7 第七巻・七美郡故事記 現代語

スサノオ(素盞嗚尊)は、オオヤマツミ(大山祇命)の娘、カムオオイチ(神大市姫命)を妻にし、
オオトシ(大年神)・ウカノミタマ(蒼稲魂神)をお生みになられる。
スサノオはオオトシに命じて、二方の地を開かせ、蒼稲魂神に命じて、牛知ウシロの地を開かせる。(牛知ウシロはいま小代オジロ

ツヌゴリタマ(角凝魂神)の娘、カムミズヒメ(神水姫命)を妻にし、ウシロミタマ(牛知御魂神)を生む。蒼稲魂神ウカノミタマは、牛知御魂神ウシロミタマに命じて久麻牛を秋の茅が広がる野に放ち、ミズヤマトミ(瑞山冨神)の子、ミズマキ(瑞牧神)に牧畜させる。

時にタカミムスビ(高皇産霊神)の子、角凝魂神ツヌゴリタマのその子イサフタマ(伊佐布魂命)は天より降りて、高井津原にて倭幡シヅハタを造る。それでその地を倭文シヅリという。(いま味取ミドリという)
またその地方を伊佐布御原という。いま伊曾布県イソフアガタというはこれである。
伊佐布魂神は倭文シヅリ宮に坐し、牛知御魂神は牛知宮に座す。
式内伊曾布神社:美方郡香美町村岡区味取字神町880-2)
式内小代神社:美方郡香美町小代区秋岡995)

時に鳴尾魔志牢ナルオノマシラ(*1)があちこちに出没し、人びとに害を及ぼす。伊佐布魂神・牛知御魂神は、これを出雲国のオオナムチ(大己貴命)に申し上げる。

(鳴尾は今の奈良尾。明治22年まで七美郡奈良尾村、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)

大己貴命は八千矛神ヤチホコカミとなって比々良伎ヒヒラキ御鉾ミホコによって征伐する。その地を鳴尾の多波礼坂と云う。ゆえにその地に八千矛神を祀る。いわゆる荒御魂神アラミタマカミはこれである。(荒魂神社:養父市奈良尾38-1)
また鳴尾魔志牢が駆け出す地を称して駆場という。いま駆原場というのはこれである。(現在の養父市川原場)
後世この地方にて怪異なことがあれば、荒御魂神を勧請するのはこれによる。
(荒霊神社:養父市川原場206、荒霊神社:養父市外野334)

第1代神武天皇3年(前658年)5月 大年神の子、香山富命を伊曾布県主とする。香山富命は、牛知御魂神の娘、実山姫命を妻にし、長須毘古命を生む。(一に事知主命)

41年夏6月 香山富命の子、香山主命を伊曾布県主とする。(香山は耀カガ山があるのでその古名か)
第2代綏靖スイゼイ天皇十◻年 香山主命の子、大香山命を伊曾布県主とする。(順序がおかしいがそのまま記す)
第2代綏靖天皇7年(前575年)春3月 香山富命の子、長須毘古命を伊曾布県主とする。
長須毘古命は、長井田中命の娘、長井姫を妻にし、勢主山セスヤマ彦命を生む。

第4代懿徳イトク天皇3年(前508年)秋7月 長須毘古命の子、勢主山彦命を伊曾布県主とする。(勢主山は不明。山のつく区名は作山・萩山)
勢主山彦命は、熊波彦命の娘、大熊姫命を妻にし、真流美マルミ若命を生む。

第5代孝昭天皇42年(前434年)3月 勢主山彦命の子、真流美若命を伊曾布県主とする。(真流美は今の丸味)
真流美若命は、大沼毘古命の娘、与多支比売命ヨサキヒメを妻にし、射弖良イテラ大彦命を生む。

第6代孝安天皇40年(前353年)6月 真流美若命の子、射弖良大彦命を伊曾布県主とする。(射弖良イテラとはどこだろう。村岡区でイのつく区名は板仕野イタシノ池ケ平イケガナル市原イチバラ
射弖良大彦命は、久須彦命の娘、久須美毘売命を妻にし、意富努賀刀米命オオノカトメを生む。

第7代孝霊天皇30年(前261年)6月 射弖良大彦命の子、意富努賀刀米命を伊曾布県主とする。(大沼・意富努は大野の異体字)
意富努賀刀米命は、布久邇志フクニシ比古命の娘、布久邇志比売命を妻にし、弖良賀和比遅テラガワノヒジ命を生む。(布久邇志比は、弖良賀和は香美町村岡区寺河内テラガワウチと思われる)

第8代孝元天皇35年(前180年)4月 意富努賀刀米命はの子、弖良賀和比遅命を伊曾布県主とする。
弖良賀和比遅命は、志賀田シカタ毘古命の娘、神坂カンザカ比売命を妻にし、黒田大彦命を生む。(志賀田は今の鹿田)

