歴史の両側(1) 東條英樹とルーズベルト

日本文かチャンネル桜 桜塾講座-世界偉人伝「東條英樹とルーズベルト(前編)」
講師:渡部昇一(上智大学名誉教授)7.29 水曜日 22:00-23:00

渡部先生の話は、穏やかな口調の中に芯の通った美しい日本の歴史や価値観が聴けて尊敬する先生の一人です。
世界偉人伝は平成16年の再放送ですが、当時はチャンネル桜を観ていなかったので初めてです。
昨夜は、「東條英樹とルーズベルト」でした。

東條英樹といえば東京裁判でA級戦犯とされて死刑になった悪者のように伝えられています。
しかし、ヒトラーやムッソリーニと同様に独裁者と思われていますが、実際は戦後、アメリカの戦勝国によって犯罪者という汚名を着せられてしまったという一方的な事実が知られています。

そのいきさつが話の中でくわしく分かりました。
・すでに近衛首相のときに、アメリカは国内の不況で日本製品に3倍近い関税を課せて、日本製品の輸入を阻んだが、コストを下げて必死にがんばっていたが、ABCD包囲網が敷かれ、米、英、フランス、オランダから石油などの資源の輸入が止まってしまっていたこと。三国同盟を結んだのは近衛首相だったこと。国交や経済封鎖され石油や資源も乏しい中で戦争に踏み切らなくを得なかった。当時の帝国主義は白人主義で黄色人種差別はすごかったのだ。
・近衛首相のあと東條英樹陸相が首相になったときにはアメリカと戦争状態に入っていたこと。東条は凄く真面目な軍人で、絶えず戦争には反対しており、部下思いで平和主義者であったこと。
・御前会議で戦争布告を近衛内閣で決定した後、首相になって再度御前会議を開き天皇の戦争回避を確かめてもう一度アメリカと交渉を行ったこと。
・大東亜共栄会議は東條の構想で、地球初の国際会議となり、独立国タイをはじめ、満州国、清朝、フィリピン、インド、インドネシアの植民地の独立を世界で最初に援助したのは日本であり、それがアジア開放だった。欧米植民地であったトルコやアフリカの独立運動のさきがけとなった。王兆名政権は日本の働きで中国の近代国家化をめざしていたが、欧米、ソ連の武器援助を受けた共産党の毛沢東、蒋介石南京政府は抵抗し、日本が敗戦し、王兆名が処刑されてソ連が支援する毛沢東とアメリカが支援する蒋介石の内戦の末、現在の中共と中華民国(台湾)となった。そのことをタイの王は本に書いている。
敗戦国日本が世界に向けて言っても聴いてくれないし言わないが、何百年も植民地とされてきたアジア諸国は日本がアジアの独立に貢献したことに感謝し世界にもっとアピールしてくれればあと100年もすれば評価が変わるかも知れない。
ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、スターリンなどは絶対権が行使できたが、戦前の日本の内閣は首相が各大臣を罷免する機能がなく、首相が独断で軍や内閣を動かせなかったこと、海軍は陸軍よりも権威があり、東條のことを聞かなかった。
そのようなことを聴くと、国際法上無効な東京裁判で、A級戦犯として不名誉な死刑に処せられた方々に対する事実をせめて日本人なら改めてもっと知っておくべきであると思いました。

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