天日槍 人皇6代孝安天皇53年 新羅王子天日槍帰化す。 稲飯命の五世孫
初代多遅麻国造 天日槍 人皇6代孝安天皇61年 天日槍多遅麻を賜う
2代 々 天諸杉命 人皇7代孝霊天皇38年 天日槍の子
3代 々 天日根命 人皇8代孝元天皇32年 天諸杉命の子
4代 々 天日楢杵命 人皇9代開化天皇59年 天日根命の子
5代 々 天清彦命 人皇10代崇神天皇67年 天日楢杵命の子
6代 々 多遅麻毛理命(田道間守) 人皇11代垂仁天皇89年 天清彦命の子
90年春2月 多遅麻毛理命を常世国に遣わし非時(ときじく)の香果を求めし給う。九年を経たり。
人皇12代景行天皇元年春三月 多遅麻毛理命は常世国より帰る。しかるに垂仁天皇は崩御の後なり。多遅麻毛理命は哀悼に耐えず、天皇の御陵に至り、哭号(おらびなき=号泣)て死せり。(香果は今の橘)
7代 々 多遅麻日高命(多遅麻田男命) 人皇12代景行天皇元年 多遅麻毛理命の弟
(気多大県主 物部連大売布命 人皇12代景行天皇32年(102) 物部連伊香色男命の子孫 射楯宮)
(朝来県主 大多牟阪命 彦坐命の子孫・息長宿祢命の子)
8代多遅麻国造 船穂足泥命 人皇13代成務天皇五年秋九月 彦坐命の裔、大多牟阪命の子 大夜父宮
(出石県主 須賀諸男命 人皇13代成務天皇5年 多遅麻毛理命の弟)
9代 々 物部連多遅麻公武 人皇15代神功皇后2年 大売布命の子 府を(気多郡)高田村に置く
10代 々 物部連多遅麻毘古 人皇16代仁徳天皇元年 公武の子 府を日置村に移す
11代 々 物部連多遅麻公 人皇18代反正天皇3年() 多遅麻毘古の子
12代 々 黒田大連 人皇21代雄略天皇3年(456?) 天児屋根命の裔 府を国府村に移す
13代 々 大鹿連 人皇25代仁賢天皇10年(497) 黒田大連の子
14代 々 能登臣気多命 人皇29代宣化天皇3年(538-584) 大入杵命の裔
15代 々 止美連吉雄 人皇31代敏達天皇13年(584-631) 大荒田別命の子
16代 々 山公峯男 人皇35代舒明天皇3年(631-685) 五十日帯彦命の裔
651 大宝律令によって日本の律令制が成立した。
但馬国司 榛原公鹿我麿(暦)(685)
但馬守 櫟井(いちい)臣春日麿 人皇42代文武天皇庚子4年(700-714)二方国を廃し但馬国に合し八郡と為す。府を国府村に置く。 孝昭天皇の皇子、天帯彦国押人の孫、彦姥津命五世孫・大使主(おおおみ)命の裔
々 従五位上、阿部朝臣安麿 人皇44代元正天皇霊亀元年(715-749)
但馬介 大炊山代直都賀麿 749-811
々 良峰朝臣安世 812-975
以下国守は正史に在り。故に省略。