第9代開化天皇40年(前118年)6月 弖良賀和比遅命の子、黒田大彦命を伊曾布県主とする。
黒田大彦命は、森狭田津命の娘、八井富姫命を妻にし、丹戸タンド真若命を生む。

(森狭田は今の森脇、八井は八井谷、丹戸は明治22年まで七美郡丹戸村、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)

第11代垂仁天皇5年(前25年)7月 黒田大彦命の子、丹戸真若命を伊曾布県主とする。
丹戸真若命は、大雲刀美命の娘、佐々津姫命を妻にし、奈志賀波良ナシガワラ命を生む。

第12代景行天皇3年(73年)3月 丹戸真若命の子、奈志賀波良命を伊曾布県主とする。
奈志賀波良命は、草比遅毘古命の娘、大草毘売命を妻にし、布久佐毘古命を生む。

(奈志賀波良は今の養父市梨ケ原、草比遅は養父市草出、布久佐は養父市福定か?明治22年まで七美郡、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)

第13代成務セイム天皇5年(135年)9月 奈志賀波良命の子、布久佐毘古命を伊曾布県主とする。
布久佐毘古命は、二方滝田彦命の娘、滝中毘売命を妻にし、若須彦命を生む。

神功皇后32年(232年)7月 崇神天皇の皇子、豊城入彦命トヨキイリヒコの6世孫、タダビコ(多他毘古命)を伊曾布県主とする。
多他毘古命は、気多県主、多他別命の御子である。多他毘古命は、黄沼前県主、賀津日方建田脊命の娘、大山毘売命を妻にし、志都美シツミ毘古命を生む。

第16代仁徳天皇10年(322年)7月 多遅麻国伊曾布県を改め、志都美郡とし、多他毘古命の子、志都美毘古命を志都美郡司(*2)とする。
志都美毘古命は、府(郡家)を板石野原に置く。志都美毘古命は、美含郡司竹野別河原命の娘、花香姫命を妻にし、志都美若彦命を生む。

15年4月 志都美毘古命は、多他毘古命を小代の丘に祀り、多他神社と申しまつる。(式内多他神社:美方郡香美町小代区忠宮136)

第18代反正天皇2年(407年)正月 志都美毘古命の子、志都美稚彦命を志都美郡司とする。
志都美稚彦命は志都美毘古命を板石野原に祀る。(村社郡主神社:美方郡香美町村岡区板仕野1)
志都美稚彦命は、二方国造 陽口開別命の娘、乳原毘売命を妻にし、神阪中津彦命を生む。

第20代安康天皇2年(455年)6月 志都美稚彦命の子、神阪中津彦命を志都美郡司とする。
神阪中津彦命は、志都美稚彦命を萩山に祀る。(村社天満神社:美方郡香美町村岡区神坂248)

第25代武烈天皇4年(502年)夏6月 孝霊天皇の皇子、彦狭島命の末裔、宇自可臣幸世を七美郡司とする。
幸世は宇自可郷を開く。いま兎塚ウヅカ郷というのはこれである。

(現在の美方郡香美町村岡区福岡地区。以降兎塚・兎束とあるが同じ。原文を尊重するのでそのままとする。)

第30代敏達天皇3年(574年)秋7月 宇自可臣幸世の子孫、狭立を七美郡司とする。
狭立はその祖、彦狭島命を兎束の丘に祀り、高阪神社と申しまつる。(式内高阪神社:美方郡香美町村岡区高坂165-1)

第37代孝徳天皇の大化3年(647年)秋7月 孝昭天皇の皇子、天帯彦国押人命の末裔、小黒冠岡首黒野麿を七美郡司とする。(岡とはのちの村岡)
岡首黒野麿はその祖、天帯彦国押人命を七美村に祀り、黒野神社と称えまつる。(黒野神社 式内志都美神社2座:香美町村岡区村岡字宮ノ脇723)

第40代天武天皇の白凰12年(683年)夏5月 七美郡司黒野麿は、勅を受け、兵馬器械を備え、武事を講習する。兵庫(*3)を小代村に設け、兵器を納める。

葦田首刀伎雄を召し、刀剣鉾鏃を作らせ、
楯縫連楯彦を召し、楯・甲冑を縫わせ、
矢作連速鷹を召し、弓矢を作らせる。

黒野麿は、兵主神を兵庫に祀り、兵庫の守護神とする。
葦田首刀伎雄はその祖、天目一箇命を鍛冶の丘に祀り、葦田神社と申しまつる。
楯縫連楯彦はその祖、彦狭知命を楯縫の丘に祀り、楯縫神社と申しまつる。
矢作連速鷹はその祖、経津主命を矢作の丘に祀り、矢作神社と申しまつる。

