秦氏などの渡来人と日本の文化

秦氏については以前にも
http://koujiyama.at.webry.info/201002/article_94.html
などで触れたが、渡来人と日本の文化の発展について考えてみる。
ただし、ここでは渡来人とは歴史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多いので、それ以前に日本列島の先住民である旧石器人や縄文人を除外して定義している。
言うまでもなく、日本列島がアジア大陸から切り離されるまでに日本民族として孤立したものではなく、人類のルーツはみな同じであって、いつごろから先住民がいたかなどは大きすぎる課題でありここではテーマではない。
郷土歴史家で有名な宿南保氏は、『但馬史研究 第31号』「糸井造と池田古墳長持型石棺の主」の投稿で次のように記しています。
渡来人は朝鮮半島の情勢変化に伴い、ある程度まとまった集団を形成して来航する場合が多いと見て、その集中渡来の時期として、『川西町史』(奈良県)は次の三つピークを挙げている。

◎第一波 四世紀末から五世紀初め 応神天皇期

高句麗が「広開土王」の名をもつ好太王に率いられて南方に領土を拡大したことにより、主に朝鮮半島南部の人びとが五世紀前半にかけて渡来したもので、『日本書紀』では応神天皇のころにそれに関する記事が見られる。
『日本書紀』応神天皇七年九月の条に、「高麗人・任那人・新羅人、並びに来朝り。時に武内宿禰に命じて、諸々の韓人等を領ゐて池を作らしむ。因りて、池を名づけて韓人池(からひといけ)と号ふ」とある。
後に有力な豪族となる東(倭)漢氏(やまとのあやうじ)の祖・阿知使(あちのおみ)主や西文氏(かわちのふみうじ)の祖・王仁(ワニ)、秦氏(はたうじ)の祖・弓月(ゆづき)君がいる。

●疑問点

この時伝えられたとされるものや渡来談話を見ると、本来この時代にはないものがあるので、次に紹介する第二波の渡来に関係した氏族が、自分たちの始原を古いものであると示すために作った説話がかなり混じっている可能性がある。

しかし第二波の渡来人を「今来(いまき・新しくやって来たの意)の漢人」と呼び、東漢氏や西文氏、秦氏が支配下においていることから、やはり五世紀後半以前に日本列島に渡来し、ヤマト王権のもとに組織されていたグループがあったものとされている。その人たちの出身地は、東漢氏や西文氏の場合は朝鮮半島南部の伽耶(加羅)(『日本書紀』では任那)、秦氏は新羅と考えられている。

宇佐八幡

この神は、北九州の豪族宇佐氏の守護神だったが、応神天皇が八幡神であるとされている。

◎第二波 五世紀後期 雄略天皇期

高句麗が百済の漢城(現ソウル)とう都を陥落させたことにより圧迫を受けた多くの人びとの渡来が顕著な時期で、『記・紀』にいう雄略天皇の治世に当たる。

倭の五王最後の武王=雄略天皇にいたっては、使持節都督倭・新羅・任那・加羅(伽耶)・秦韓・慕韓(馬韓)六国諸軍事安東大将軍と、いかにも長々しく威厳に満ちたもので日本列島から朝鮮半島までをも支配していたかのような響がある。

ただしこれを言葉通りに受け止めてはいけない。高句麗の南下を食い止めているヤマトの王権に対する、宋側からのご褒美であり、一種の名誉職と言った方がいいかも知れない。しかし、実験を伴わなかったヤマトの王家が、宋から認められたことによって(もっとも実際に活躍していたのは物部氏を中心とする周囲の豪族だっただろうが)増長していった疑いが強い。

雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は、先に見たように絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われる。朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている。彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた。

須恵器や鞍(くら)といった生活や武具関係の工業技術を持った人びとが多く、ヤマト王権は東漢氏(やまとのあやうじ)や西文氏(かわちのふみうじ)等の渡来氏族の支配下に置き、部民制をとり陶部(すえつくりべ)や鞍作部(くらつくりべ)という職業部を組織し、労働と製品を確保する体制をとった。

