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弥生時代のくらし
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3.「ハレとケ」 |
「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつです。民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表しています。また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)といいます。 ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別しました。ところで、葬式をハレとするか、ケガレとするかということがあります。一般通念では葬式は不幸ごとであり、結婚式などのお祝いごとと区別したくなるところですが、桜井氏をはじめとする民俗学者の多くは、葬式に赤飯を炊いていたと思われる民俗事例や晴れ着を着て喪に服した民俗事例などを念頭に、「非日常」という点で葬式もハレだとしています。しかしながら、いずれの立場も理論が十分でなく、なぜ葬式がケガレであるのかについて説明しきれていません。 日本において葬祭として葬儀と祭事を分けてきましたが、元々の漢字の意味として「祭」は葬儀を表す文字であることから、日本古来の清めと穢(ケガ)れの価値観の上に中華文明の風俗習慣が入って来たことによって明確な区別が無くなったとの説もあります。 日本神道では、塩が穢れを祓い清める力を持つとみなします。そのため祭壇に塩を供えたり、神道行事で使う風習があります。また、日本においては死を穢れの一種とみなす土着信仰(神道に根源があるという)があるため葬儀後、塩を使って身を清める風習があります。これは仏教式の葬儀でも広く行われますが、仏教での死は穢れではないとして葬儀後の清めの塩を使わない仏教宗派もあるそうです。 日本の酒についての記事が文献上に初めて登場するのは「魏志倭人伝」(弥生後期、三世紀前半)です。当時の倭国(日本)について、 「人が亡くなると十余日喪に服し、その間肉類は禁じ、喪主は号泣し、他人は歌舞飲酒ス。…その会は父子男女別なく同座し、人酒を嗜む」 と書いてありあります。これが米から造られた日本酒の最古の記録です。元々漢字の意味として「祭」は葬儀を表す文字であることから、日本古来の清めと穢(ケガ)れの価値観の上に中華文明の風俗習慣が入って来たことのもこの頃からではないでしょうか。紹興酒の故郷は中国江南です。 いずれにせよ、今も約二千年前の昔も日本のお葬式の風習は大差ないですね。それだけ延々脈々と受け継がれてきた日本人の文化は古くから確立していたようです 参考資料:「日本の酒の歴史」-加藤辨三郎(べんざぶろう) 研成社 「考古学と歴史」放送大学客員教授・奈良大学教授 白石太一郎 「東アジアのなかの日本文化」放送大学客員教授・東京大学院教授 村井 章介 「古代日本の歴史」「日本の古代」放送大学客員教授・東京大学院教授 佐藤 信 ▲ページTOPへ |