第41代持統天皇5年夏6月 岡首黒野麿の子、広進四・岡首用野麿を七美郡司とする。

第42代文武天皇の大宝2年(702年)春3月 鹿田首道麿を主政に任じ、高家首菟道麿を主帳に任じ、共に大初位上(*4)を授かる。

郡司岡首用野麿を大領に任じ、従八位上を授く。
鹿田首道麿はその祖、雷大臣命を鹿田の丘に祀り、鹿田神社と申しまつる。(村社二柱神社:美方郡香美町村岡区村岡63-2鹿田区)
高家首菟道麿はその祖、天道根命を高井の丘に祀り、高井神社と申しまつる。(村社高井神社:美方郡香美町村岡区高井185)

第47代淡路廃帝(淳仁天皇)天平宝宇4年(760年)冬10月 従八位上・岡首用野麿の子、広野麿を大領に任じ、従八位下を授く。
熊野連吉射を主政に任じ、大初位上を授け、
耀山首丹磯城を主帳に任じ、少初位上を授く。

熊野連吉射はその祖、味饒田命ウマシニギタを平野の丘に祀り、久麻神社と称えまつる。(村社熊野神社:美方郡香美町小代区平野17)
耀山首丹磯城はその祖、素盞嗚命スサノオを耀山に祀り、耀山カガヤマ神社と申しまつる。(村社八坂神社:美方郡香美町村岡区耀山かかやま263-2)

第53代淳和天皇の天長4年(827年)冬12月 正八位下・豊日連伊知井を大領に任ずる。(豊日は今の市原)
豊日連伊知井はその祖、物部連豊日命を市原の丘に祀り、等余神社と称えまつる。(式内等余神社:美方郡香美町村岡区市原字豊田497-2)

天長5年(828年)夏5月 江首琢麿を主政に任じ、大初位上を授く。
山代直都自麿を主帳に任じ、少初位上を授く。
江首琢麿はその祖、久米津彦命を入江の丘に祀り、江神社と申しまつる。(江は今の入江。村社入江神社:美方郡香美町村岡区入江1669-2)
山代直都自麿はその祖、天御影命を兎束の丘に祀り、天御影神社と申しまつる。(村社八幡神社:香美町村岡区福岡216-1)

第59代宇多天皇の寛平2年(890年)夏5月 伊知井の子、正八位上・豊日連高井を大領に任ずる。
兎束臣義麿を主政に任じ、従八位下を授け、長巣(今の長須)村主(*5)正恵を主帳に任じ、大初位下を授く。
長巣村主正恵はその祖、天事代主命を長巣の丘に祀る。(村社長須神社:美方郡香美町村岡区長須340-2)

第61代朱雀天皇の承平5年(935年)秋7月 義麿の子、従八位上・兎束臣百足を大領に任ずる。
江首長麿を主政に任じ、大初位上を授け、豊日連長井を主帳に任じ、少初位上を授く。
兎束臣百足は、江首長麿・豊日連長井に命じ、神社神名帳を作らせ、郷社に納める。

(式内社8社・式外社11社 記載は省く)

右 国司の解状により、これを(但馬国府の国学寮へ)注進する。
七美大領・従八位上 兎束臣百足
天徳3年(959年)8月15日


[註]

*1 鳴尾魔志牢ナルオノマシラ

『国司文書別記 但馬郷名記抄』によると、七美郡駅家郷鳴尾村
鳴尾真志良潜居の地なり。八千矛神はこれを駆り出し、真志良は草に隠ったので、その地を「隠原」という。この隠原に火を放ち、これを焼いた。その地を「火出野」という(いま外野あり)。真志良は火を恐れて、森林より出てきたので「草出」という。八千矛神は真志良を征伐した。その地を鳴尾の多波礼山という。
後世当地方で怪異あれば、すなわち荒御魂神を勧請するはこの因に依る。

おそらく野生ザルか獣だろう。鉢伏山西麓の香美町小代区サネ山・水間・石寺・廣井にも荒御霊神社・荒魂神社がある。鉢伏山一帯には野生ザルあるいは熊・イノシシ・鹿が生息しており、田畑の作物や民が害を被っていただろうことは、但馬中の地域で現在でも同じである。

*2 郡司、大領・少領・主政・主帳 大宝令により、評が廃止されて郡が置かれ、郡司として大領・少領・主政・主帳の四等官に整備される。郡司は、旧国造などの地方豪族が世襲的に任命され、任期のない終身官。郡司として記す場合は大領または少領のことである。
*3  兵庫(やぐら) 櫓(やぐら)とは日本の古代よりの構造物・建造物、または構造などの呼称。矢倉、矢蔵、兵庫などの字も当てられる。 木材などを高く積み上げた仮設や常設の建築物や構造物。
*4 大初位(だいしょい、だいそい) 律令制の官職の位階における位の一つ。正一位から少初位下までの従八位(または従九位)の下、少初位の上の位階である。
*5 村主(スグリ) 帰化人で、中国大陸および三韓に出自を持つ渡来人系氏族の姓(かばね)の一つ。古代朝鮮語の郷,村を意味するsu‐kur(足流)という語に由来する。


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