この他、呉国(宋)から手工業者・漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)らを招き、また、分散していた秦民(秦氏の民)の統率を強化して養蚕業を奨励したことも知られる。

◎第三波 七世紀中ごろ 孝徳天皇~天智天皇

唐が勢力を拡大し、それと組んだ新羅が強大化することで、高句麗・百済が相次いで滅亡し、白村江(はくすきえ)の戦いで敗れ、王族も含む各種の階層の人びとがわが国に政治亡命してきた時期。

以上、ピーク(集中渡来の時期として)の三つとして記されているが、この他に、
古くは縄文時代の終わり、約2500年前頃よりアジア大陸から、春秋時代やその後の戦国時代にかけての混乱と戦災を避けて日本に渡ってきたと考えられている。彼らが最初に水稲を持ち込み(陸稲は約3500年前から存在。約6000年前からとする説もある。)、いわゆる弥生時代に繋がっていく。

渡来および帰化系氏族のうち約3分の1の多数を占める「秦氏」の項によれば、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。

また一説には五胡十六国時代に前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある(弥生時代の到来)。いずれの説も今後の検証の必要がある。

縄文時代に、山(火山)、瀧、岩、森、などを自然神として磐座(いはくら / いわくら)や神の住む場所である禁足地(俗に神体山)などで行われた祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、元々は常設のものではなかった。のちに社を建て、土地の祖先や豪族など人物神を神としても祀るようになったのは、渡来人の秦氏族などは賀茂氏系神社(松尾大社、上賀茂神社、伏見稲荷神社、八幡社など、建築技術や専門職(テクノクラート)によるものと考えられる。

繰り返しになるが、日本列島がアジア大陸から切り離され列島となった。元々日本列島に移動してきた人類は北方、南方、半島、南西島嶼部などから移動してきて、日本民族として形成されたものである。いつごろから先住民がいたかなどは考古学史料に求めれるしかない。

渡来人とは歴史用語として、すでに日本列島に定住していた旧石器人や縄文人からみた4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多いので、それ以前に日本列島の先住民である旧石器人や縄文人を除外してそれ以降に定義している。

しかも定住者は帰化人となって同化し日本民族となる。

◎第四波 戦前~戦後

日韓併合時、半島から働きやって来た人々はいたが、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。むしろ日本内地では国民徴用令により徴兵・学徒動員などは全国民に課せられていた。

当時は朝鮮・台湾も日本人国籍であって、強制連行されたというのは誤解であり、戦後すぐに朝鮮半島などを放棄するものとなり、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
現在、在日韓国・朝鮮人の総数は約61万人だが、日本国籍が認められなくなった際に、帰国を促しても自由意志もしくは帰る宛がないなどの事情により帰国しなかった人々である。その内、戦時徴用で日本人として日本列島に働きにやってきたとされる正確な人数は245人にすぎない(外務省)。また戦後、密航などでやって来た人々も含まれる。

このような事情はあるものの、日本国内に永住するのであれば、今日帰化は書類上の手続きにより取得できる。当然日本国籍を取得し日本国憲法を遵守することが自然であるのだ。移民国家アメリカなどでは、むしろ国籍を取得するには一定期間を経てアメリカ国民として徴兵の義務(今は志願、奨学金制度)と参政権を得るためにはアメリカ国家に忠誠を誓うことが義務づけられていて、むしろそうした移民国家の方が厳しいのである。
外国人地方参政権とは、法治国家で採用している国はごく少なくあまり類のないおかしな法案である。しかも、年々減少している在日韓国朝鮮特別永住者よりも、年々増加する中国人に対して歯止めが利かなくなる恐れが問題なのである。中国人は帰化しても華人としてチャイナタウンを形成しその国の国民という意識は薄く、持たないケースが多いからである。
強制連行、従軍慰安婦、南京大虐殺等はすべて朝日新聞のでっち上げである。いまだ一切謝罪しない。

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