はじめに
日本列島を北を上にした現在の地図で見ると、大陸から太平洋に離れた小さい島国にみえる。
(大陸からみた日本列島)
ところが、ひっくり返してみると視点が大きく変わってくる。中国や朝鮮半島、シベリアのカムチャッカ半島以南から続く千島列島や樺太(ロシア名サハリン)から、北海道・本州・四国・九州、そして台湾までのトカラ列島まで、長い日本列島は太平洋に鍋の蓋のように見える。小さい島国どころか、北海道・本州・四国・九州だけみても、ヨーロッパで比較するとでデンマークからイタリア半島までにほぼ匹敵するほど細長く、国土面積でもイギリスやドイツ、イタリアより大きく決して小国ではない。西ヨーロッパの先進諸国を大国とすれば日本も物理的大きさでも大国の中に入るのである。日本は思っている以上に「大きい」のである。
小さな島国だとそう思い込んでいる人が多い。原因は学校で教えられる「日本は小さな東洋の島国」だと習い、地図帳に採用されているメルカトル図法にある。地球は丸いので世界地図を平面的に表現するのがむずかしい。そこで採用されているのがメルカトル図法。メルカトル図法の大きな特徴は角度が正しい、すなわち十分狭い範囲だけを見ると形が正しい事である。しかし、緯度によって縮尺が変化し、赤道から高緯度に向かうにつれ距離や面積が拡大されることになる。北極圏に近いグリーンランドやシベリアや南極大陸が実際より17倍も拡大されている。カナダやアメリカ合衆国も実際よりも大きく描かれているのだ。
逆さ地図を見ると、九州北部から出雲・但馬・丹後・若狭(合わせて古代丹波)から北陸、越、津軽半島・北海道、樺太までの日本海沿岸が大陸との表玄関であり、平成10年舞鶴市浦入遺跡群から約5300前の丸木舟を発掘されたことや平成13年の指定で豊岡市出石町袴狭(はかざ)で見つかった船団やサメ・サケ・飛びはねるカツオの群れ、動物を描いた線刻画の木片から、古代丹後・但馬と大陸は強大な船団で往来していたことが分かったのである。大きなロマンが浮かび上がってきた。古代丹波こそ、大陸とヤマト(大和)を結ぶ国際ターミナルだったのである。
たとえば、『国司文書・但馬故事記』は『校補但馬考』桜井勉氏は偽書と決めつけている。多くの研究者にはそうではないとする人もいるのである。むしろ『校補但馬考』にも、ところどころ間違っている私見が含まれているが、明治のまだ十分な史料・発見も乏しい時代、氏が但馬史を調べあげた苦労は偉業である。しかし、大学で教えている考古学者や歴史家は、そうした過去の大先生がいっているのだからと、古い解釈をそのまま教えることが正しいと思うのか迷惑この上ない。ネットや凝り固まった歴史認識ではない自由な研究家により「本当にそうなんだろうか」と自ら調べてみることができる時代になってきた。どこかの大新聞が長い間、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」など捏造記事をくりかえし書いていても、大クオリティペーパーだと信じ込んでいる時代が続いている。真面目で秀才な人ほど、学校で習うことに嘘はないと疑うことをせず、NHKは嘘は言わないと信じ込んでいるのと同じではないか?
歴史は古いままのものでも、暗記することではない。新しい事実を知り、現在に生かすのは楽しいことなのだ。温故知新、不易流行。歴史も過去にはそう思われていた説が、新しい発見、技術など進歩していくものなのである。したがって、『但馬史のパラドックス(逆説) 但馬国誕生ものがたり』とした。自分もこれまでの史料・文献は大いに活かし、おかしなことは最新の歴史の発見・研究を知り、間違っていたことはたえず修正しています。
INDEX
第一章 但馬人はどこから来たのか
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第ニ章 天火明命と但馬の始まり
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第三章 彦座王と大丹波平定
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