健児所を二方郷に遷し、健児五人を置き、兵庫および鈴蔵を守らしめ、二方オビト大井麿を以って健児判官と為す。
二方首大井麿は兵主神社を兵庫丘に祀る。兵主神社これなり。(村社兵主神社:美方郡新温泉町田井448)

人皇四十六代孝謙天皇天平勝宝五年秋七月、従六位下・榛原公照来の子・従七位下・榛原公長麿をもって、二方大領(*7)に任ず。

人皇47代淡路廃帝(淳仁ジュンニン天皇)天平宝宇3年秋7月 無位大庭戸田麿を以て主帳に任じ、大初位下(*8)を授く。
大庭戸田麿は、その祖、天津麻良命を戸田丘に祀り、大庭神社と申しまつる。(村社戸田神社:美方郡新温泉町戸田ヘダ571-1)

人皇48代称徳天皇の神護景雲二年(768)夏六月、主帳大初位下・大庭造戸田麿を以て主政に任じ、十八位下を授く。凡海連オオシアマノムラジ美寿雄を以て主政に任じ、大初位下を授く。凡海連美寿雄は、その祖穂高高見命を小島丘に祀り、小島神社と申し祀る。(村社児嶋神社:美方郡新温泉町海上ウミガミ807)

第50代平城天皇大同3年(808年)秋8月 垂水公澄雄を以て主政に任じ、大初位下を授く。
垂水公澄雄はその祖、阿利真命を鐘尾山に祀り、多類神社と申しまつる。(多類神社:美方郡新温泉町鐘尾字岡411)

人皇52代嵯峨天皇弘仁元年(810年)夏5月 大いに軍事を奨め、健児を増す。これにおいてか、また兵主神を祀り、これを指杭兵主神社と云う。(村社指杭兵主神社:美方郡新温泉町指杭338)

人皇56代清和天皇の貞観6年(864年)正月 垂水公音麿を以て主政に任じ、大初位上を授け、葦屋村主スグリ真幸を以て主帳に任じ、大初位上を授く。葦屋村主真幸はその祖阿須伎命を葦屋丘に祀る。(芦屋には恵比須神社がある:美方郡新温泉町芦屋)

人皇59代宇多天皇寛平7年(895年)夏6月 従七位上、岸田臣春鷹の子、正八位下、岸田臣田公を二方大領に任ずる。

第60代醍醐天皇の延喜29年(920年)夏6月 今木連幸人を主政に任じ、大初位下を授く。内臣道麿を主帳に任じ、少初位上を授く。

今木連幸人はその祖、太忍信命を浜崎に祀り、内臣神社と申しまつる。(今木は今岡の古名。村社熊野神社(内臣神社):美方郡新温泉町今岡23、村社五十鈴神社(古くは与等神社):美方郡新温泉町用土2)

第62代村上天皇天暦2年(948年)春正月 正八位上、岸田臣田公の子、公助を以て、二方大領に任じ、今木連幸人・内臣道麿等に神社神名帳を作らせ、郷社に納む。(村社若一神社:美方郡新温泉町岸田字上田中1784)

右 国司の解状に依り、これを(国府に)注進する。
応和2年(962年)3月7日
二方大領・正八位上 岸田臣公助


[註]

*1 大国魂命以下五柱 記に「神活須毘神(かむいくすび)の娘伊怒比売、との間の子、大国御魂神・韓神・曾富理神・白日神・聖神(五柱)」とあり、それぞれ大国魂命・河原命・園墾命・向日命・霊知命に当たる。
*2 蒼稲魂命の娘、香用姫カヨヒメ命 記では、香用姫カヨヒメ命の親を伝えていないが、本記では蒼稲魂命の娘と明記する。
*3 火産霊ヒムスビ命の娘、天照瑞姫アメノミヅヒメ命 記では、天照瑞姫アメノミヅヒメ命を天知迦流美豆比売アメノチカルミヅヒメとし、親を伝えていないが、本記では火産霊命の娘と明記する。
*4  兵庫(やぐら) 櫓(やぐら)とは日本の古代よりの構造物・建造物、または構造などの呼称。矢倉、矢蔵、兵庫などの字も当てられる。 木材などを高く積み上げた仮設や常設の建築物や構造物。
*5 大穀(だいき)・他
軍団の指揮に当たるのは軍毅であり、大毅(だいき)、小毅(しょうき)、主帳(さかん)がおかれ、その下に校尉(こうい)・旅帥(ろそち)・隊正(たいしょう)らが兵士を統率した。
軍団の規模は
千人の軍団(大団)は、大毅1名と少毅2名が率いた。
六百人以上の軍団(中団)は、大毅1名と少毅1名が率いた。
五百人以下の軍団(小団)は、毅1名が率いた。
*6 榛原公照来 『国司文書・但馬故事記』第一巻・気多郡故事記に、「第40代天武天皇13年 応神天皇の皇子、大山守命の裔、榛原公我麿を以って但馬国司と為す」とあり、その後裔であろう。
*7 郡司 大領・少領・主政・主帳 大宝令により、評が廃止されて郡が置かれ、郡司として大領・少領・主政・主帳の四等官に整備される。郡司は、旧国造などの地方豪族が世襲的に任命され、任期のない終身官。郡司として記す場合は大領または少領のことである。
*8 大初位(だいしょい、だいそい) 律令制の官職の位階における位の一つ。正一位から少初位下までの従八位(または従九位)の下、少初位の上の位階である。

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