今ようやく本当の近現代史がうまれつつある 学校で教えてくれなかった近現代(53)

自虐史観と自由主義史観

自虐史観(じぎゃくしかん)とは、第二次世界大戦後の日本の歴史学界において主流であった歴史観を「自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価する歴史観」であるとの評価を持たせて表現する場合に用いられる呼称である。これに対して、自由主義史観は、藤岡信勝・東大教授(当時)の唱えた歴史検証法。歴史を動かす要因として「人物」を重視し、「『偉大な人物』が歴史を切り開く」との歴史観に立っている。

第二次世界大戦敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による統制の下で、歴史学界や教育界(学校教育の現場、日本教職員組合(日教組)に入っている教師ほか)などでは「なぜ敗戦に至ったのか」という視点から過去への反省がなされ、戦前の日本国民の価値観は徹底的に覆される事になった。

アメリカに比べて日本の近代化の遅れ、民主主義の未成熟などが問題とされることが多かった。また、皇国史観が歴史学研究に影響を及ぼし、その発展が阻害されたという反省からマルクス主義の影響を強く受けた歴史研究が主流となった。 しかしその反動が行き過ぎたため、日本の伝統・文化などの世界に誇るべき歴史の再評価の気運が生じ、「新しい歴史教科書をつくる会」などの運動が活発となった。

ところが、『産経新聞』紙上で連載された「教科書が教えない歴史」の反響から執筆者達によって作られた新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)は、戦後民主主義教育について、近代の戦争と植民地支配への反省を過度に強調する歴史教科書は歴史認識を誤認させ、敗戦を節目として神話時代から続いている日本の誇るべき歴史を貶める歴史認識を「自虐史観」(東京裁判史観)または「暗黒史観」であるとして、つくる会による『新しい歴史教科書』が作られた。2001年に文部科学省の教科用図書検定に合格し、2002年から一部の中学校などで使用されている。これは戦時体制下で過度に利用されたが、皇国史観それ自体は極度に否定されるものではなく、長い日本の歴史の歩みの中で国民に継承されてきた伝統、文化的な価値観として肯定的に評価するものである。

「つくる会」は、「自虐史観」は、「戦後の歴史教育は日本の歴史の負の面ばかりを強調し過ぎ、あまりにも偏った歴史観を自国民に植え付ける結果となった。」と主張する。「自虐史観教育を受けた結果、自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」、「日本は反省と謝罪を」という意識を植え付けられ、「いわゆる戦後民主主義教育によって誤った歴史観(自虐史観)が蔓延した」として、「暗黒史観」「土下座教育」の改善を主張している。

外国の文化を学びつつ独自性を維持してきた日本

日本人は、外国の進んだ文化を理解するために、あらゆる努力を惜しまずやってきた民族でした。
古くは遣隋使や遣唐使が、木の船で荒波を越える危険をおかして、留学生は中(株)グローバル奥で長い期間を学習しに費やしました。帰国できないで死亡する者、やっと帰路に就いた途中で嵐にあって遭難してしまう者も少なくありませんでした。
明治になると、留学生たちは、西洋文明を学ぶ使命を帯びてヨーロッパやアメリカに渡りました。当時はまだ飛行機がなかったので、ときには1か月以上もかけて船で渡ったのです。
このように、日本人は外国から深く学ぼうとしましたが、それによって自国の文化的な独自性を失うことはありませんでした。それは各時代の文化を見ればよくわかります。飛鳥文化から江戸の文化にいたるまで何れをとっても日本らしいユニークな個性を備えつつ、しかも世界に通用する普遍的な魅力を持っているからです。

方向性が見えない二つの理由

ところが、ここ半世紀は、必ずしもそうとはいえない時代になってきました。それはなぜでしょうか。
日本人が外国の文明に追いつけ、追い越せとがんばっているときには、目標がはっきりしていて、不安がありませんでした。ところが今や、欧米諸国に追いつくという近代日本がかかげた目標を達成し、日本はどの国も目標にはできない立場に置かれるようになってきました。これが、日本人が方向性を見失いつつある一つの理由です。
しかし、もう一つの重要な理由が別にあります。

日本は長い歴史を通じて、外国の軍隊に国土を荒らされたことがない国でした。ところが、大東亜戦争で敗北して以来、この点が変わりました。
全土で約50万人もの市民の命をうばう無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされました。その後の占領によって、国の制度は大幅に変更させれました。戦後、日本人は、努力して経済復興を成し遂げ、世界有数の経済大国の地位を築きましたが、いまだにどこか自信を持てないでいます。戦争に敗北した傷跡がまだ癒えません。

自国の歴史と伝統を学ぶ意味

日本人が、これからもなお、外国から謙虚に学ぶことは大切です。しかし、深い考えもなしに外国を基準にしたり、モデルに見立てたりすることで独立心を失った頼りない国民になる恐れが出てきたことは、警戒しなくてはなりません。
何よりも大切なことは、自分をしっかりと持つことです。自分をしっかり持たないと、外国の歴史を学ぶことも、実はできません。そのために、さらに深く自国の歴史と伝統を学んでほしい。

『新しい歴史教科書』

戦勝国は不利な公文書を秘匿する

良く近代史の書き換えということが言われますが、そもそも、まだ本当の意味で「書かれた歴史」というものはないのです。従って「書き換え」ということもあり得ないわけです。少なくとも、二十世紀の戦争や第二次大戦をめぐる歴史は、本当は今ようやく書かれ始めている時期を迎えているのです。

歴史は資料によって書かれるものです。「近現代史」といわれるものについては、その重要な資料は各国の政府が作成した公文書ということになります。しかしどの交戦国の政府も、戦争ではみな当事者ですから、自国に不利になるような文書の公開は可能な限り先に延ばそうとします。先の戦間期のフランスや日本、ドイツのように外国部隊に占領され押収(焚書)されない限り、容易には自国の国益に大きなマイナスとなる資料の公開はしないものなのです。

戦勝国というのは、自国に有利な戦後の国際秩序(その中には当然、歴史観も含まれる)を、どれほど必死になって守ろうとするのか、そのためには、いかに手の込んだ工作やトリックを使うものであるか、ということが如実にわかるのです。

今ようやく本当の近現代史がうまれつつある

国際政治学、国際関係史、文明史の中西輝政氏はこのように書いています。
かつて留学した西欧の大学で、指導教官から「現代史というような学問は本当はないのですよ。最低50~60年経たないと大切な資料は出てこないからです。つまりそれは、本当の歴史ではないのです。」と言われたことがあると。とくに、このことは二十世紀の世界大戦や冷戦といった世界史的な出来事についてあてはまると思います。

引用:『日本人の歴史委教科書』自由社

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